初夢
目が覚めたら、私は宙に浮いていた。地球と月を見下ろすことが出来ていた。遥か彼方から放たれる太陽の光が僅かにそれらを照らすぐらいで、辺り一面が真っ暗闇の中に私はいる。私に身体感覚という物が備わっていなかったら、両手両足それらがどこにあるかわからなかっただろう、微かな神経のつながりに生という物があることがわかる。
これが夢か現実か確認するまでも無いけれど、どうやら脳内ストーリー、本能的に体は動くもので右頬を強く抓っていた。
「 」
痛い、と言っても言葉が耳に届かない。宇宙空間、真空の機能的な凄まじさが身にしみる。
ところで、夢の中でも「痛い」ということはあるんだな。意外に思いつつ、私は丸く青い地球を見た。光加減を見るに日本は今、夜の中なんだろう。今夜はどうやら満月だ。私はどこにいるんだろう。
空を飛ぶ夢は何度も見たことがある。ウサギみたいに跳ねあがっていくこともあれば、モモンガみたく自由に滑空していることもあった。銀の龍の背に乗って世界中を巡った夢は楽しかった。それが、今や宇宙、規模が無限大と化した。空を飛ぶことについては幼いころから興味を持っていたけれども、宇宙なんて、現実には届かないものなんてそもそも意識することが無かった。
空はいつも手が届きそうだった。ジャングルジムのてっぺんに登れば、スース―とした足元も乗じて空に浮いている気がしていたし、鳥になろうとして体に風船を巻き付けたこともあった。小学校で裁縫の授業があれば、バスタオルを何枚も縫い付けてパラシュートの形にし、校舎から飛び降りようともした。もちろん成功はしなかったが、幾分か空と近づけた気がした。
そうなると妄想も膨らんでいく。鳥になりたいだの、空を走り抜けたいだの、雲に乗って風の吹くまま飛ばされたいだの。
「チュン」や「ポッポ」なんて口ずさめば鳥になれるかと思い、一人電気を消した部屋の中で、一日中それだけ言っていた日もあった。
妄想が日常から溢れ出て、夢に現れるようになった。鳥になれたし、プールで泳ぐように空を泳ぐことも出来た。
夢と現実が曖昧になった頃が一番幸せな時期だった。四十五分程度の強制的な運動、月に二度も好物が出てくれば万々歳の味気ない食事、あとは屋内を散歩するも自由、部屋に籠るも自由な日々ではあったが、しかし、何をしていても自由というのは私にとっては平和というほかないものだった。
私は未だ地球を見下ろしている。白と青と緑のコーディネート、これほど美しいものはない。空を超えたところに極上な世界があるとは考えもしていなかった。目が覚めてからの次の目標は「宇宙を巡る事」になるだろう。現実には叶わないかもしれない。だけれども、夢ならば、今のように夢ならば可能だ。何をすればそのような夢を見られるのか検討していかなければならない。ロケットを作るのか、気球に乗るのか。いや、そんなことでは私は大気圏を超えることが出来ない。わかっている。他人の目を借りることでしか、宇宙体験は無理と言うことを、私は宇宙飛行士にはなれやしないということも現状で知っている。宇宙は空とは違う。
諦めるとすれば、このような偶然でしか宇宙に行く事が出来やしなくなる。情熱が持たないのだ。
やることは見極めている。起きたならば行おう。
窓には格子が付いている。