迷子の隠れ家4
五歳のアンちゃんの所に、お友達が訪ねてきました。
黒い長い髪をした、茶色の瞳の女の子です。その女の子は名前は名乗りませんでしたが、アンちゃんは時々その子と遊びました。
こっそり庭から出て、野の草花が咲いている所に行き、二人で花冠を作ったり、サルビアの花を取って蜜を吸ったり。
「あなた、こはくのめをしてるから、アンバーってよぶね」と、アンちゃんは女の子に名前を付けました。
女の子はにっこりと歯を見せて、「私も、アンなのね」と言います。
アンちゃんはようやく気付いて、「あ。そうだね」と言うと、友達と一緒に嬉しそうに笑いました。
眠ったきりの姉を見舞う少年は、姉の口元が少しだけ微笑んでいるのに気付いた。
好い夢でも見ているんだろうか。
そう思って、姉の額に手をかざし、習いたての「状態回復」の術を使ってみる。
意識の状態を回復すると言う、奇跡のような事は起こせない。しばらく術を使ってても、変化は認められない。
諦めて手を離し、少年は、まだ肩が緩いスーツの崩れを治してコートを羽織った。これから青年になろうとしている彼の体つきは、まだ成長期の途中だ。
コートを着ながら部屋を出ようとする彼を、背の方から「ガルム」と呼ぶ者がいる。
振り返ると、青白い光を纏う、髪の長い――アンではない――少女が、そこに立っていた。その少女の発している霊気に近い力は、吸い込まれるようにアンの体の中に入って行っている。
ガルムも、有害なものと無害なものを見分ける目を、この数ヶ月で鍛えられていたが、それ以前に人間的な感覚で、その少女が「アンを守っている」事が見て取れた。
少女は、安心させるように笑みを浮かべ、目を閉じるように胸元に視線を落とすと、其処に飾られていた銀製のペンダントに手を触れた。
「二人のアンから、貴方へ」
そう言って、首からペンダントを外す。
ガルムが差し出されたペンダントを受け取り、まだじっとその少女を見ていると、少女はまたうっすらと笑み、「本当、そっくりね」と残して、姿を消した。
ガルムは、手の中で、小さなチャームの付いたペンダントを握りしめた。
まるで熱でも持っているように、そのペンダントは仄かに温かかった。
日付としては、ガルムがアンの見舞いに行った翌日。
サクヤは小奇麗な紺色のツーピースを着せられ、髪を三つ編みに結って帽子を被り、黒い革靴を履いて街を歩かされていた。
先を歩くノリスは、片手をサクヤのほうに向けていて、いつでも手を繋げるようにしている。でも、サクヤは手を握り返さなかった。
雪水湖の中央公園。見上げる程の大きさのグリフォンの銅像がある場所。そこで、ヤイロと執事は待っていた。
ノリスが紹介する前に、ヤイロはサクヤに気づいた。しかし、礼儀を重んじて、先に話しかけたりはしなかった。
「ヤイロ。お久しぶりです」と、ノリスは挨拶をする。そしてヤイロと握手をしてから、片手をサクヤのほうに向ける。
サクヤは、習った通りに名乗った。「サクヤ・レイマークです」と。
ヤイロはその声を聞いて、しっかりと頷いた。それからノリスに言う。
「ありがとう。この子の事は、心配せずに」
ノリスは応える。「この子も、私達の家族です。どうか、守ってあげて下さい」
「ええ、もちろんです。そうですね……今、こんな事を持ち出すのも、無粋と言うものですが」と前置きを置いてから、ヤイロは尋ねる。「お礼金はどの口座に?」
ノリスは口元に苦笑を浮かべ、「必要ありません。サクヤのために使ってあげて下さい」と求めた。
「本当に、貴女は子供の教師たるべき人物だ」と、ヤイロはノリスを褒めた。「ああ、もう一つ無粋を言うなら」と、ヤイロが言って声を潜めるので、ノリスは耳を近づけた。
「その路地の角で背を向けている、煉瓦色の髪の青年にも、『心配はない』とお伝え下さい」と、ヤイロは囁く。
タイガが後をつけて来ている事は、しっかりバレていたようだ。
その日のうちに、帆船に乗って、ヤイロとサクヤと執事は、クオリムファルンを去った。
これから、幾つかの港を経由し、大陸を横断する列車の旅をして、センド氏の故郷に向かう。天候が良くて、列車が無意味に停まらなければ、数ヶ月で到着すると言う。
帆船の部屋に居ると、全部が揺れているようで気持ち悪かったので、サクヤは酔い止めのためのナンテンの葉を噛んでいた。
「だいぶ波が荒いようだね」と、同室を使っているヤイロも、周りを見ながら言う。「それで、サクヤ」
突然名を呼ばれ、サクヤは目を見開き、口元を緊張させる。
「ちょっと不慣れなお願いになるかも知れないが」と前置きを言ってから、「私の事は、『父親』と呼んでくれないかい? ちょっとした事情で、そうでない事を知られてしまうのは問題があるんだよ」と続けた。
サクヤは少し安心した顔をして、「分かりました。ヤイロ父さん」と答えた。
勉強の時間を終えて、蜂蜘蛛達の幼虫の面倒を看て、生活に必要な仕事をする。エナが居なくなってから一ヶ月で、ニナも、すっかりその生活に慣れた。
最初に着ていたのが、体の丈に合わないパツパツのパジャマであると言う事から、特別に、まだ七歳のニナにも新しい服が与えられた。これから成長する事を考えて、少しだぼだぼな服だ。
一部の子は、ニナを「卑怯だ」と言う。その言葉を使う子は、意味は分かっていない。その言葉が他人を罵り傷つけるものであるはずだ、と言う事だけは分かっているつもりだろう。
その「卑怯諭」を唱える子供達は、ニナが最初は知恵遅れのふりをして、次は大人しい子供のふりをして、霊媒とノリスを上手く操っていると言うのだ。
三十人を超えるようになった子供達の間で、衝突が起こりつつあるらしい。
ノリスと霊媒が、ニナは演技をしているわけではないと説明すると、「みんなを同じに扱ってくれるんだったら、僕達にも新しい服をちょうだい」と、九歳以下の子供達が不平を言い始める。
つまり、彼等は、ニナが特別扱いされているかどうかはどうでも良いのだ。単に、十歳になって無いのにニナだけが新しい服をもらえるが気に食わないのだ。
「ニナの服の肩が合って無い事を、不思議に思わない?」と、ノリスは言う。「ニナは、十歳になっても、同じ服を着るの。それと同じ条件で良いんだったら、みんなにも新しい服をあげる。十歳になる時に、その服が体に合わなくなってても、同じ服を着れるならね」
その話を聞いて、「卑怯諭勢」は、ブツブツと文句を言いながら黙った。十歳の「お祝い」の服は、やっぱり新品が良かったからだ。




