誰か居るって言っちゃだめ1
アンちゃんはずっと眠っています。
体も眠っているけど、心も眠っています。その時、アンちゃんに「アンバー」と名付けられた女の子は、アンちゃんのために歌を歌っていました。
音だけの、歌詞の無い歌です。旋律と一緒に、アンバーの放っている霊的な力が、アンちゃんの中に流れ込みます。
しばらくすると、アンちゃんの心は目を覚まします。そうすると、不思議な廊下に居ました。
漆喰で作ったような、石の舗装が見える素敵な階段を降りて、青い扉を過ぎて、その奥の中にある長い廊下の中に居ました。
其処が何処であるのかは分かるのですが、アンちゃんは、お日様の差しているはずのお外を見ようか、それとも静かな影が揺蕩っている廊下の奥に行こうか、迷いました。
何度も、外と奥を見回して、どちらも決めかねてその場に座り込みました。
アンちゃんは、ローズマリーのお庭に行きたいなと思いました。すると、廊下の奥の方から影が広がってきて、明るさをすっかり隠してしまいました。
「アン」と、アンバーの声がしました。「また此処に来てたのね」
「此処は何処?」と、アンちゃんはアンバーに聞きました。「コトッコトッて言うのね」
「あれはね、時計の心臓の鳴ってる音」とアンバーは不思議な答えを返しました。「アンは、アトラクションって好き?」
「うーんとね。観覧車とぉ、メリーゴーランドとぉ、カップソーサーとぉ…後は分かんないや」と、アンちゃんは指を折って数えました。
「うーん。どれとも違うなぁ」と、アンバーは困ったように言います。でも、口元は何時ものように微笑んでいます。
なので、アンちゃんは、きっとアンバーは「目が回っちゃうような凄いアトラクション」の事を言ってるんだと思いました。
アンバーはその考えに気づいて、唇を笑ませたまま、目をちょっとだけ大きく開いてアンちゃんと視線を合わせると、頷きました。
そして、アンちゃんの左手を、自分の右手でつかみました。
「アン。息をするのを忘れちゃだめだよ。それから」と言って、アンバーは、何処まで続くか分からない影の中に、歩を進め始めました。アンちゃんも、引っ張られて後を付いて行きます。
「誰か居るって言っちゃだめだよ」
アンバーがそう言った途端、足元が、歩くよりものすごい勢いで滑り出し始めました。
それはクリスマスのようでした。月の大きな夜に、白い雪と、もみの木と、キラキラの飾りとキャンドルの明かり。
人々は静かに眠っていて、町は魔戯飾で少し華やいでいます。月明かりの中に、八頭のトナカイに引かれた大きなソリが飛んできます。
アンちゃんは、冷たい空気を吸って、感心したように溜息を吐きました。
そうすると、もう別の場所に居ます。
リボンと包装紙の集められた部屋で、お父さんとお母さんはプレゼントのラッピングをしています。大きなぬいぐるみから、小さなクッキーの箱まで、全部を紙で包んでテープで止めてリボンで飾ります。
それから子供達が絶対に見つけられない場所に、プレゼントを隠しました。
アンちゃんは、クリスマスのプレゼントは一つじゃないんだと知りました。
次の場所です。
痩せ細って腰の曲がったおじいさんが、せっせと赤い蝋を蝋燭にする作業をしています。細い棒に一定間隔で吊り下げた紐を、赤いミツロウの中に浸しては乾燥させるのを繰り返して、少しずつちゃんとした蝋燭にするのです。
おじいさんはひどく熱心で、カレンダーにつけた印を確認しながら、たくさんの蝋燭を用意していました。
次の場所です。
大きな工場で、処理をした七面鳥を冷凍庫に入れています。七面鳥達は、何処かの場所で首を落とされ、血抜きして工場に運ばれてきました。工場の中では、必要な内臓だけを残して、七面鳥の腸を抉り、綺麗に洗浄してしまうと、形を整えてから移動式の棚に並べ、巨大な冷凍庫の中に運んで行きました。
次の場所です。
ワインが醸造されて、機械で丁寧に瓶詰めされています。赤と白とロゼのワインです。アンちゃんは、ずうっと昔に、甘いロゼのワインを飲んだことがある気がすると思いました。真っ赤な渋いワインや、真っ白な強いワインより、甘いロゼと言うのは丁度良い味をしているはずだぞ、と思って、思わず唇を舐めました。
次の場所です。
お化けのようなものが湧き立つ廊下を、二人は手をつないだまま駆け抜けます。
ついに「いじげん」に来てしまったと、アンちゃんは思いました。日付は一体いつなのでしょう。古い成りの簡素な知らない家の中を、タタタタッと足音を潜めて走り抜けました。
「イタチが走ってる」と、階下で誰かが言った声が聞こえました。
やがて、まばゆい光が見えてきました。アンちゃんとアンバーは小さな足で走り続けます。
その光の中で、誰かの気配がしました。
アンちゃんは、駆け抜けようとしている光の中を振り返りました。
光は、静かな部屋を照らしています。
赤ちゃん用の、小さな部屋です。お母さんが、抱きかかえた赤ちゃんを揺らして眠りに就かせています。
お母さんの足元で、その赤ちゃんを、覗き込んでいる、小さな人影がありました。
お母さんの腕の中で眠ろうとしている赤ちゃんと、そっくりな赤ん坊です。
アンちゃんは、思わず声を上げそうになり、空いていた手で口を押さえました。
次の場所に移ると、ようやくローズマリーの住んでいる庭に辿り着きました。
アンバーは、口を押さえているアンちゃんを見て、頭を撫でてくれました。「お利口さん。さぁ、ローズマリーは、丁度起きる所だよ。プレゼントを渡しに行こう」と言って。
アンちゃんは、自分がプレゼントを持って来たか分かりませんでした。でも、ポケットを探ってみると、小さなキャンディのような宝石がありました。
磨いていない原石ですが、透明でとても綺麗です。
ローズマリーの瞳の色と同じだ、と思って、アンちゃんは嬉しくなりました。
アンバーは先に立って歩て、アンちゃんには届かない、ドアのノッカーを叩いてくれました。




