12.大荷物を抱えて
水曜日十五時
町は静けさを取り戻したが、まだ一般の人間達は活動していない。時々家の外に出てきて、空が真っ黒な雲で覆われていることを確認しては、家の中に戻って行く。
一般民が作業の邪魔にならないと言う意味では、人々の警戒心は有効だった。
電灯は邪霊を集めなくなった。しかし、邪気そのものは細く噴き出している。まるで、ガス漏れを起こしているように。
そこで、シェル・ガーランド、ラム・ランスロットの東地区チームは、地区の中でもとりわけ邪気の濃い場所に、改良した「邪霊吸引機」を持って行って、どれだけ連続使用が可能かを調べていた。
どんよりとした闇が漂っている場は、廃墟と呼んでも良いかもしれない。建物や土地が、邪気の浸食による、急激な劣化を起こしているのだ。
ガーランドが胸のほうに本体のある機器をベルトで担ぎ、ホースの先端にあるモップに似せた持ち手を持って、見たところ真っ黒な地面に、モップの先端を置く。
「じゃあ、始めるぞ」ランスロットに声をかけてから、ガーランドは吸引機のスイッチを入れた。
モップの先が通った場所から、邪気が太い線状に消えて行く。その上、一度モップが通った後は、周りの邪気に侵食されなくなるのか、クリアなまま「吸い込み跡」が残った。
「こいつは面白い」と言って、ガーランドは進行方向に向けて、ガリガリと縦線を並べてみる。
ほとんど真四角に邪気が削れた。
そんな事を十五分ほど続けると、ガーランドは何となく「首が凝ってくる」ような気がし始めた。
同時に、腹のほうにかけてある機器が、生ぬるく熱を持ち始めている。
その不具合をランスロットに訴えながら、掃除を続けて居ると、二十五分もする頃には、ガーランドは頭の上から汗だくになり、居心地が悪そうに何度も首を振り、肩を回すようになった。
「もう停めておけ。邪気が影響してきてる」と、ランスロットが声をかけた。
ガーランドがその情報を持って補給所に戻ると、マーヴェルは装置の状態を見て、「邪気を圧縮しきれなくなっている」と判断した。一定時間で、内部に蓄積した邪気を「浄化」する必要がある。
マーヴェルも「浄化」の能力は持っているが、彼女の仕事は補給所の維持と運営だ。
そこで、ランスロットの作る霊符に、マーヴェルの「浄化」の力を宿した物を、最初は十枚くらい用意した。
腰につけるボディバッグに霊符を詰めて、どれだけの範囲を移動できるかを調べる。
機器が熱を持つ頃に霊符を取り出して、術を解放する。「浄化」が起動すると同時に、機器の熱は冷め、吸引力も戻ってくる。
単純計算で、札が十枚あれば連続で五時間程の運転が可能と推測した。
だが、扱う人間の体力と集中力も必要だ。
何せ、邪霊吸引機を使うようになってから、ガーランドはひどくイライラしていて、落ち着きなく関節をあちこち動かしたり、長い髪の毛を掻きむしったりする。
フィンとラムは「状態保存」と「状態回復」の札も作って、最低でも五時間の連続運転を出来ないかと話し合う。
その横をすり抜け、ガーランドは仮眠室に入って行った。ドアを開閉する時に、ガチャンバタンと大きな音を立てながら。
箒で道や広場を掃き続け、アンはついに中央地区を脱する場所まで来た。
後は区の境にある陸橋を越えれば、北地区の発電所周辺に侵入できる。
アンが作った道を辿って、途中で合流した清掃局員達が、無人になったビルディングや、邪霊の住んでいる家屋を清掃して行く。数名のチームを組みながら、一つ一つの建物を確認する。
「道の出来るペースが速いな」と、ワルターは状況を観察しながら呟く。
東地区のオペレーターが、何等かの業務についているようなので、ワルターは中央地区担当の管理者として、指示を出した。
「アン・セリスティア。道を作るのは、そこまで。付近の建物の中に、邪気が潜んで居ないが調べてみてくれ」
「はい」と、アンからは素直な返事が返ってきた。アンはしばらくきょろきょろしてから、近くにあった三階建ての家屋の中に入った。
水曜日十六時三十分
何処かで、誰かがチェロを鳴らしている。誰かが、低く、腹に響く音を奏でている。
その音のする方に進むと、閉ざされた扉の前に辿り着いた。その扉は板と釘で、開かないように壁に打ち付けられている。
アンは箒を逆さに持ち、「解放」の力を意識して、打ち付けられた板と扉を撫でる。釘と板が剥がれ、音を立てて床に転がった。
チェロの音が止まる。
しまった、と思ったが、居るのがバレたなら怯んでいる場合ではない。錆びついているドアレバーに箒で触れてから、自分の周りに結界を備えて一気に扉を開けた。
一番驚いたのは、空中を舞う埃の濃さだ。視覚的にも白い埃が粉のように舞っているのが見える。アンはマフラーを口に押し当てた。
部屋の中には、チェロと弓が、誰かが構えて弾いていたのを止めたように、椅子の前の空中に浮いている。
アンの目には、それが誰かが分かった。
黒い長い髪を肩で一束に結った、黒いドレスの女性。瞳も、その目の周りも黒く、顔は真っ白で、赤い口紅がやけに鮮やかに見えた。彼女は、怯えるように首を振った。
「大丈夫」と、アンは声をかけた。「恐ろしい者は、もう此処へは来ない。ずっと、隠れていたんでしょう?」
そう語りかけながら、部屋に踏み入ろうとした。女性の目が大きく開かれ、弓を持った片手を、前に差し出してくる。
この部屋に入るな。
女性はそうサインを出していた。
アンは、踏み込みかけた足と、差し出しかけた手を引いた。
それと同時に、女性が、チェロにしては高い音を響かせる。
視線だけ動かすと、扉があった場所まで、群れ腐る死霊達が部屋の内側から押し寄せて来ていた。
女性が弓の音を再開する。その死霊達は扉の前から引き剥がされ、空中を舞う埃の一片に変わった。
火を――。
唇を動かさない女性の、心の中の声が聞こえた。
火を、放って。
アンは、ぐっと奥歯を噛みしめた。誰かに閉じ込められたとしか考えられない、封印された部屋の中、彼女は、ずっと一人で戦って来たのだ。その身が滅びても。
一体、何のために? そう、アンは心の中で唱えた。
チェロを弾く女性の首に、小さく光るものが飾られている。それが、淡く輝いているように見えた。
アンは、ポケットの中からマッチを取り出し、火を点した。それを部屋の中に放り投げ、扉を閉じ、「封じ」をかける。
部屋の中を、爆発音と共に火炎の渦が舞った。粉塵爆発。一定量の微粒子が空間を占めている時に、小さな火炎を放つと、その空間全体の微粒子に次々に引火して、爆発を起こす現象である。
アンはドアレバーを握ったまま、扉だけに展開していた結界を拡大し、部屋一つを包んだ。そして、小さく圧縮するように火炎を閉じ込める。
再び扉を開け、部屋の中の邪霊が消えている事を確認した。
床には、焼け焦げているチェロと弓、そして、女性が首にかけていた小さなペンダントがある。
ペンダントを手に取ると、熱以外の、とても温かいものが流れてくる。
あの女性がチェロを弾き続け、死霊達をこの部屋に留め続けた理由。
それを推し量るには、まだアンの心は未成熟だった。




