16.信仰と言うもの
「デニアスからソミーへ。姫を狩る盗人が城に向かった。アラムは盗人を毒している。アラムの目的はビルティの退学だ。アラムはビルティが白紙になると信仰している」
暗号通信を受け取り、ソミー事、ノリスは住処で苦い顔をした。
情報が遅すぎる。その上、内部事情としては「セラがカオンを取り返すために、情報操作をしている」と言う犯罪が起こっている。
男達の、なんと身勝手な事、そして使えない事は……と、ノリスは肩を落とし、通信に答えた。
「ソミーからデニアスへ。子等の一人が殺傷された。姫と子達は城に籠っている。城は守られている。生徒達はよく働く。これより、盗人達に縄を与える」
その通信を送ると、デニアスことタイガは文章を読んでから素早く返事を送ってきた。
「罪人達と交信を。罰する前に。盗人達は誤った目標に進んでいるだけだ」
「それを私達がやっても意味がない」と、ノリスは返答する。「私とビルティは、姫達に毒されているとされているんだろう?」
しばらく、考えるような間を置いてから、タイガは綴って来た。
「大学での情報を精査する。教授達に事実を告げる。それまでの時間を耐えてくれ」
蜂蜘蛛に関する情報の管理責任者だからと言って、セラを通して中枢システムに情報を記録していたのは大きなミスだった。
ノリスと情報交換をしていたのは、タイガのみ。ノリスが「正常な状態である」と確認していたのも、タイガのみ。その、一人しか知らない唯一の情報を書き換えるなど、中枢システムへの侵入権を持っている者には容易かった。
故に、セラの暴走は始まってしまったのだ。「自分だけが操れる情報」と言う蜜を得てしまったために。
「デニアス。しっかり働けよ」とだけ、ノリスは返事を返し、通信を切った。
人間の子供達の仕掛けた罠を、固定する作業をしている間、霊媒の頭の中に、不穏なイメージが届いた。予言をするときに降りてくるイメージと同じだ。
壁がコーラルピンクをしている白い部屋の、白いベッドに霊媒は横たわっている。そこに、見た事のあるような無いような男が、花束を持って訪れる。
茶色いウェーブのかかった髪を短く切って、墨色の目をした、口の端にイボようなホクロのある男だ。
霊媒は男と親しげに会話をして、自分は狂っていた、病んでいたのだと言って、男に理解を求める。男は霊媒の頭を撫でて、過去の事だと言って宥める。
男の背後には黒々とした闇が潜んでおり、その顔は狂気の笑みに歪んでいる。背後の闇の中に霊媒を引き込む意図を隠そうともして居なかった。
ゾッとするような、気味の悪いイメージだった。
霊媒は、罠の固定を終えると、今湧いたイメージを「叶えないため」に、住処の奥で通信をしていたノリスに相談に行った。
愛情とは偏った執着である。確か、異教の「神聖なる人物」が残した教えはそんなものだったはずだ。
愛情が美であるとされる、この国で使う「愛」と言う言葉を、異教の言葉の「愛」に変換したのは、語彙が少なかった時代の誤訳だろう。
霊媒から、降りてきたイメージを聞いたノリスは、そんな事を考えてから、「その男は、この住処の事を、間違った情報で自分達のお偉いさんに伝えてるんだ」と、霊媒に告げた。
「じゃぁ、あのイメージの男は、実在するの?」と、霊媒は怒りを抑えられないように聞く。「そいつが、女王や赤ん坊達を殺そうとしているって事?」
「呑み込みが早いね。その通り」と、ノリスは言う。「霊媒。貴女が、この住処に来る以前に、前の世代の女王は、大きな争いで『国』を失ったでしょ?」
「何故それを知ってるの?」と問われ、「子供達から聞いた」と、ノリスは方便を言う。
それから霊媒にこう教える。
「その気味の悪い男は、当時の事情を知っている者達に、今の国の女王や赤ん坊達が、もっと凶悪になって生存しているとでも、言いふらしているんでしょう。
その男が狙ってるのは、貴女の存在。だけど、この国の存続には、貴女は不可欠。
気味の悪い男の思い通りになんて、ならなくて良い。私も、貴女と一緒に、この小さな世界を守りたいから」
「ノリス」と、霊媒は呼びかけ、震える声で告げる。
「私、自分の名前が思い出せないの。今まではそれで良いと思ってた。だけど、思い出さなきゃならない。この世界を過去にするためにじゃなくて、私が本当に自分の意思で、此処に居るんだって、信じるために」
「ええ」と、ノリスは相棒を落ち着かせるように、穏やかな声で答える。「ゆっくり、思い出して行こう。難事が去って、午後のお茶を飲めるようになったら」
霊媒は食いしばるように結んでいた口元を笑ませ、目に涙を浮かべる。ノリスは、彼女に歩み寄り、その背を撫でた。
発端がなんであれ、今の霊媒を支えるのは、自分の愛しいものを守る強い意志。「愛しい」と言う言葉は、意味を「慕わしい」と読む。愛しい者は、親愛なる者と言う言葉だ。
霊媒――カオン――にとっては、蜂蜘蛛も子供達も、もう二年も三年も一緒にいる、列記とした家族なのだ。
何もなかった岩山の中で、女王を守り、その生活を助け、女王から生まれた卵、幼虫、蛹、成虫……それらの成長過程をずっと見守ってきた。
守護幻覚に導かれて集まってきた子供達の存在も、彼女の心を力強く支えていたはずだ。
カオンは、今年で二十歳になるか、もうなっている。昔の法律だったら、後一年で成人年齢。
成長すると言う現象が、年齢の数で、きっかり止まってしまうわけではない。だからこそ、多感な月日を共に過ごした生物を、過去の記憶を取り戻したからと言って見限ったりはしないだろう。
午後のお茶と言う言葉を聞いて、霊媒は「何それ?」とは言わなかった。昔の習慣を、少しは思い出しかけているのかも知れない。
アンの許に、ライムの妖精が飛んできた。「呼びかけようとしたマムナトが肩を撃たれた。反撃を開始。ショラが回復をしている。奴等の手の内は?」と問いかけてくる。
アンはその妖精に、「中央を突破すると見せかけ、右舷左舷に散る。囲まれる前に、術式を」と伝言を持たせて返した。
たかが、剣だの槍だの弓だの魔術だのに頼っている連中に、重装備で向かわせた後方部隊が撤退させられたのを、基地に頓挫している参謀達は納得していなかった。
先行部隊も、途中で通信が途切れ、生存者がいるかどうかも分からない。駐屯地では、確実に正確な情報のやり取りをしていたのに。
「本当に、唯の鉄の剣なのかと思う切れ味だった」と、防弾チョッキを切り裂かれた隊員は語った。裂かれた胸部には、うっすらと切り傷がある。二撃目を受けていたら危なかっただろう。
「術の威力も、普通の人間の力なんかじゃない。唯の火炎球で、ニ人か三人は吹き飛ばされたんだ」と、腕に包帯を巻いて首から吊り下げている隊員が言う。
先行部隊が遭遇したと言う、魔神からの加護があるのでは……と話し合う内容も、アン魔神は梢の陰に隠れながらしっかり聞いていた。
魔神を警戒するのに、声の気配を消す方法も知らないなんてね、と、思いながら。




