五話 知らぬが仏と猛毒授業
私は自転車を押しながら、あることを考えた。それは昨日聞こえてきた、いや、正確には日の明けきらない、早朝に聞こえて来た、あの泣き声だ。
あの犬の鳴き声だ。しかし、あんな悲しい泣き声で、鳴ける犬がいるだろうか。喉をかき切るような、苦し気で、悲しい鳴き声を私は今だかつて聞いたことがない。
丁度私がいま、通っている道は犬の鳴き声が聞こえて来た方角だ。私は注意深く、鳴き声の主を探す。左右には昔ながらの民家が、数軒立ち並び、ガラス戸が、閉め切られていた。
風が吹くたびに、ガラス戸がガタガタと割れそうな音を立て、揺れる。道の横には溝が彫られていて、川が流れていた。
澄んだ水には、名も知らぬ小さな魚が水面に光を反射させながら、スイスイ泳いでいる。
自転車の車輪が回る音と、川の流れる音が同調し、子気味良く聞こえた。川の音に耳をすませながら歩いていると、
「あら、こないだ引っ越してきた、○○さんちの子供でしょ」
と、自宅の玄関を掃除していた、おばさんが突然、話しかけてきた。
人に呼び止められてしまった。自転車に乗って、何食わぬ顔で通り過ぎるべきだったのだ。自転車に乗っている人間をわざわざ、呼び止めて話をしようと思う、人間はまずいないのだから。
あまり、知らない人とは話したくないが、話しかけられたのなら、答えない訳にはいかない。
「え……ええ」
と、いった。素っ気なさ過ぎた、だろうか、と思ったがこれ以上の会話力を私は持っていない。自分の気にし過ぎだ。その証拠に、おばさんは不快な顔一つしないで続ける。
「今から学校?」
見れば分かるだろ、と大抵の人間は思うだろうか。わざわざ、聞かなくても、私の姿を見れば分かるだろうに、と腹黒いことを考えてしまう。
人間は分かり切っていても聞かずにはいられない生き物なのを、幼い私はまだ知らなかったのだ。今も何も知らないのだが、昔の私は今以上に何も知らなかった。
それに、本当に分からないから、聞いたのかもしれないじゃないか。
「はい……」
話のキャッチボールは続かない。親とも、話さない人間が、見ず知らずの他人と話せるだろうか。たぶん、おばさんは話が続かないことで、イライラしているだろう。
もしかしたら、おかしな子、だと思っているかもしれない。そう思われていても、当然だ、否定する気もない、なぜなら当然だからだ。
「そう……もう、この村には慣れたかい。今まで都会にいたんじゃ不便だろう」
私は視線をそらして、いう。
オドオドしているように見えるかもしれないな。そう見えたとしても、オドオドはしていないのだ、これが私の体質といってもいい。
「いえ、そうでもないです……」
私が無愛想に答えると、
「それなら良かった」
と、いった切り、玄関の掃除を再び開始した。これ以上話すこともないのだろう。私も初めから話すことなどなかった。
いや、話すことなら一つ、あるではないか、私は立ち去り際に思い出して、
「あ、あの」
聞いてみた。
おばさんはちりとりに向けていた、視線を再び私に向け問い返す。
「なんだい?」
不思議そうな目を向けてくるおばさんに、勇気を振り絞って、
「この近くに犬を飼っている、家はありますか……?」
と、聞いた。
おばさんは一瞬、箒を掃く手をとめて、固まった、ように見えたのは気のせいだろうか。
「え、あ、ああ、犬を飼っている家ならあるよ。その三軒先の佐藤さんの家で、小さくてかわいい犬を飼っているよ」
違う、あの犬は小型犬の声ではなかった。
「あ、いや……大きな犬を飼っている家は……?」
おばさんは箒を再び掃きながら、いう。
「さぁ、大きな犬は知らないね」
私はおばさんの発言に引っ掛かりを感じた。どうして、さっきまでとは違い、動揺しているのか、何かを隠しているのか。
気になったが、それ以上言及せず私は、
「ありがとうございました」
と、いって逃げるようにその場を後にした。
おばさんと話をしたことで遅刻ギリギリに、学校に着いた。ギリギリと言うより、本当に遅刻だった。チャイムの音と同時に教室に入ったのだから。
いや、同時だったら遅刻とは言わないかもしれない、だったら遅刻ではないだろう。
あの泣き声のことが頭から離れなかったせいで、授業が頭に入らなかった。たしか、理科の授業だった気がする。
よく、サスペンスなどで、使われる、日本で一番有名であろう、毒薬の授業だ。今の時代は、考えられないだろうが、その時代は中学にもその化学物質が置かれていたのだ。
成人男性を0.2~3グラムで死に至らしめることができ、工業用でメッキなどに使われる猛毒である。
いま考えれば、中学の授業でそんな危険な、薬物が置かれていること自体考えられない話である。いかに昔の教育環境が甘かったか、伺わせてくれる話であろう。
頭に入らない、授業を受け続けていると、気付けば下校時間になっていた。部活にも入っていないので、私はチャイムと同時に帰り支度を整え、帰宅路につく。
どうせ、家に帰ったところで、何もすることがないのだが、部活なんかに入って、知らない人間と人間関係を作るよりはましだと考える。
はたから見れば、おかしな子供だっただろう。自分でもそれは自覚している。しかし、生まれ持った性格は変えられないのだから、仕方がない。
自転車を押しながら、帰った。同じ帰宅路についている、生徒たちは数人が群れて、帰っているようだ。馬鹿騒ぎを繰り返している。
どうして、こうもくだらない話で、馬鹿騒ぎができるものだ、と感心する。
一匹狼は群れから孤立した、負け犬だと聞くが、今の時代群れなくても生きていけるのだ。群れる方が、人間を死に追いやる、ということの方が多いい。
私のような生き方を可哀想、と思う人間もいるだろうが、私は自分のことを可哀想だとは思っていない、私からすれば、群れてないと生きられない、人間の方が可哀想に見える。
所詮、人間は他人と自分を比べて、可愛そうか、そうでないか計るのだ。自分より、恵まれていない人間には、可愛そう、という言葉を使いたがる。
他人と自分を比べている時点で、差別は生まれているのだ。
二手に分かれた通路にあたり、私はみんなとは反対の道を歩く。みんなとの道を避けたわけではない、私の家があるのはみんなと逆方向なだけだ。
何も変わらない一日がもう終わろうと、していた。