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犬の檻  作者: 物部がたり
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十一話 他人任せの善悪の判断

 私は手に入れた()()を数グラムほど、持ってきていたガラス瓶に取り分けあとはもとあった場所に戻した。


  棚には名も知らぬ数々の薬品がならべられている、少しぐらいなくなったぐらいでは分からないだろう。それにその中から数グラムほどなくなっただけでは、バレることはまずない。


 と、願うしかない。


 私が教室に戻ったときにはすでに授業が始まっていた。クラス全員の視線を一身に受けながら、自分の席に戻る。


 みんなの視線が私のすべてを見透かしているように思えて、叫び出したい気分だ。

 もし私が持っているものがバレたらどうなろうのだろうか。

 私がしようとしていることがバレたらどうなってしまうのだろうか。

 捕まってしまうに違いない……。


 分かる訳がない、ほんの数グラムほどのことだ。分かる訳がない。分かる訳がない。そう自分に暗示をかけ、平常心を失わないように歩く。

 誰も見ていない、誰も見ていない、いつも通り行動していれば誰が私を疑おうか。


 感情の(たか)ぶりのあまり、目頭が熱くなる。他者からみれば赤面しているように見えるかもしれない。

 私の席は窓側にあるので、席にたどり着くまで歩数がかかる。

 大股で十歩。歩き方がぎこちなくなっていないだろうか。

 意識しすぎると歩き方など簡単にぎこちなくなってしまうものだ。


 カメラを向けられた状態で、自然な笑顔をつくれといわれても無理なように、自然に歩けと言われればいままで自然に歩いていたつもりでも、不自然に思えてしまい、普通に歩けなくなってしまう。

 それと同じだ。

 席についたときには誰も私のことなど気にも留めていなかった。考え過ぎだ。

 

 それから、下校までの時間は平穏に過ぎた。


 気に病まなければ、どうということはない。そう、どうということはないのだ。みんなが帰宅の準備を整えている。

 私はポケットの入れていたガラス瓶を鞄にしまい、帰宅路についた。


  *


 私は倒れ込んだ。自分の部屋につくと、畳に倒れ込む。疲れた。しばらくのあいだ、私は指一本動かすことができず、畳の網目をただ無心に見つめていた。


 救済は今夜か、それとも明日か。いや、今夜だ。今夜しかない。今夜決行しなくていつやるというのか。できる限り早く救ってやりたい。

 一日でも早く、一分でも早く、一秒でも早く、だ。


 あとは私の心しだいなのだ。


 また夢を見た。いつ寝てしまったのか。おそらく、羊を数えるように畳の目を数えながら寝てしまったのだ。

 ここはどこだ、私は周囲を見渡す。白い空間。

 遠近感(えんきんかん)がつかめない空。広大な空間とも感じるが、狭小(きょうしょう)とも思える。


 自分は浮いているようにも感じる。何もない地面はガラス床のうえに立っているように、真下まで見下ろすことができる。濁りのない純白の空間は底なしだ。

 何もない空間に一人と一匹が対面していた。


「もう少しだよ」


 私は何もない空間にお座りしている、犬にいった。

 犬は穢れのない、ブラックパールのような瞳を潤ませて、

「世話をかけるね」

と詫びる。

 

 確かに世話をかけられている、どれだけ、私が悩んだことか。が、これは私の一世一代の使命のようなものだ。

 最後までやりとげなければならない。最後までやりとげるしかないのだ。


「詫びることはないよ、僕は最後までやりとげるから」


 犬は大きくうなずく。

 私はもう一度犬に決意を問う。


「覚悟はできたかい?」


 私が聞くと、

「覚悟ならとうにできている。何年も前からできている」

と、犬の言葉に迷いはなかった。


 いや、言葉というよりはテレパシーに近いかもしれない。

 声帯を震わせ言葉を発するのではなく、脳に直接かたりかけてくるという感覚だからだ。


「最後にこれだけは聞かせて欲しい……」


 これだけは聞いておきたかった。自分は悪くない、ということを誰かに認めてほしかったのかもしれない。誰かに認めてもらえないと、善悪の判断もできない、自分が愚かに思える。


 誰かに判断をゆだねないと、善悪の判断ができない人間が愚かでならない。


 人間など自分ではない他者のさじ加減で、善悪を決めているだけなのかもしれない。誰も、何が悪いのか、何が良いのか、など自分が決めているのではなく、自分ではない誰かが決めているのだ。


 その、自分ではない誰かはまた、自分ではない、誰かに善悪をゆだねている。人間の数だけ、それは繰り返され、人間同士を目に見えない鎖で縛りつけ制御してなっている。

 人間は自分の判断だけでは動けない、生き物なのだ。


「僕がいまからすることはいけないことなのだろうか……」


 犬は濁りのない、澄み切った声で私の頭に語りかけた。


「誰だって、善悪の判断は自分で決めるものだ」


 誰だって、善悪の判断は自分で決める。

 誰だって、何が悪いか自分で決める。

 誰だって、何が善かは自分で決める。


 私は心のなかで犬の言葉を何度も唱えた。いまから私がしようとしていることは悪いことではない。虐げられた命を救うことが悪いことだろうか。

 

 誰だって善悪は自分で決める。他者に悪いことだと言われようと、私はいまからしようとしていることは、悪いことじゃないと信じてる。


「ありがとう――僕はもう迷わない」


 私は自分で善悪の判断ができる、人間だ。

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