24.町並みの言葉
休暇を取って居たアンが、ドラグーン清掃局に来た。
出勤する時に何時も着ている黒いロングワンピースではなく、ピンク色のチェックが入ったチュニックと、水色のロングスカート姿で、小型のリュックサックを担ぎ、サンダルをパタパタ言わせながら。
ネリアは、受付嬢にアナウンスで呼び出された。
待合室で、そのカラフルな人を見た時、一瞬、誰かと思った。
普段着姿の白い髪の女の子は、朱に近い緋色の瞳を笑ませて手を振ってきた。
「あ……。あー、アンか」と、黒服のネリアは言って、息を吹くようにフッと笑う。それから、「黒以外を着ると、全然違うね」と、同僚に声をかけた。
「いやー、私も私服で此処に来る日が来るとは思わなかったよ」と、アンは整えてある髪の毛を崩さないように、指先で頭を搔いて見せた。「ちょっとしたお願いが、個人的にあってさ」
ネリアが話を聞くと、最初の一ヶ月の休暇中に、アンは旅行に行って、その先で意味深長な占いを受けた。
しっかり魔力で精査されている高等な術を使った占いだったのだが、その結果の中で気にかかる所がある。普段のごちゃごちゃしているアンの頭には考えが及ばないような事らしいので、意識の中の調査を頼みたい、と言う事だった。
「はいはい。内容は了解した」と、ネリアはメモを取りながら、何回かアンの顔や仕草を見る。そして言う。「うん。だいぶ、意見分かれてるでしょ?」
「分かる?」と、アンは手をもじもじさせながら、空恐ろしいように言う。
「分かる」と、ネリアは答える。「何人か、自分の意見こそ、アンのお眼鏡にかなうって、主張してる人達がいる。まず、彼等の意見を聞いてみましょう。そうだな。心霊室に行こう。部屋空いてるはずだ」
ドラグーン清掃局の清掃員達は、大体の場合、即断即決である。
アンも事がサクサク進むのは慣れているので、「はーい」と返事をして、ネリアの後に従った。
薄暗い真四角の部屋の四隅には、ほんのりと黄緑色に光る魔力の明かりが燈っている。明かりから壁を伝い、滴るように光が床に零れ、その光によって部屋の床一面には複雑な魔法陣が描かれていた。
扉を開けて中に入ると、湿度の高い温室の中に入ったような、むわっとする魔力が部屋に満ちている。決して嫌な気配ではないが、長時間その場に居たい所でもない。
ネリアは部屋の札を「使用中」に切り替えて、壁際から背もたれのある椅子を持って来くると、魔法陣の真ん中にそれを置く。
「じゃぁ、此処に座って、リラックスして」
「リラックス……」と言って、アンは局員にしか分からない理由で、浅く苦笑する。
この魔法陣の中で、術をかけられながら、緊張状態にならない者はいない。この場でリラックスすると言うのは、丁度、緩めのシャワーを頭から浴びせかけられながら、「深呼吸をして」と言われているようなものなのだ。
「何? 自信ない?」と、ネリアはからかう。
「いや? そーんなことはないよー?」と言いながら、アンは椅子にぽんと腰をかけ、背もたれに背を預けて目を閉じ、仕事中にいつもやっている、ゆっくりとした呼吸を始める。
「じゃぁ、三つ数えたら、『内側』に行くから。ちゃんと付いて来て」と、ネリアはアンの背後に回って相手の頭頂部に手をあて、カウントダウンをする。「それじゃぁ、三、二、一……」
アンは、頭の上でパチンと風船が割れたような感覚がした。
「もう良いよ。目を開けて」と、目の前でネリアの声がする。目を開けると、ネリアとアンの輪郭は朧な気体のようになり、白い空間にゆっくり沈んで行っている所だった。
「町の方向は?」と、ネリア。
アンは沈んで行っている空間を見回し、一方を指さした。同時に、ネリアの手を掴む。二人の意識は、アンの意識の集中した場所に、瞬く間に引き込まれた。
ドサッと言う、地面に体の落ちる感覚と共に、ネリアとアンは町の路地に着地した。
ネリアは通りを見回す。
「憑依塔と、廃屋風映画館と、骸骨路面電車」と、景色を見て言う。「うん。なんか、アンの頭の中っぽい」
「そんなに私はゴート式好きに見えますか?」と、アンは嫌味を飛ばした。ネリアは答える。「いや、単純に、こう言うのが普通だと思ってそう」
アンはしばらく反論を考えたが、「まぁ、それで良いわ」と声を返して、「それで、誰から話しかけに行く?」と聞いた。
通りすがる人みんなに話しかけていると時間が足りないので、「お眼鏡にかなった意見」を言っていると主張している人々に重点的な聞き取りをした。
まずは、パン屋の主人。
「十四年前からの事って言えば、憑依塔の周りに、赤い炎が見える時があるんだ。きっと、何かの前兆に違いない」と言う。
それから、花屋の娘。
「この町に越してきてから、毎日同じような夢を見るの。大きな波が町を呑み込んじゃう夢」と、言って、彼女もそれが何かの前兆かも知れないと疑っていた。
その後に話を聞いたのは、制服姿のジュニアハイの男の子。
「地震があった年に生まれた子達は、みんな『ガルム』に嫉妬してる。アンから、ちゃんと名前を呼んでもらえるからって。アンがガルムだけを弟だって思ってるのを、嫌ってる子もいる」との事だった。
その次は町長の所へ行った。
小太りで背の低い、団子鼻の町長は、黒地に白い柄の入った背広を着て、懐中時計をパチパチと開けたり閉めたりしていた。
「町の皆さんの言葉は聞いてみましたか?」と、町長はアンに問う。
「はい。何人かは」と、アンは答えた。
町長は満足したように、「それでは、私の推論をお話ししましょう」と言って、襟を正した。
深い水の中から抜け出すように、ネリアとアンは自分達の体の中に戻ってきた。
術を使っている間、硬直状態だったネリアは、アンの頭から手を離して、軽いストレッチをする。
アンは目を閉じたまま動かない。意識が定着するのが術師より遅れているのだろう。
「うおっ!」と言う声を発しながら、アンは目を開けた。「いやー、まさかなぁ……」と、突然呟き出す。
「何?」と、ネリアが聞いてあげると、「ガルム君が、同い年の男子に嫌われていたとは」と、アンは言う。「特別扱いした覚えはない……と言いたいんだけど」
「私立のジュニアハイに通ってるんでしょ? あの町の子達からしたら、十分特別扱いされてるよ」と、ネリア。
さっきの少年が公立のジュニアハイの制服を着ていたのを覚えていたのだ。
アンは腕を組んで、ぶつぶつ呟き続ける。
「それにしても、『波が近づいている』ってどう言う事?」と。
さっきの町長から聞かされた言葉だ。
「大きな、大きな波が近づいています。新たな地震が起こり、巨大な波が町を襲います。その時、我々が、この町が、どうなるのかは分かりません。しかし、アン・セリスティア。貴女は生き延びるでしょう。そして、新たな世界を見る事になります。決して、挫けてはいけません」
町長はそう言って、アンに懐中時計を渡した。
「十二の刻が刻まれる時。それが、その時です」と言って。
その時、アンが見た懐中時計の針は、十時十分を指していた。




