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犬の檻  作者: 物部がたり
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三話 純文学と駄目人間

 私は薄暗い浴室で服を脱ぎ、足の伸ばしきれない小さな浴槽につかった。ぬるくも、熱くもない適温だった。適温と言っても長時間つかるのは、さすがに無理だ。

 

 私は長風呂する方ではないのだ。(からす)の行水だ。しかし、本かテレビでこのような話を聞いたことがある。

 烏は綺麗好きだ、と。ならどうして烏の行水などという言葉が生まれたのだろうか。そんなことを深く考えたところで私には関係のないことなのだから、考えるだけで体力を使うだけではないか。

 そのことに気付き私は考えるのを辞めた。


 人間は煩悩を考えることだけで、エネルギーを大量に使っているのだ。


 ぼんやりと、何も考えずに肩まで浴槽につかり、薄暗い照明を見つめた。薄暗い明かり、電球の中に入っている黒い何かが、影を作り浴室にぶち模様を作る。

 それは夜空が反転したような光景に思えた。黒い星と、白い空、朝に見える星空のように。


 朝になぜ、星は見えないのだろうか。明るいときに花火が見えないのと、同じ原理だろうか。私は昔、朝に花火をやったことがある。そのときに不思議に思った。

 どうして、朝に花火は見えないのだろうか、と。それは明るい時間に、予行練習で上がった打ち上げ花火のようだ、と思った。音は聞こえど、姿は見えず。


 そこでまたくだらないことを、考えていることに気づき、私は今度こそ考えるのを辞めた。体力の無駄遣いだ。


 風呂を上がり、母に上がったことだけを知らせて、二階に上がる。無駄なことは何もしゃべらず、ニュースキャスターのように必要最低限は何も話さない端的さで、母に告げた。

 母は、「分かったわ」と一言つぶやいた。私と同じで母も必要最低限こと以外、何も言わずに答えた。


 二階に上がってきたものの、何もすることなどないのだ。私は暇を持て余し、小説を読んだ。昭和時代に活躍した、文豪の作品だ。タイトルからして重々しく、読む者の精神を暗くする、問題作にして日本文学を代表する名作だった。

 主人公の男が酒や女、薬に溺れ精神的に崩れ落ちる、姿を作者自身をモデルにして描いた自伝的小説である。


 もし、私が自伝的小説を書くとしても、それは何の面白味もない、誰が読んでも何の変哲もない日常になってしまうだろう。自分をモデルにするにはそれだけ、他人とは違う趣向、性格、環境を持って生まれた者でなければならない。

 そうでなければ誰にも響かないのだから。あの、世界的に知られる、ロシアの文豪のように。


 では純文学を書くものは、自分を追い込まなければならないのだろうか。酒や女、薬物、博打に溺れ、人間的に壊れてしまえば、誰にだって誰かの心を動かす純文学が書けるということになるのか。

 そこで、私は思い至った、いくら堕落した人間でも文学的才能がなければ、ただの駄目人間なだけではないか、と。

 

 文豪たちは、文壇で成功したが、もし、文壇で成功していなければ、ただの駄目人間、人間失格ではないだろうか。


 何をするにも才能という、壁が立ちはだかるものだ。私には到底、縁遠い話である。


 私はくだらないことを考えながら、仰向けになり、黒い虫のように這う文字列を目で追った。一文字一文字が違う意味を持つ、文字の羅列。

 この、文字同士を組み合わせることで、どんな世界でも表現できる、どんな知識でも残すことができる、どんなことでも伝えることができる。人間が発明した最高の技術。

 

 そんなことを考えていた、当時の私は文字の神秘に思いをはせていたのかも知れない。


 読んでも読んでも、内容が頭に入って来づ、苦痛になり始めていた。たぶん、疲れているのだろう。ただ、黒いインクを目で追いながら、違うことを考えている。

 集中できない時は本当に集中できない。集中しているときは時間など、あっという間に過ぎてしまうのに、まだ、読書を始めて数十分しか経っていなかった。


 これ以上、読んだところで内容が分かるはずがない、と思い私は眠ることにした。まだ、十時を少し過ぎた頃でいつもなら眠る時間ではなかった。

 しかし、今日は疲れたから、もう眠る。眠気はなかったが、布団にもぐると不思議と眠ってしまっていた。当然、眠った私が、眠ったと、分かるはずもなく、次に目覚めたときに分かるのだ。


 夢を見た。どんな夢だったかは憶えていないが、確かに夢を見た。どんな夢だったかは憶えていないが、不思議なことに怖い夢だったというのは憶えていた。

 お経を聞きながら眠りにつくときに見るような、怖い夢だった。私は飛び起きた。いや。飛び起きたという表現は正しくない、正しくは目だけが開き、意識が覚醒したのだ。


 昔から私はそうだった。怖い夢を見ても、飛び起きるのではなくゆっくりと目覚めるのだ。それが何だか、物悲しいくなる不思議な夢。


 私は暗黒の中にいた。仰向けのまま真っ暗な虚空を見つめて、私は不安の中にいた。怖い夢を見たときはなんだか、心細くなる。

 いま、自分が置かれている状況を思い出すと、私は布団を跳ね除け立ち上がった。そして、頭に当たった照明の線を引っ張った。


 二、三回点滅を繰り返し、明かりが点く。そして、真っ先に時間を確かめた。針は二時を差していて、そとがまだ暗いのを見ると、まだ夜は明けていない分かる。

 太陽が滅んでいない限り、今は夜中だ。当然だ。

 もう一度眠らないといけないが、目がさえてしまい、布団に入ったところで再び眠りにつくことできるかどうか、自分でも自信がない。


 昼寝をしたのがいけなかったのか、あの時間に眠るのは昼寝とは言わないだろうが。しかし、私は昔から、昼寝をしたとしても、夜になれば朝までぐっすりと眠れるたちだ。

 やはり、悪夢のせいなのか。厄介な時間に起きてしまったものだ。


 そして、この夜に私の人生を変える、声が聞こえ始めるのだった。

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