17.冷たい刃
捕えられた六人は、後ろ手と両足首を縛られ、水浸しの地面に転がっている。降っていたのは酸の雨のはずだが、地面を流れるそれは身を侵食しない。
捕虜達は、自分達の周りを囲んでいる子供達が「異様な気配を纏っている」事を察していた。その気配は見る者を怯えさせ、恐怖からの攻撃衝動を掻き立てさせる。
手足を拘束された状態では、その攻撃衝動を何に向けたら良いのか分からず、自分達を見張っている子供達を見つめたまま、寒気を覚えているように歯をガチガチと鳴らした。
彼等以外の先行部隊十三名は、戦死するか逃走した。
酸の雨の中を突っ切ろうとして、重篤な状態になり、息絶えた者も居れば、人間の体が溶けていくのを目の当たりにして、恐怖に憑りつかれ、逃げ出した者も居る。
遠距離から、岩山の各所に銃弾を向けた者も居たが、その者は突然「奴等が見ている」と言い出して、駐屯地の方向とは全く別の場所に向けて逃亡した。
捕虜の中でも比較的冷静さを保っていた者は、逃亡した兵士が言っていた「奴等」と言うのは、この子供達の事だろうか、と言う所まで頭を働かせられた。しかし、子供達が自らを守るための邪気を発していると言う所までは気づけなかった。
「霊媒さん」と、見張っていた子供の一人が、傍らを見上げて言う。
岩山をぐるりと回って下りて来た霊媒は、手の合図で、子供達を引き返させた。皆、住処への直線的な道が分からないように、バラバラに岩山の裏に回って行く。
子供達が居なくなってから、霊媒は穏やかささえ浮かぶ無表情な視線を敵に投げかけ、問う。「お前達は、何のために此処に来た? 武器を持って、防具を身に着けて?」
「○○○。お前、やはり憑りつかれて……」と、捕虜の一人が言葉を発した。霊媒には、最初に聞いた言葉は、意味不明な音の羅列にしか聞こえなかった。
「お前、と言うのは、私の事か? 生憎、私には、武器を持って押しかけて来る知り合いは居ないな」
霊媒はそう言って、よく磨いてある鋼鉄製のナイフを、捕虜の首の下にかざした。
「余計なおしゃべりはするな。此処からは、我々の意思のみを伝える。誰かが私に反する度に、そいつから首を刎ねて行く。チャンスは五回までだ。六回失敗したら、お前達の味方をする者は全て、おびき寄せて、骨が見え、内臓が爛れ落ちる程にドロドロに溶かしてやろう」
捕虜達は全員硬直した。息をするのも苦しいような緊張感が走り、皆、悲鳴は震える唇の中に押し殺した。誰かが怯えて叫び出しでもしたら、そいつはアウト。
此処に居る六人が全員殺されたら、捕虜にする者に利用価値は無いと見なされ、隊や、隊を派遣した国の誰か達まで脅かされるかもしれない。
しかし、捕らえられた人間が咄嗟に思い浮かぶのは、「偉大なる国王」でも、「何万人もの国民」でもなく、故郷に残してきた愛しい者だけだった。
その事が、「魔神」の存在を最初に視野に入れた青年、ウランを冷静にさせた。彼が愛しかった者。それは、彼と十六年間を共にしてくれた、飼い犬「トラン」だけだったのだ。その飼い犬は、彼が徴兵令に従った次の年に、老衰で死んだ。
「トランは、貴方が大人になるのを、待っていたのよ」と、庭に作られた飼い犬の墓の前で、母親は彼に語り掛けた。
しかし、青年は、自分がトランを「一人ぼっち」にしたせいだと、ずっと思っていた。
青年は、泥だらけの地面に転がったまま考えた。
ああ、ようやく、僕はトランの所に逝けるんだ。また、一緒に遊べるんだ。毛皮を掻いてやって、顔をぐちゃぐちゃにほぐしてあげて、一緒に庭に寝ころんで……。
青年は涙を流し、微笑んだ。
その表情の奇妙さを、霊媒は目に止めた。ナイフを青年のほうに向け、「何故笑っている?」と聞く。「答えろ」
「嬉しいから、です」と、青年は答えた。「僕の、一番大好きな者は、もう、この世界に居ないから」
その後、彼はこう続けた。「今まで、誰も殺さなくてよかった」
霊媒は、無表情のまま、ピッと刃を横に振るった。青年の頬に、鋭い熱と痛みが走る。反射的に片目をしかめると、溢れ出た涙と血液が混ざって、ドロドロした地面に赤黒い水滴が落ちた。
「痛いだろう?」と、霊媒は脅迫する。「ルールを変える。お前は、一番後だ。誰かが失敗する度に、そいつの首を刎ねるのは変わらない。その時、お前にも傷をつける。殺意が湧いて、それが潰える程に」
多くの戦闘と攻撃と殺傷、そして敵からのそれ等を退けて来た者による、宣告がされた。
「トランと言うものと、同じ場所に逝けないくらい、傷めつけてやろう。そうだな。悪魔と契約したくなるくらいが丁度良い」
ウラン青年は、黙った。黙って、目を閉じた。
軍に入隊した後、一通りの訓練を受ける。ナイフの扱い方、銃の撃ち方、大砲の撃ち方、戦車の扱い方、そしてそれらの手入れの仕方。情報の扱い方、暗号の作り方と読み解き方、捕虜からの話の聞き出し方。
時に、カメラで監視しながら、一人から複数の人間が様々な話術で「訴訟に必要な情報を揃えるために、それらしい事を話させる」と言う誘導尋問を仕掛ける場合もある。
しかし、霊媒が憶えていたのは話術ではない。
人間の体の何処に、どんな神経と血管が通っていて、何処を傷つければ、より少ない出血でより死なない程度の強い痛みを感じるか。それを味わわせる事で、抵抗や反抗の意思を削ぎ、痛みを与える者に服従させる方法。つまり、拷問だった。
予備軍だった十五歳の頃から、彼女はこの方法を熟知する事を必要とされた。当時の彼女の郷里は戦禍の中にあり、一刻も早い隊の派遣と、一刻も早い「情報の獲得」が優先されたからだ。
魔力を持っていれば、この拷問も、もっと「手を汚さない方法」に出来たかもしれない。しかし、彼女が持っていた力は特殊で、霊的な作用しか起こせない。
何かを癒したり、元々ある何かを媒介したり、何かを清浄化する術しか使えないのだ。戦禍の過ぎた今の世となっては、別の職務にも付けただろうが、「救護班に所属するか、前線に出るか、情報を扱うための知識を蓄えるか」の選択を望まれ、彼女は三つ目を選んだのだ。
情報を扱うための知識、それは「拷問者としての知識」と同意語だと知りながら。
彼女は今、その時の選択は正しかったと認識した。癒すだけでも、鉄砲玉になるだけでも、彼女が守らなければならない物は守れない。
ある捕虜の首にナイフをかざし、霊媒は問う。
「まず、三つ聞こう。お前達は、何を知っている? お前達は、何を隠している? 何故、我々を狙っている?」
喉にナイフを添えられた者が、口にたまった唾も飲めないまま答える。「蜂……蜘蛛が……危険である事……を、知っている」
霊媒は、無表情のまま、その捕虜の指を一本切り落とした。そして地面に落ちたそれをナイフの先で突き刺し、本人の目の前に持ってくる。
恐怖と苦痛に呻く捕虜と、切り取った指越しに視線を合わせ、霊媒は落ち着いた声で述べた。「返答はよく考えろ」と。




