14.侵入者
乳搾りの間に山羊が逃げ出し、若い蜂蜘蛛一頭と数名の子供達が、山羊の行方を追った。
それだけで、事は起こった。
既に、蜂蜘蛛の住処の近くまで接近してきた先行部隊が、山羊と接触した。正確には、山羊に突き飛ばされた。まだ血気盛んな若者達で組まれた先行部隊の隊員は、山羊に銃を向けた。
子供達は恐怖を感じて立ちすくみ、住処のほうに走った。
威嚇をやめない山羊に、兵士達は威嚇射撃をする。
若い蜂蜘蛛は山羊を案じ、銃と山羊の間に体を滑らせた。
突然、「体の大きな魔獣」が現れたと思った先行部隊は、威嚇射撃ではなく、殺傷するための弾丸を銃から放った。蜂蜘蛛の固い体にあたって、弾丸は爆ぜた。
それに更なる恐怖を抱いた先行部隊は、闇雲に若い蜂蜘蛛を撃ち、蜂蜘蛛は我が身を盾にしてバチバチと自分の体にあたる物をしのぎながら、山羊に「逃げて!」と声を飛ばした。
子供達が息を切らせて走ってくる。とりわけ足の速い子が、「銃を持った人達が山羊を撃った」と知らせた。次々に追いついてきた子供達も、「山羊だけじゃない。蜂蜘蛛の子も撃たれた」と告げた。
メェメェと鳴きながら、子供達の後を追って、山羊も走ってきた。まるで危険を知らせるように。その山羊の片耳は、半分が銃弾で吹き飛んでいる。
遠くで、蜂蜘蛛の悲鳴が聞こえた。何かに――敢えて銃弾と言う言葉を使わないで言うなら――まるで怨恨の槍で貫かれたような、悲壮な叫びだった。
「やっと死んだ」と、ある兵士が言う。銃撃をやめた兵士達の中で、「何処を撃ったら効いた?」と誰にとなく聞く者がいる。
「腹だ。他の部分と違って、割と柔らかい」と、ある兵士が蜂蜘蛛の体を調べて言う。
「黄色と黒の、どっちに当てたほうが良い?」
「いや、色では判別できないだろう。頭にも黄色い部分と黒い部分があるけど、どっちを撃っても弾かれた」
「じゃぁ、腹を撃ってみて、どの辺が急所になるかを探そう」
そう言って、兵士達が蜂蜘蛛の「亡骸」を蹴ると、ショックから覚めたその蜂蜘蛛は、まだ体を動かし、自分の腹を撃った兵士を選んで、その頭に食いついた。
先行部隊の中に、恐怖からのどよめきが上がる。
若い蜂蜘蛛は反撃の暇も与えずに兵士の頭を食いちぎると、全霊の力を使ったように脱力し、本当に息絶えた。牙の間に、人間の首を掴んでいる姿で。
かぞくがたいへんです。あいつらはきっとみんなをころしにきたんです。やぎのえぬちゃんも、おみみをちぎられてしまいました。にんげんのおねえちゃんやおにいちゃんにだって、ぶきをむけるかもしれません。
だけど、みんなは、ぼくたちをまもろうとしてくれるでしょう。それをりゆうに、みんなもころされてしまうかもしれません。だってぼく、にんげんのあたまをかんじゃったから。
あのひとたちは、ぼくたちがにんげんをたべるんだと、ごかいするかもしれません。だけど、ぼくは、いっしむくいるっていうのが、できたのかなぁ。
しんだぼくのからだをみて、はちくもはにんげんのくびをくいちぎれる、とってもこわいやつなんだって、おもわせられたらいいんだけど。
ぼく、もう、いきがつらいので、このせかいとさよならすることにします。れいばいさん、のりすさん、ずっとおせわになりました。あんおねえちゃん、みんなによろしくね。
ノーラ達と一緒に泉の水を汲む仕事して居たアンは、遠くから飛んできた魂を捕えて、その声を聞いた。
ついに軍が来たと言う事を察し、アンはノーラとノノラに「隠れていて」と伝えると、瞳に魔力を込め、森の何処かに潜んでいるはずの軍人達を透視した。
大部隊と言うわけでもない。二十人程度の小隊が先に進み、その一キロ後方に三十人程度の部隊。その更に後方に、彼等の駐屯所があり、五十人ほどが待機している。
蜂蜘蛛の子と接触したのは、二十人程度のほうの先行部隊だ。
彼等と会話を? と疑問形で考えて、捕虜を得る事が先だと、常々考えていた策を頭の中で再燃させた。
今は、先行部隊に住処を突き止められない事を優先に。
そう考えを纏めて、身を低くしながら、アンは近距離にある森の中を根城のほうに進んだ。
根城にそっと入ると、広間には五人ほどが待機しており、五人ほどが術で遠隔に森の中を調べており、残りの五人は姿が無かった。
「みなさん。集合して下さい」と、アンは広間の壁にかけていた箒を手に取り、声をかける。「軍の一部が侵入してきました」
雇われ人達は、アンと視線を合わせて頷き、広間を離れていた五人も集まった。
アンがテーブルの端を魔力を込めた指で叩くと、蜂蜘蛛の住処を中心にした、一帯の様子が空中に映し出される。
その映像の中に、小隊を組んだ兵士達が映った。
先行部隊は、まだ蜂蜘蛛の住処を見つけてない。しかし、手負いの山羊が走って行った血痕と、小さな子供の足跡を見つけた。住処が発見されるのは間もない。
「先行部隊の中から、捕虜を得ます。その他に、後方部隊と通信を取るため、あなた達の『妖精』を数体送って下さい」
アンがそう言うと、ライムが指先を上に向けて、妖精を召喚した。「なんて伝言を持たせる?」
「武力による攻撃をやめるように」と、アンは言う。「それから、こちらには対話の意思があると」
「そんな言葉で通じるかな?」と、言い出す者はいる。「こっちが反撃できることを先に伝えたほうが良いんじゃ……」と。
「こちらが力を使うのは、対話の可能性を喪失させたことへの『反撃』として、です」と、アン。「先に仕掛ける事も、におわせもしてはいけません」
ライムはアンが先に述べた伝言を妖精に持たせ、根城の外に放った。
遠隔から常に指示を出すことを告げ、アンも箒にまたがると、梢の上まで飛翔して、先ほど探し当てた先行部隊の、行く先に向かった。
十分もかからずに、ライム達の妖精が後方部隊の軍人と接触した。ネイルズ地方の中で活動する事を許可されている軍人は、妖精の存在を知っている。
しかし、彼等は妖精の持ってきた伝言を、「邪気侵食されている人間が蜂蜘蛛の仲間に居る」とだけ判断した。術的に精査したわけではないが、かつて蜂蜘蛛が、人間の意思を乗っ取るほどの邪気を纏っていたと知っている者が居たのだろう。
妖精達は、あわや「清浄化」の術にかけられる所だったが、蜘蛛の子を散らすように散じて、主の許に逃げ帰った。
同時時期に、アンは、先行部隊を、森の木々の上から透視していた。
彼等の足並みは、正確に蜂蜘蛛の住処に近づいている。驚いた子供達は、他人の踏んでいない場所を通ると言う、いつもの約束を忘れて真っ直ぐに住処に走ったのだろう。
軍人のうちの誰かが、アンに気づいた。
隙を突かれたと言うように、必死に、「空に居るぞ!」と、通信で声を飛ばす。
アンは自分の周りに結界を展開する。それと同時に、弾丸が結界を叩いた。飛翔高度を上げ、間合いを取る。
アンは蜂蜘蛛の住処とは違う方角に飛んだ。黒散原野の湿地帯。春に花畑が広がる一帯へ向けて。




