30.選ばれた子
応接室のテーブルは、木目も荒く、さほど良い物と言うわけでもありませんでした。あまり磨いていないようで、ニスを塗られた木の表面は剥がれて、内側のスカスカの部分が一部見えています。
カーテンは真新しく上等ですが、その内側にある壁紙は安っぽくて、日に焼けて黄色く変色しています。
ソファは、幾つかスプリングが壊れているらしく、座った感覚は凸凹で、やけにギシギシ言いました。
出されたお茶も、香りが薄くて水っぽく、「粗茶」と言う言葉が誉め言葉に聞こえてしまいそうです。
時々、目をぎょろつかせるように合わせる夫婦は、落ち着きがあるとは決して言えない様子でした。
まだ旅の装束を解いていないヤイロの背後には、老齢ながら屈強な執事が佇み、部屋の中の粗悪な調度品を、「なんでもないように」観察していました。
「それで、ササヤとサクヤは何処に?」と、ヤイロ・センドは、クオリムファルンの言葉で聞きました。「彼女達の扱いについて、あなた達は『困っている』と言っていましたね?」
「それはそうです」と、ササヤ達の父親は言います。「生まれた時から、本当に、困った子で……」
「その子達を、引き取りたいと言う事に関しては、何か反論が?」と、ヤイロは穏やかに訊ねます。
「いえ、その……」と、父親が言葉に詰まると、「あんまりにも、ご迷惑になるのではないかと」と、母親が間をつなぎます。
「迷惑などと言う事はありません。彼女達は、私と、私の父が探していた『答』なのですから」と、ヤイロは言って、肩をすくめてみせました。「さぁ、ササヤ達に会わせて下さい。家に居るんでしょう?」
ササヤ達の父親と母親は、また目をぎょろつかせて見合わせました。
「もしや、居ないと言う事は?」と、ヤイロは問い詰めます。
「いえ、いえ、居ますとも」と言って、父親は母親に手で指示を出しました。
母親は、やはり落ち着きも無く別室に行きました。
沈黙が応接室を覆います。
ですが、ヤイロは沈黙を許しません。
「ササヤは、どのような子ですか? どんな所に困って、ササヤと触れ合うために、どんな工夫をしましたか?」
「ササヤ達は……」と、父親が言おうとするので、ヤイロは片手を差し出し、父親の言葉を切らせました。
そして言います。「私は、最初にササヤの事が知りたいのです。ササヤ・レイマークはどのような子ですか?」
ササヤの父親は手を組み、指をもぞもぞと動かしてから、「気味の悪い子です」と言いました。
「私達は、何度も、普通の子供として触れ合おうとしました。ですが、ササヤは何時も言うのです『嘘吐き』と。サクヤがいくら止めても、ササヤは常に私達の何に『嘘』があるのかを唱えていました」
「実際に、ササヤに対して嘘を吐いた事は?」と、ヤイロは聞きます。
「嘘と言うなら……嘘を吐いていました」と、振り絞るように父親は言います。「愛している、お前のためを思っていると」
「それが嘘だと認識できるほど、貴方はササヤに対して悪意を持っていたのですか?」と、ヤイロは言います。
考えるような間を置いて、「悪意と言うか……恐怖を抱いていました」と父親は答えました。
「彼女は、まるで、悪魔がそこにいるような気配を纏っているのです。私達夫婦は、常に脅かされていて……」
父親がそこまで言いかけると、応接室のドアが開きました。そこには、小奇麗に着飾った、褐色の髪の双子の女の子が居ました。
「ササヤとサクヤです」と、母親は緊張した表情で言いました。
ヤイロは目を伏せ、「そのササヤとサクヤには、私は用がありません」と答えました。
そしてソファから身軽に立ち上がり、「養子をお迎えになったのなら、その子達を大切に」と言い、執事を連れてレイマーク家を去りました。
帰り際の道中、ヤイロは執事にぼそりと言いました。「『答』に辿り着くには、まだしばらくかかりそうだな」と。
片手に卒業証書を持ったガルムは、いつも通りに、眠った切りの姉の見舞いに来ていました。
その青い瞳は、カラーコンタクトレンズである事が分からないほど、彼の目元になじんでいました。
「ガルム君」と、声をかけられて、ガルムは、またちょっと驚いたように声の方を見ました。そこには、ガルムよりだいぶ背の高い、タイガが居ます。
「君付けはやめて下さい」と、ガルムは苦笑いしながら言いました。「ねーちゃんから呼ばれてるみたいで、びっくりするから」
「ごめん」と応じ、タイガも然程悪びれていないように、口の端を笑ませました。それから説明をします。
「前も言ったけど、君はこれから、予備軍に入って勉強をすることになる。順調に学習が進めば、来年には正式入隊できるはずだ。何の能力が伸ばせて、どの隊に配属されるかは、予備軍の間に決定される」
「はい」と、ガルムは目的を得た者の持つ、明瞭な声で答えました。「タイガさんから見ると、ねーちゃんって、どんな人でしたか?」
タイガは突然の質問に、目を瞬かせました。
「とっても頼りがいのある人、かな」と答え、「君にとって、お姉さんはどんな人?」と聞き返しました。
「とっても頼りがいのある人、ですね」と言って、ガルムはタイガと横眼を合わせ、声を押さえて含み笑いをしました。
ターナは霊体と魂しか存在しない女の子です。そのため、彼女は肉体の生命活動に左右されない、特別な感覚を持っていました。
そのターナには、不思議な師匠が居ました。彼女と同じで、霊体としてしか存在しないのに、魔力を操り「仮宿」に住むことのできる人物です。
紙の人形に宿る時、彼は異国の服を着て、褐色の肌と黒い瞳を持った青年の姿になりました。
ターナはその人物から三年間特訓を受けて、一通りの術を覚えました。彼女の姿を見通す事が出来る、相棒のエムも、他の人から術を教えてもらって、夫々自分の能力を活かして働いています。
彼等の所属は、彼等を引き取ってくれたファルコン清掃局です。
ですが、彼等はファルコン清掃局のユニフォームである、迷彩服を着る事を望まれませんでした。
まだ見た目が子供である事を活かして、普通の世界になじみながら、密偵として働いているのです。
その日は、ファルコン清掃局への「出勤」を求められました。新しい仕事が舞い込んできたのでしょう。
水たまりを避けながら歩む、エムの足元は、雨水に汚れています。その背中の方は晴れ始めておりました。
エムの肩につかまるように、空中に浮いていたターナが、後ろを振り返り、エムの肩を叩きます。
振り返った二人の目に、綺麗な弧を描く鮮やかな虹が見えました。何処からか、チェロの旋律が聞こえてきます。
「タユタの『虹へ向けて』だ」と、エムは曲名を言い当てました。
二人は顔を見合わせて笑顔を浮かべ、また、虹に背を向けて歩き出しました。




