エムとターナの奇妙な日常4
岩道の壁のあちこちは部屋のように設えられており、窓や扉が取り付けられ、人間と同じ体躯の耳の咎ったエルフ達が住んでいた。
細面で華奢な体格で、碧眼の者が多い。時々、落ち着いたセピア色の瞳や、赤みの強い茶色の瞳の者も居た。
長から滞在を許可されたエムとターナは、古代エルフ達に「夢見ヶ淵」を演奏してもらえないか頼み込んでみた。
「その曲は祭りで演奏するだけだ。普段は練習もしない。しかし、みんな心得たものだよ。何百年と同じ奏者達が奏でている演目なのでね」
祭の本番は一ヶ月後と言う事で、それまでエムとターナが生活する部屋が特別に用意された。そして不慣れな客人の生活をサポートする人物が付き添った。焦げ茶色の髪をした碧眼のエルフの少女。名をキキカと言う。
外見年齢は十五歳か十六歳と言ったところだが、キキカ本人が言うに、「あなた達が生きて来た時間を百回以上繰り返すと私の年齢になるよ」との事だった。
キキカは、食事と衣服の世話をしてくれたが、何せ一ヶ月後まで時間の余るエムは、キキカから習って調理や皿洗いや洗濯の方法を学んだ。
紙の人形に宿っているターナは、正体がバレる事を恐れて水仕事はしない。キキカも、五歳か六歳くらいの女の子に包丁を握らせたりはしなかった。
その代わり、地上で取れる野菜を地下に運んだり、干した洗濯物を畳む係は率先してやらせた。
「エルフが地下に住むなんて、不思議でしょ?」と、キキカは言う。「普通は、森の中に住む種族だから」
「昔は上の大地も森だったんでしょ?」と、エムは包丁で野菜を切りながら聞き返した。「それなら、全然不思議じゃないよ」
「子供って素直ね」と、キキカはからかう。「『炎の戒め』の事は知ってる?」
キキカの声音のトーンが落ちたのを察して、エムはカッティングボードから顔を上げた。思った通り、キキカは笑ってなかった。エムは答える。
「『火』の術を使うと、地面に魔力を吸い取られる……って言う事なら知ってる」と。
「その吸い取られた魔力は何処に行くと思う?」と、キキカは更に聞きながら、そっと窓に近づき、カーテンを避けた。ホールの反対側が見える。キキカは、ホールを突っ切るように流れている澄んだ小川を指さす。
「『炎の戒め』が生まれたのは、五百年以上前。それよりもっと昔に、大地の軸を変化させるくらいの大きな争いがあったの。歌語りでは、魔神をこの世界から追い出すための戦争だったって言われてる」
そう語るキキカに、エムは「その頃には、キキカは生まれてたんでしょ?」と問う。「なんで、歌語りでしか知らないの?」
「大地の軸が傾くのに三百年以上かかったから」とキキカは言って、息を吐く。「軸が傾くくらいの争いが起こって、私達の祖先は地下に逃げた。私は丁度軸が傾き始めた頃に生まれたの。貴方、ここに来る前に、楽園を観たでしょ?」
「楽園?」と、エムは語尾を上げる。
「『戒め』を破って死んだエルフ達の楽園よ。彼等は獣を火で焼いて食べる事を覚えた。そしてエルフとして堕落した。あなた達に会った時、彼等のにおいがしたから」
なんとなく、キキカから責められているような気がして、エムは「すぐに逃げ出したんだけどね」と返事をした。
「そうでしょうね。彼等に取り込まれてたら、此処まで辿り着いていない」
キキカはそう言ってから、エムの手元にあった野菜くずを籠に移して抱えると、「祭りの日が楽しみね」と残し、その時は部屋を去った。
祭りの当日。ホールに五十名ほどの楽器奏者が集まり、大きな太鼓や所々穴の開いている金属の筒や、多少の音階がある鐘等の打楽器が並べられる。
その中に、大きな竪琴を持っている奏者が一人だけ。
打楽器の他に、発声練習をしている三十名ほどの一団もある事から、恐らく声での旋律も必要なのだろう。
エム達は、他の住人と同じように、宛がわれた部屋で音楽を聞くことになった。
エムはこっそりとポケットに読み取り用の水晶を忍ばせ、ターナは紙を折って作った霊符に霊体が受け取った情報を記録する準備をした。
子供達がこそこそしていると、「もうすぐ始まるわ」と、キキカが出入り口から声をかけてきた。
金属の打ち鳴らされる高音のリズムから始まり、太鼓の低音と、歌唱による風の唸りのような旋律が細く辺りを舞い始める。
鼓動のような太鼓の音、水の調べのような金属音、鐘とコーラスによる旋律、その中に、張りつめた竪琴をはじく音色。
音は湧き上がり、空気に振動を起こし、聴者の鼓膜だけではなく、服や皮膚や髪……全身を叩く。魔力の律動が音色に合わせるように立ち上り、雨のように降り注ぐ。
コオオオン……と言う金属音の残響を残して、曲が静まった。エムは全身に汗をかいて、まるで本当に水を浴びたような心地がしていた。
ターナは、奏者達の魔力の一片も残さず記録するため、目を見開いて最後の音に聴き入る。
コーラス隊が深呼吸したのが、曲の終わりの合図のようだった。
何曲か聞いているうちに、エムはひどい眠気を覚えた。抗いがたい睡魔に襲われ、部屋の岩床の上で眠り込んでしまった。
ターナは曲と魔力波に聴き入るのに必死で、隣でエムが倒れたのには気付かなかった。
エムが目を覚ますと、ターナが見下ろしている顔が見えた。「エム。おはよう」と、何でもないように言う。しかし、其処はもう地下の「灰沼井戸」では無かった。
井戸を守っていた園も消えており、乾いた大地の崖っぷちギリギリの所に井戸がある。体を起こし、そっと近づいてみると、内側は数メートル下で埋まっていた。
「私達はもう入っちゃダメだって」と、ターナが伝言を伝えた。「『夢見ヶ淵』を手に入れたから。後は、『楽園』に入り込まないように注意して帰れって」
「そう……」と、エムは物寂しそうに返す。元々、曲のデータを取るためだけの旅なのだ。地下に追いやられたエルフ達を哀れと思うのもおかしい。
「じゃぁ、帰ろうか」
そう言ってエムは井戸を背にし、南だと思う方向に歩き始めた。
紙の人形から抜け出したターナが、その肩に寄り添い、「南東はこっち」と、エムの首をグイっと引っ張る。
彼等が去る背の方で、花のような形の折り紙がふわりと風に舞っていた。




