18.天国か地獄か
体の至る所に傷のある兵士が三人、死にそうな状態で駐屯地に戻ってきた。
一人は失血死しかけており、顔は蒼白で、片手の指が二本無かった。傷を心臓より上の位置に持って行くと言う動作も出来ず、駐屯地に辿り着いた後も、彼の切られた指からは大量の流血が続いていた。すぐに状態回復の処置がとられ、救護班での輸血が成された。
もう一人は、特に片脚の太腿の神経を何度も刺されており、脚が麻痺し、歩行困難になっていた。それでも、木々につかまりながら、何とか仲間の居る場所まで帰還した。
最後の一人は、頬や手腕に浅い傷がいくつもあったが、外見上、一番軽傷だった。しかし、大きく開いた目は焦点が定まらず、無表情で、口の端が少し引きつっていた。そして、切り刻まれた衣服は血で真っ赤になっていた。
先行部隊の他の隊員がどうなったかを、三人は問われた。初めは、彼等は何も語らなかった。その代わりに、伝言を伝えた。
「蜂蜘蛛に手を出してはならない。彼等の安全を害す事は許されない。攻撃者は許さない」
そこまで他の二名が言うと、呆けたような表情をしていた最後の一人が続けた。
「天国になど、逝けると思うな……」
そう告げてから、青年は真っ赤になっている自分の手を見つめ、押しつぶすように心臓の辺りを握りしめた。息が急速に細くなり、喉を鳴らして体を震わせ、苦しみ始める。
「酸素吸入を! 発作を起こしている!」と、青年の様子を見ていた兵士から、声が飛んできた。
吸入ボンベが到着する頃、既に青年の呼吸は止まっていた。状態回復の他、心臓マッサージと人工呼吸の処置がとられたが、青年の呼吸が回復することは無く、拍動もやがて止まった。
生き残った者のうち、脚の麻痺だけで意識がはっきりしてた兵士が、何故一番軽傷だった青年が突然死したのかの理由を尋ねられた。
「殺され続けたんだ」
痛々しいものを思い出すように、彼は言う。
「三人、拷問者の判断で、アウトになった。そいつ等の首を刎ねた後、そいつも必ず刺された。
喉を切り裂くなんて言う、簡単な方法じゃない。表皮を何度も切り付けて、失血死直前まで追い込んで回復させたり、俺と同じように……いや、両の脚の神経を、何度も何度も切りつけられたり、生きたまま内臓をナイフで抉って掻きまわされたり。
あれだけのショックを受けて、まともに生きていられるはずがないんだ。そいつが、ここまで辿り着いたのも、奇跡みたいなもんだ。
あんな奴を……あんな女を救う意味なんて、無い。蜂蜘蛛に操られてる? 冗談じゃない! あの女は、確実に自分の意思で拷問を行なっていた。参謀からの指示は? 一体、どうなってる?!」
兵士は叫び、横たわった寝台を拳で殴った。
駐屯地の上空。箒に乗ったまま梢に隠れているアンは、事のあらましを知って、どうしたものかなぁと考えてみた。
蜂蜘蛛から霊媒さんを助け出す必要が無くなれば、引き下がると思ったけど、ちょっと霊媒さんがやりすぎたかなぁ。傷めつけられて心が壊れるような、繊細な人が兵士になんてなるもんじゃないな。
心の中でそう呟くと、アンの頭の中はごちゃごちゃし始めた。
共存者達の中で意見が分かれているらしい。
「可哀そう」「拷問は良くない」「分からず屋には拷問くらい必要だ」「回復が追いつかなくした意味はあるの?」「許さないためだろ」「人間は時に許せない事がある」「だけど可哀そう」
うるさくなった頭の中を落ち着けるように、スーッと深く息を吸い、三秒とめて、ゆっくり吐き出す。意識の中の「みんな」も、強制的に深呼吸をすることになり、頭の中は静まった。
済んだ事は仕方ない。とりあえず、邪霊が生まれないように、あの屍から来る者は浄化しておこう。
アンがそう判断するのとほぼ同時に、窒息死した青年の体から、黒い煙がもやもやと上がってくるのが見えた。
「即断即決」と述べて、アンは片手の人差し指を上げ、指の周りに小さな青い魔力の輪を作った。光の輪を飛ばすように、黒い煙を指す。
空の、ある高さから周りに広がろうとした邪気を、その小さな結界で括りつけた。浮遊したまま結界に近づき、光の輪を、浄化の力を込めた指ではじく。
邪気は形を得ることは無く、質感は煙のまま白く色を変えた。結界を解くと、白い煙はやがて形が滑らかな人間の姿になり、不思議そうに周囲と自分の手を見て、目を瞬いた。
「辛いことは、忘れなさい」と、アンは人型の煙に言う。「天国や地獄って、本当にあると思ってた?」
何処かから、犬の鳴く声が聞こえてくる。ワオンワオンと言う、力強い声。
「ほら、あっちの方で、呼んでるよ」と、アンは地の果てを指さす。そこには、昇りかけている三日月が見えた。
月は、どんな人間にも分かる異なる世界のへの入り口。それが少しだけ扉を開けている。
「トラン!」と、青年の霊は呼びかけると、吸い込まれるように月の中に姿を消した。
約二十四時間をかけて、タイガは中枢システムに記録された蜂蜘蛛のデータを引き出し終えた。
何回か、深層のデータまで探る必要があり、その度にハッキングを仕掛けては、データを汲みあげて、セラに知られないように封をしておいた。
通信兵としての技術面ではタイガのほうが長けているが、セラほどの執念深さがある人間に、「侵入した形跡を悟られないようにする」のは、一苦労である。
引き出した捏造データは記録装置に焼き込み、以前タイガ本人が集めた本物のデータも別の記録装置に焼き込んだ。
後は資料を作って会議に提出して、データの偽装工作がされている事を証明して……と、考えて、頭がくらっとした。
流石に、コーヒーと砂糖しか摂らない状態で、一昼夜眠りもしないと言う難業は、まだ十代の彼にも体力的にきつい。
だが、カオンのストーカーである、セラに気づかれないうちに事を進めるには、休んでいる暇はない。戦線のほうの情報を断っていたので、現場がどうなっているかも気になる。
大切な記録装置と、これまでの「ソミーの日記」を纏めた水晶を手に、タイガは医務室に足を運んだ。
ノックをして医務室に入ると、白衣姿のガートが居る。そろそろ前線に出る事を期待されなくなってきたガートは、ここ最近、医務室の担当をしているのだ。
若い兵士の教育に熱心な彼は、リオン先生と呼ばれて、割かしと新兵達からの信用も厚い。
「なんだ? 目の下にアイシャドウでも塗ったか?」と、ガートは揶揄ってくる。
「うん。その通り」と、タイガはふざけ返した。「ちょっと、『回復』をかけた後で、十時間程度の『保存』をお願いしたいんだけど」
「自分でやれば良いじゃないか」と、ガートは冗談を言い続ける。
「その余力があったら此処に来てない」と、タイガも苦笑いしながら返す。
「それはそうだな。じゃぁ、其処に掛けてくれ」と、軍医術師は言う。
診察用の椅子にタイガが腰を掛けると、ガートは防護用の手袋をした手で、患者の両肩を掴むように手をかけ、状態回復と状態保存の力を送り込んだ。




