十五話 もし因果応報というものがあるのならこの世は平等に回っているのだろう
朝と夜の時間さえあやふやだった。
夜起きて朝眠る、昼夜逆転生活が続いた。
いや、昼眠るので夜眠れないのだ。これではいけないことは私でも分かるが、夜暗くなると、あの声がきこえてくるせいで眠れないのだ。
もう犬はいないはずの檻から、私を呼ぶ声が聞こえる。それは決まって夜に聞こえてきた。
だから私は眠れない。
朝になれば、その声は聞こえなくなる。眠れるのはその声が聞こえなくなる朝からなのだ。このままでは気がおかしくなる。いや、すでにおかしくなっているのかも知れない。
そんな私を心配して、母がいう。
「どうしたの……? 最近のあなた変よ……?」
私は母に背中を向ける形で横になっていた。
耳だけは母の方へ向けて、話を聞いた。
「なにがあったの……? なにかあったのなら、私に話して……」
私は黙ったままでいる。いえる訳がない、学校にあった薬品を盗み出し、人の家の犬を殺したなどとは、いえる訳ない。
聞くことが思いつかないようで、母は困り果てていることが見ずとも分かった。
「あ、前にあなたが気にしていた、○○さんちの犬が亡くなったそうよ」
私は目を見開いた。どうして知っているんだ。
もう、殺されたことが村中に知れ渡ってしまったのか。
ああ、もうおしまいだ。近いうちに、私は捕まってしまうんだ!
「向かいに住むおばさんの話では老死だったんだって」
私は聞き間違えをしているのだろうか。母がいった言葉を脳内で再生する。
(老死だったんだって)
確かに、確かに母は老死といっていた。
どうして? 殺されたんじゃないのか?
「かわいそうだけど、私はホッとしてるわ。死んだいまだからいえるけど、みんなの話では糞尿も掃除してあげないし、散歩にも連れて行ってあげずに、十年近くもあの中に閉じ込めていたっていうじゃない。あんな劣悪な環境でこれから生きていくより、早く解放されて良かったわよ」
老死、つまり私がやったんじゃない……あれは夢だった。
そうなのか、あれは夢だったのか。私は罪を犯していなかった。
私が犬を殺したのは夢の中で、現実では老死だった。人間、思い悩んでいたら潜在意識にある悩みが、夢になって具現化するのだ。
そうなんだ! あれは夢だったんだ!
私の悩みが生み出した夢だったんだ!
「あ、あの犬は老死だったの!」
私は布団を跳ね除け、母に向き直った。
私が殺したと、思っていた犬は老死だった。私が殺したんじゃなかった。
暗く閉ざされた私の心に光が差した気持ちだ。
「ええ、向かいのおばさんがいうには老死だって」
私は罪を犯していなかった。自分が救われたと思うほどに心苦しくなるが、それを上回るほどの開放感が私の心をいっぱいにした。
張りつめた気が一気に切れて、私の頬を涙が伝った。なんで泣いているんだろう。犬が死んだからなのか、私が救われたからなのか、それともただ単に感極まっただけなのか。
私は犯罪者にならなくて、済んだからなのか。
だとしたら、私は何もしていないということは、口先だけの偽善者だったということになる。それじゃあ、口だけで可哀想、哀れ、といっている村の人々と変わらない人間だったのだ。
人のことをいえない、人間なのだ。
私は複雑な心の葛藤に悩まされた。老死が本当なら私はあの犬になにもしてあげていない。あの犬を救ってやることができなかった。
「母さんは本当にあの犬が救われたと思うの?」
私がそういうと、母は真剣な顔をして数秒黙り込んだ。
私の問いを真剣に考えてくれているのだ。簡単に受け答えをしない、私の問いを軽く考えていないのだ。
「私は救われたと思うわ。あのまま生きていたとしても、あの犬は一生あのまま汚い檻の中に閉じ込められていたんだから。私は死ぬことは怖いことじゃない、と思ってる。いや、死ぬのは怖いけど、あの環境で生きるよりは楽よ。きっと」
私は母の目を真正面から、見つめた。
母も私の目を真正面から、見つめた。
「虐げられた者たちが唯一救われるのは死、だけですもの」
それはまるで、母がいままでの生涯でたどり着いた哲学のようにその言葉にはよどみなかった。あのときの母の言葉はまだ中学生だった私には分からないものだった。
あのときの私は何を答えていいのか分からず、ただ、犬が救われて良かった、とだけいった。しかし、いまならあのときの母の言いたかったことが分かる気がする。
この世は物語のように都合よく救われる人間などいないのだ。
童話のシンデレラは美人だったから、王子様の目にとまった。
白雪姫は美しかったから、王子様の目にとまり幸せになれた。
それと同じだ。
幸せになれるものは生まれながら、恵まれているか、才能に恵まれているか、女なら容姿に恵まれているか、男なら親の力に恵まれているか、天からもらった才能に恵まれていなければならないのだ。
つまり、生まれながらに平等などというのは綺麗ごと、ということだ。生まれながらに平等などない。どんな生命も、生まれる場所は選べないし、生まれる親も選べない。
生まれる環境で人間は変わるし、生まれる環境では変われない人間もいる。生まれる場所は選べないけど、死に場所なら選べるという話を何かで聞いた。
その話を聞いた私は思う。死を選べる、死ねる場所を選べることはまだ幸せだ。
この世界には死にたくても死ねない生けるものがいるのだから。私が幼いころ出会った、あの犬がその死にたくても死ねない生けるものなのだから。
世界中には死にたくても死ねない生ける者が沢山いるのだから。
自分から死ねないあの犬は、だから私に殺してくれと、救いを求めたのだから。
大きくなって思う。犬は老死ではなく、本当はやはり私が殺したんじゃないだろうか、と。
あの工場の人間は自分たちのしていたことが悪いことだと認識していて、警察に届けようものならそのことがバレてしまうから、届けなかっただけだなのではないかと。
どこまでが私の見た夢か、どこからが現実か。犬は老死だったのか、それとも毒殺だったのか、もう誰にも分からない。
私が犬を殺していたのなら、いつか罰がくだるだろう。
もし、因果応報というものがあるのなら、きっとあの犬は前世でよほどの悪さを働いたのだ。そして、もし因果応報というものがあるのなら、私も前世で罪を働いたのだ。
もし、因果応報というものがあるのなら、幸せなものは前世でよほどの酷い目にあっていたのだ。もし、因果応報というものがあるのなら、今世で悪さを働いたものは、来世では酷い目にあうのだろう。
あの工場にいた人間たちは、あの村にいた人間たちはきっと来世で酷い目にあうのだろう。そしてもし私が犬を殺しているのなら、私も来世では酷い目にあうのだろう。
この世界に因果応報というものがあるのなら、あの犬は来世で幸せになるのだろう。
もし、因果応報というものがあるのなら、この世は平等に回っているのだろう。
これが私がたどり着いた、平等の真理だった。




