誰か居るって言っちゃだめ3
周りをようく見ることは、怯えさせる気持ちを落ち着けました。暗闇の中の足音の数は、次第に増えて行きます。クスクス笑いも、呼吸の音も。
ですが、アンちゃんはそれを「風の音」と同じだと思いました。
風は段々強くなり、渦を巻いて、ざわざわごうごうと言う音を連れてきます。アンちゃんは、竜巻の中央に居るようで、ちょっとでも動いたら、呑み込まれそうでした。
周囲の温度がひどく低くなって行きます。アンちゃんは用心しました。縮めていた手足を体にぴったりくっつけて、口と鼻を手で覆って息をして、体温が逃げないようにしました。
――アンバーが見つけてくれる。
アンちゃんはそう念じました。
――大丈夫。きっと見つけてくれる。
そう念じながら、闇の中を見つめました。
アンバーは、白い空気の中を、息を凍らせながら歩いていました。
アンバーは心の中で思い出しました。
呪わしい、あの冬と同じ、白い悪魔が、自分の大切なものを奪おうとしている。
あの子を失うものか。私は、あの子の双子には成れない。けど、あの子の友達になら成れた。あの子は、私が手を握っても怖がらない。それを、失うものか。
アンバーは、アンちゃんの魂の色を覚えています。周りに青を纏った緋色です。そして、時々、明るい緑と銀色にきらりと光るのです。
その光を、吹雪の中に探しました。白い粒子が邪魔する中を、何度も何度も見回しました。
あの子の持っている、花の蜜に湿度を持たせたような、特有の魔力の香りも覚えています。その香りが、この冷たい吹雪の中に混ざっていないか、それも注意して観察しました。
アンバーは、遠くを見るための視力を使いました。でも、白い悪魔の力に遮られ、自分の持っている力だけでは、あまり遠くまで見通せません。
――サクヤ。
アンバーは、心の中で呼びかけました。
――サクヤ、どうか、貴女の手を。ほんの少しで良い。貴女の手を貸して。
そう思って、アンバーは吹雪の中に片手を伸ばしました。
白に埋もれている天上から、透明な一対の少女の手が伸び、一本の赤い蝋燭をアンバーの手に握らせました。燈る火は、吹雪の中でもびくともしません。
――ありがとう。
アンバーは目を強く開き、そう念じると、双子からもらった光の燈るキャンドルに、自分の持っている力を注ぎました。
燈火は一瞬、爆発するように大きくなり、辺りに朱色の光が散り広がります。
白い魔物の叫ぶ声は遠退き、空間から掻き消えました。そして、辺りは真っ暗になりました。
白い闇の後には、真っ暗な闇。身を凍らせるものから、心を凍らせるものに変わった闇の中を、キャンドルの炎は照らします。
闇の中に、蕾を閉じようとしている炎の花がありました。青を纏った緋色の花です。
――ここから、ずっと遠くの場所? ……いや、あれは届くまでほんの五秒ほどの距離だ。
アンちゃんの周りにいる者達が、アンちゃんの魂の花を枯らそうとしているのだと分かりました。だから、炎が小さくなってしまっているのだ、と。
そう気づいたアンバーは、赤いキャンドルを両手で握り、祈るように手を組むと、このような意味の古い言葉を唱えました。
「人滅ぼし 海溢れさす 彼の庭に燈火を置く 水底に回流するもの 光は得られた その一輪 汝らの贄に非ず」
キャンドルの炎が強く輝き、一閃の光の矢になって、風の渦を切り払いました。炎の花の周りに、温かな炎と光を燈します。意識を失いかけて居たアンちゃんは、ハッと目を開きました。
縮まるように、体を震わせていたアンちゃんは、急に体が暖かくなったのが分かりました。闇の中で、アンちゃんを囲むように、小さな光の花が咲いています。
暴風の音は治まり、それまでとは違う聞き覚えのある足音がしました。アンバーが走る時の、踵を打ち付けるように鳴らす、独特の走り方の音です。
遠くに、小さな光が見えました。その光はあっと言う間に近づいて来て、光の周りに、安心した表情をしているアンバーの顔が見えました。
「一人で外に出ちゃ、だめだよ」と、アンバーは言いました。
アンちゃんは、恐る恐る立ち上がって、アンバーのお腹に縋りつき、声を殺して涙を流しました。いっぱい勇気を振り絞ってたけど、怖くて仕方なかったのです。
「私、約束、守ったよ」と、アンちゃんはアンバーを見上げて言いました。
「うん。お利口さん」と言って、アンバーはアンちゃんの頭を撫でてくれました。
ローズマリーの家の庭に戻ると、ついこの間作った雪だるま達は、程よく溶けてぐんにゃりして居ました。足元の雪も解けていて、土の地面と混ざってドロドロしています。
「靴が汚れないうちに」と言って、アンバーはアンちゃんを家の中に連れて行きました。
家主が帰っていたようで、家の鍵は簡単に開きました。
「ローズマリー」と、アンバーは、家の中を進みながら呼びかけました。居間に続く扉を開けると、暖炉の前でロッキンチェアに座っていたローズマリーが、驚いたように二人を見ました。
その胸元には、アンちゃんからもらった宝石で作ったペンダントが輝いています。
「どうしたの? ああ。こんなに凍えて」と、触れない内から言って、ローズマリーは暖炉の前のチェアをアンちゃんに譲りました。「何処に行って来たの?」
アンちゃんは、怒られるかなぁと思って、アンバーの方を見ました。
アンバーは困ったように、「ちょっとした吹雪が起こったの」と答えました。
窓の外からは、気持ち好い陽光が射しています。ローズマリーは外を見てからアンバーのほうに視線を戻し、首を傾げました。
アンバーも、アンちゃんも、一緒に首を傾げました。




