エムとターナの奇妙な日常2
目の前に開けた光景は聞いていた通りだった。日に焼け乾燥した大地は罅割れ、時々思い出したように岩の如き巨大な木の枝が転がっている。
風は強く吹き付けて来るが、水辺らしきものは何処にもない。
「このまま北西に進むと『灰沼井戸』って言う村がある。住民はみんな妖精だって言う話だけど」
読み込んである地図を思い出しながら、ターナが言う。
エムも地図を見て荒野を歩きながら呟いた。
「こんなにカサカサの場所で……どうやって水を操ったりするんだろう」
「地下水があるとかなのかな?」と、ターナ。
「うん……。だと良いけど」
エムはそう返し、伸ばした襟元で口を覆った。
太陽が出ている間、ずっと荒れ地を北西へと向かうと、途中に、おかしな四つ足の動物に乗っている人物に出会った。
その人物は、日光を遮る大きなつばの帽子と布で顔を隠しており、片目しか見えない。
四つ足の動物の体の、左右に取り付けられた瓶から水のにおいがしたので、「水売りさんですか?」と少年は聞いた。
「そうだよ」と、案外人を嫌う風でもなく顔を隠した人物は言う。
エムは水筒一杯分の水を買う時、灰沼井戸の場所を聞いた。
「あの辺りは、ちょっと物騒なことになってる」と、水売りは言う。「誰かが『炎の戒め』を破ったらしいんだ」
「戒め?」と、エムは復唱した。
「ああ。この辺りでは、『火』の能力を使うと、大地に魔力を吸い取られる。だから、決して『火』の魔術は使わない。それを誰かが破ったらしい」
水の詰められた水筒を受け取り、エムは代金の宝石通貨を払う。
「灰沼井戸の辺りで、誰かが『火』の魔術を使ったんですか?」
「そうなるね」と言いながら、水売りは代金を数える。料金が合って居る事を確認し終えると、「とにかく『ご注意』を」と残して、乗っていた獣の尻を軽く鞭で叩いた。
水売りと分かれた後、エムは真っ平らな大地の皹に足を取られないように先に進んだ。
風がうるさく渦を巻き、赤い砂がざらざらと顔を撫でる。さっきの水売りが布で顔を隠していた理由が分かった気がした。
ターナと方向の確認をしながら歩いていると、やがて夕日が水平線に迫った。そろそろ野宿の準備をと思っていた折、崖を登った先で小さな園に出会った。
そこだけ異空間のように草木が芽吹き、季節外れの花が咲き、水が小さな噴水になって湧き出ている。
「すごい。けど……」と、エムが言葉に詰まると、「どうなってるの?」と、ターナが疑問の先を続けた。
園の中に踏み込むと同時に、空気の中の砂っぽさが消えて、花の香りが立ち込めた。
様々な樹木が花をつけ、成熟した果実を誇る香りを漂わせている。
整地された畑と思われる場所にはガマと言う植物によく似た、焼き立てのパンが生えていた。そのパンも、砂糖とクリームがふんだんに練り込まれているような香りを放っている。
エムは強烈な芳香で眩暈がしたが、ターナはそんな事は気にならないと言う風に、絵に描いた楽園とでも言い表したくなる園を、きょろきょろ見回していた。
園の中に生えている木は、どれも赤や黄色やオレンジに熟した実を付けていて、その向こうから、こんがりした匂いがしてくると思ったら、あちらこちらで焼かれた豚や鶏が歩いている。
園の真ん中にある泉から溢れている液体は、水ではない。ほんのりと金色で、白ワインそっくりのにおいがする。
ユーモラスなような、奇妙なような不思議な感覚をエムは覚えた。既視感とも言える。清掃局で受けた学習の中で、この風景によく似た絵を見たような覚えがあった。
それが何の絵だったか思い出そうとしていると、「エム」と、ターナが怯えたように呼んだ。
ターナの指さした先で、地面に大きな皿が置かれている。自分の足で歩いている焼かれた豚は、何かに招かれ、その皿のほうに歩いて行くと、皿の上にぱたりと横たわった。
途端に、姿の見えない何者か達が、豚の脚を掴み、首を切り落とし、皮膚と内臓を切り開いて、肉を食べ始めた。
血は一滴も零れない。豚の内部は、しっかりと火が通されて、じくじくと肉汁を滴らせている。
命の所存が分からない焼かれた豚は、切り裂かれた内臓の内側に、香りのよいハーブと大量の野菜のスライスを抱え込んでいた。
火の通った甘ったるい玉ねぎのにおいがしてきて、エムは思わず口と鼻を塞ぎ、園の出口の方に駆け出した。
後ろの方から、人とも精霊とも妖魔ともつかぬ、何かの声が呼んでいる。こっちへ来いよ、一緒に食べよう、酒もあるんだ。甘く囁く声はそんな事を言っている。
エムは逃げる意志のほうが強かったが、突然足が止まって、転んだ。丁度、姿の見えない誰かに足首を捕まれたように。
つーかまーえた。と言う、やはり優しく囁く声がする。
その何者かが、エムを園の真ん中に引きずって行こうとする。
エムは地面の草を掴み、脚を掴んでいる者を振りほどこうとした。反射的に振り返った時、その姿の見えない者の魂の形が見えた。
宙に浮いたターナが、エムの脚を掴んでいる者の指を、エムのブーツから引き剥がす。
ターナの霊体も掴まれそうになったが、それより一瞬早く少女は身を翻し、体勢を立て直した少年と一緒に、園の外に逃げた。
園の外に出てしばらく走り、振り返ると、まるで燈っていた火が消えるように、小園の風景は風の吹く荒野の中へ消え去った。
「何だったんだろう……」と、ターナは呟いた。
「エルフだった」と、息を切らせながら、エムは答える。「エルフの亡霊だよ。たぶん、戒めを破った者達だ」
「豚や鶏を、魔術の火で焼いたから?」と、ターナ。
「そこまでは分かんない。だけど、意味のない幻って言わけじゃないと思う。それより、方向……どっちだかわかる?」
エムは、すっかり真っ暗になっている荒れ野を見回した。暗い空では星明りが明瞭だ。
「月が出る時間に成らないと、ちょっと分からないかも」と、ターナは言ってから、「それとも、北極星を探す?」と聞き返した。
「やってみよう」
そう言って、エム達は大熊座を探し、その側にあるはずの小熊座を見つけた。




