迷子の隠れ家1
日光の訪れとともに、蜂蜘蛛の巣穴に朝が来る。一番日射しが分かりやすい所に眠っていた霊媒は、干し草を敷いた寝床から獣の毛皮の上掛けを避けて、体を起こす。それから、彼女の周りで、同じく毛皮の上掛けをかけて眠っている子供達に「朝だよ。起きて」と、呼びかける。
麻のパジャマを着ている子供達は、起きると同時にカップを持ち、道中に植えてあるミントの葉を一枚千切って、眠気でふにゃふにゃしながら、岩山を降りる。
岩山の裏には身支度用の水瓶が用意されており、ミントの葉を歯列にこすりつけながら歯を指で磨き、カップに汲んだ水でうがいをして、地面の決まった場所に吐き出す。
それからコップに残った水を手に受けて、顔を洗う。
この岩山で一番気にされているのは、水から目に菌が入って眼病を起こさないかどうかだ。水瓶の水はしっかり煮沸消毒してあるが、雨が入り込んだり、野生の獣が口を付けて水を飲んだりしてしまったら元も子もない。
十歳になった子供達は新品の服に袖を通し、九歳以下の子供達は、比較的綺麗なお下がりに袖を通す。
全員の朝の面倒を看てから、霊媒も歯を磨いて口をゆすぎ、顔を洗いに行く。タオルはないので、手の平で充分水を切って、空気で乾燥させる。
それから朝食の支度にかかる。料理係の子が、残っている食料の中でまだ貯蔵のたくさんある材料を選ぶ。今日は、小麦粉と卵を水で練ったパンケーキにすることにしたようだ。
「味付けは?」と、ある子が料理係に聞く。
「岩塩を少しと…カカオの粉を入れよう」と、フライパンを持った女の子が言う。
「塩とカカオって合うのかな?」と言う意見が上がるが、「食べれて栄養があれば良いの」と、料理係は言い返す。
そんな朝の風景を眺めながら、霊媒は遠くから誰かが近づいてくるのを察していた。
敵意のある気配ではない。
また、迷い子だろうか?
そう思って、霊媒は洞穴を出ると、岩山をぐるりと回ってから、気配の方向に移動した。
唯一、毎日外部の世界と接さなければならないノリスだけは、毎日朝七時に起きる事になっている。水晶版に記録してあるタイマーが鳴る時間が、彼女の「朝」だ。
煮炊き場の方から、塩と卵とカカオと小麦粉の混ざった、不思議なにおいがしてくる。
もうすぐ「朝」かな、と思いながら、ノリスは目を開けた。アラームはまだ鳴っていない。しかし、目を覚ますには良いタイミングだったらしく、スッキリと起床できた。
テーブルの上に置いてある水晶版を操作し、アラームの設定をとめる。
調理をしている子供達に「おはよう」と声をかけ、彼女もコップを持って岩山の裏に回る。途中でミントを一枚千切り、水瓶から水を汲み、歯を磨き口をゆすいで背の低い茂みの中に吐き出し、顔を洗って乾かす。
朝の儀式をしていると、何処かから話声が聞こえた。
霊媒と誰かが話をしている。
また迷子が来たのだろうか、そう思いながら、ノリスは声のする方に近づいた。
「ニナ。ごはん。ない」と、子供の声がする。そんなに幼い声でもないが、話し方は非常に拙い。「ごはん、ほ、しい」
「エナ。ごはん。もって、ない」と、別の声もする。やはり話し方はたどたどしい。「二ナ、に、ごはん。あげ、たい」
その二人はどうやら男の子と女の子のようだった。
だが、どちらもぼさぼさに髪が長く、着ているものはパジャマのようなのに、何処かしらにほつれた穴が開いていた。そして、土の上を歩いて来た証として、足元が泥に汚れている。
昨日雨が降ったからかな、と、ノリスは反射的に思った。
「新しい子?」と、ノリスは霊媒に近づきながら言う。
「うん……。だけど、なんだか変なのは……見ればわかるよね」と、霊媒は言い、ノリスは頷き返した。
ニナは非常に食欲が旺盛だった。洞窟に招かれ、ノリスと霊媒の分のパンケーキを受け取ると、お礼も言わずにがっついた。時々、長い髪の毛が口の中に入って咀嚼の邪魔をすると、エナがお姉さんのように髪をなおしてあげている。
「貴女は何も食べなくて良いの?」と、霊媒はエナに聞いた。
「エナ。いら、ない」と、エナは答える。
ニナは大人の食べる大きさのパンケーキを二枚食べ終わると、他の子が食べていたパンケーキを横取りしようとした。
「他人のは取らない!」と、霊媒はいつもの調子で指示を飛ばした。
しかし、ニナはビクッと体をすくめてから、フルフルと震え出し、赤ん坊が泣くように大声で泣き始めた。
最初は唯泣いているだけだったが、自分に与えられていた木の皿を放り投げ、目標にした子供のパンケーキを引っ張ると、手に掴めた分を引き千切り、無理矢理自分の口の中に押し込んだ。
止めようが、怒られようが、先に口に入れた者勝ちであると言う事を、この横暴な少年は知っているのだろう。
子供達は夫々の皿を守りながら、ニナから距離を取り、霊媒とノリスは暴君の手を掴んで、ほとんど宙づりにした。それでも、ニナは手足をばたつかせ、暴れ狂う。
エナは黙ったまま、暴れるニナをとめる様子はない。
「何この子……」と、他の子達も騒ぎ始めた。今まで、こんなに言う事聞かずな子供が住処に来た事は無い。
ニナは散々泣き喚き、力尽きると、宙づりにされたまま眠り込んだ。それと同時に、彼の脚の間から液体が漏れた。
エナは辺りを見て、毛皮の布団を一枚見つけると、それを無造作に持って来て、二ナのおもらしの後片付けをし始める。
ものすごく迷惑な子達である、と、蜂蜘蛛の住処の人間一同は思った。




