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ストリングトーンの虹へ向けて  作者: 夜霧ランプ
第一章~死霊の町の一週間~
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1.さよならの前の残照

 一週間目の月曜日の午後

 夕日が、崖の上の森のほうに溶けて行っている。

 空を染める朱色がかった日射しの中を、泡立てられたような軽い雲が浮かんでいた。

 夕暮れの近い町の中に、赤いレンガの屋根が並んでいる。朱緋色の瞳でその天辺から見下ろせば、子供達がはしゃぎながら家の方向に走って行く所だ。

 お仕事は終了。さぁ、私も家に帰らなきゃ。

 出張清掃員である女の子は、仕事道具である箒を片手に、丁度良い風が吹いてくるのを待った。

 魔女の正装であるとんがり帽子と、彼女の長い灰色がかった白い髪、黒いワンピース、そして白い長いマフラーを、そよ風が揺らしている。

「アン」と、彼女を呼ぶ声がした。振り向くと、一匹の猫が器用に屋根の天辺を歩いてくる。「帰るって言うのに、挨拶も無しか?」

「その声……」と言って、アンと呼びかけられた女の子は、猫の視線に近づくようにしゃがみこみ、「ランスなの?」と聞く。

「苗字を略すな。ランスロットだ」と、猫は目を縦に細くして、尻尾を左右にぶんぶん降りながら言う。「こんな姿で人間の名前を名乗っても、決まりは付かないけどな」

「わざわざ、見送りに来てくれたの?」と、アンは笑顔を見せ、猫の瞳を覗き込んだ。

「猫に目を合わせるな」ランスロットはついっと横を向く。「喧嘩を売られている気がするだろ」

 白い髪の女の子は、アハハ、と声を出して笑った。

「猫に化身すると、猫の習性も反映しちゃうの?」

「化身って言うか、体を借りてるって言う感じかな。新しい体を見つけるまで、当座だけの予定でね」

 ランスロットはそう言って、アンの隣に腰を下ろし、町を見下ろす。「ずいぶん静かになったもんだ」

「言えてる」と言って、アンも風を待つ間に屋根に腰を掛ける事にした。


 一週間前の月曜日

 夕闇が迫る頃、追い返すような向かい風の中を、白い髪の女の子は箒にまたがって飛んでいた。

 突風にあおられ、結んでいたマフラーの首元が緩んだ。首にかけていた社員証が空中に飛び出し、ストラップを揺らして、ビリビリと振動する。

 其処には、少女の顔写真と一緒に、彼女の清掃局社員としての身分が書かれている。

 空飛ぶ箒に乗った女の子は片手で箒の柄をがっちり握り、片手で社員証をつかんで、結んであるマフラーの中に無理矢理押し込んだ。

 風にあおられて空中にふわふわしている一方を引っ張り、マフラーの崩れを直す。

 襟元に注意を向けている間に、目指している町の上空に差し掛かった。

 やけに黒い雲がかかっていると思ったが、その黒い雲の中から、一匹の獣の形をした黒煙が、瞬く間に目の前まで接近して来た。

 白い髪の女の子は目を瞬き、箒を空中で一回転させ、黒煙の獣の顎を避けた。

 一体避けても、飛翔方向から三体、背後から二体の黒煙が押し寄せてくる。

 空中戦の不利を知り、進路を右方向に変更する。円を描く崖に沿って右回りに大きく旋回した。

 不思議な事に、崖の上には、黒煙は近づいてこない。

 何かの力で場に括られているのか、と、女の子は考えた。

 魔力波を追おうと、崖の端をうろついている黒煙に片手を伸ばしたが、崖の下から放たれてくる邪気の気配のほうが濃く、集中できない。

 一体何だって言うんだい?

 集中力を乱すほどの邪気の濃さを訝りながら、視線を町に向けた。

 円形の崖の下にある町の中には所々明かりが燈っており、何かのざわめく音と、湯水のように溢れて来る黒い煙のような死霊の姿が見えた。


 町の周囲を巡っているうちに、崖の上に見覚えのある館を見つけた。

 白い大理石の支柱と、翡翠色の屋根。今回の仕事の依頼人の住む屋敷だ。

 風を横に受けながら、女の子は屋敷の前に降り立った。よろけつつ、軒下に入る。

 気流に弄ばれてぐちゃぐちゃになった髪の毛を手櫛で整え、縛って無かったら確実に吹き飛んでいたマフラーの襟から、さっき押し込んだ社員証を取り出した。

 インターフォンを鳴らして、ドアスコープに顔を向ける。

「はい。どちら様でしょう?」と言う、老年の男性の声がした。

 女の子は、スコープを見上げるようにしながら、「ドラグーン清掃局から来ました。アン・セリスティアです」と、名乗った。

「お待ちしておりました」と言う返事が聞こえて、屋敷の両開きのドアが片方だけ開かれた。


 アンを屋敷に通してくれたのは、執事の老人だった。

 ガス灯の灯る廊下を、「奥様」の待つ居間までを歩く間、崖の下の町で起こっている異常事態について簡単に説明してくれた。

「異変が起こったのは、この町に電力供給の配管が通ってからの事です。原因におおよその目星は付いていますが、詳しくは奥様からお聞き下さい」

 そう言って、執事は廊下の先で行きついた扉をノックし、「奥様。新しい清掃局の方がお見えになられました」と声をかけた。

「よろしい。通せ」と、中から……だいぶ低音域の太い女性の声が聞こえた。

 ドアを潜ると、ガス灯と蝋燭の明かりが照らす薄暗い部屋の中で、アンは事前の資料で見た事のある「ティアナ・アーヴィング夫人」の全体像を知る事となる。

 全体像と言っても、人格的な事ではない。あくまで、外見上の、彼女の雄大さを目の当たりにした。

 特注サイズの寝椅子に横たわった体はふっくらと言うか……大型のトドのように丸く大きい。ドレスアップして寝そべったまま片肘をついて寝椅子の上に頭を起こし、化粧のたっぷり施された笑顔を上品に向けてくる。

 装い方は奇抜であるが、中身は淑女であるだろうと思い、アンは丁寧に挨拶をした。

「初めまして。ティアナ・アーヴィング夫人。アン・セリスティアと申します」

「初めまして。可愛らしい清掃員さん」と、アーヴィング夫人は低音域の深い声からファルセットを出す。音域の広さとしては、恐らく喉の周りの肉と体に纏った肉に、声が反響しているのだろう。

「町の様子は見たかしら?」と、夫人が問いかけてきたので、「はい。崖沿いに、一周してみました。悪性の死霊が、煙のように湧き立っていました」と、アンは述べた。

「ええ、その通り。まず、そちらの地図を見て下さる?」

 夫人はそう言って、寝椅子の正面にある壁を指さした。アンは肩越しに壁を振り返る。

 壁に貼り付けられている大きな羊皮紙に、町の様子が詳しく描かれている地図があった。背を見せる失礼をしないように、体を斜めにして、地図を上下左右に見つめる。町の斜め南には森、斜め北には池か沼のような図が描かれている。

「これが、崖の下の町ですか?」と、アンは確認した。

 夫人が「そう。幾つか、赤い印の入ってる所があるでしょう?」と言うので、薄暗い中をよく見てみると、確かに町の至る所に赤いチェックが打たれている。

 夫人は言う。

「それが、この町で『街灯』の設置されてる場所。普通の町の物ほど多くはないけど、町を地獄にするなら十分な数よ」

 その説明を聞きながら、地図をしげしげと眺めると、街灯が集まっている場所と少ない場所があるのに気づいた。

 何かの理由で、町の全体に「明り」を設置する事が出来なかったようだ。

 アンは夫人のほうに向きなおり、「『街灯』と、死霊については、どのような関係があるのですか?」と、尋ねた。

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