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犬の檻  作者: 物部がたり
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一話 私という人間

 これは私の手記である。このまま記すことなく、終わるべきだろうが。私の心がそれを許してくれない。私は昔大きな罪を犯した。

 いや、犯したかもしれない。どう、償おうが、償うことができない罪だ。罪を犯した私は罰を受けるでもなく、のうのうと生きている。今もあの光景が瞼に焼き付き消えないのだ。


 私は昔から、弱い人間だった。力が弱い訳でも、体が弱い訳でもない、心が弱かったのだ。どうしようもなく、私は弱かった。

 心の弱い両親の元に生まれた、私が弱いのは遺伝であり、当たり前のことだろう。人と関わることが怖く、誰かを傷つけることが怖く、生きるのが怖かった。

 死ぬのが怖いのに、生きるのはもっと怖かった。しかし、死ぬこともできなかった。死ぬのが怖いからだ。


 だから、私は一人で過ごすのが好きだった。人と関わり、傷つくのが怖かったから。

 傷つくくらいなら、友達など作らない。それが、私の鉄則であり、教訓だった。そんな一般の子供たちとは違う、幼少期を過ごしていた。


 私の人生を変える事件が起きたのは私が中学校の頃だっただろう。あの事件のことは今でもはっきりと憶えている。忘れたくても、忘れられないから、憶えているのだ。

 忘れられるものなら、忘れたいが、忘れられないので、憶えているのだ。忘れてはいけいない、私が犯した罪だから。

 いや、私が犯したかもしれない、罪だからだ。


 考えれば考えるほど、脳裏に刻み込まれ、忘れられない罪。


 幼少の頃より親の仕事の事情で私は各地を転々としていた。あるときは北に、あるときは南に、あるときは東に、あるときは西に、住んだ。

 転々とした各地で、私は色々な物を見た。その土地でしか味わえない料理も食べた。普通の人とは違うが、それなりに楽しい毎日でもあった。


 そんな転々とした生活が続き、次に私たち親子が移り住んだのは、人口千人にも満たない、田舎だった。田舎といっても、少し車で行ったところに繁華街がある、駅もある。

 本屋もあれば、学校だってある。店もあり、私が住んでいた家から自転車でいける距離にあった。田舎だが、住みやすい田舎だ。


 道路もちゃんと、コンクリートで舗装されていて、道路の双方に田んぼがあり、五月上旬ごろに田植えが行われた。田んぼ一面に貼られた水は風を受けると、海のように波打ち太陽を受けた水面は輝いた。


 六月になると中干が行われ、水が蒸発した、地面は干上がった。土壌は干上がり、亀裂がはいる。空気中の酸素を土壌は取り入れ根を強くする。

 強くなった苗はすくすくと子供から大人になるのだ。これが質の良い米を作るのに必要になる。まるで、強い子を作るには厳しく接さなければならないと、言いたげに。


 八月に入り、稲は出穂期(しゅっすいき)に入った。稲穂のもみが開き黄色い雄しべが花開く。田面、一面に黄色い稲穂の絨毯が広がった。


 田園風景は広がるが都会の人が思っている田舎像とは全く違う、先進的な田舎なのだ。


 しかし、田舎は田舎だ。人口が少ないと、村の者はみんな顔見知りになる。狭い、世界は陰湿だ。少し、他人が自分より恵まれていると思うと、陰湿になる。

 それも仕方ないことなのだろう、この狭い世界には自分たちの物差しで測れる限りで世界を創っているのだから。

 だから、人間付き合いは親密になる、それが良いことでもあり、悪いことでもある。切りたくても、切れない人間の鎖が出来上がるのだ。


 狭い世界の人間関係ほど、厄介なものはない。


 あの時期は丁度、稲穂が黄金色に輝きだした時期だった。私たち家族は村の外れにある、空き家に住むことになった。

 村はずれと言っても、家の周囲には民家が立ち並んでいるので、村はずれとは言わないかもしれない。当時の私は中学生だった。中学校は自転車で、一時間もかからずに行ける距離にあった。


 その頃の私は新しい生活が始めることを心のどこかで楽しんでいたかも知れない。唯一憂鬱だったのは、学校である。

 新しい学校に行くということは知らない、人間に会うということだ。以前いた学校でも、私は馴染むことがでず孤立していた。放課後を一人で過ごす人間だった。

 友達が欲しいとも思わないし、作りたいとも思わない、そんな子供だった。


 放課後一人で過ごしている、人間などざらにいる、別に珍しいことではないのだ。

 一人には慣れている、目立たないようにだけ、気を付けて学校生活をやり過ごせば、良いだけなのだ。と、私は思っていた。


 私は学校に向かう。校舎は木造の(おもむき)のある、外見をしていて、時代を感じさせた。明治ぐらいに建てられたのだろうか。

 瓦が橙黄色(とうこうしょく)で統一されており、墨色に焼かれた板が壁に敷き詰められていた。和と洋が混合したような明治の建物だと思う。


 中学一年の一クラスしかなく、三十人ほどの小さなクラスだった。全校生徒合わせても百人になるか、ならないかの小さな学校だ。

 生徒が多いいよりも、少ない方が過ごしやすい、と当時の私は思っていた。


 初日は平穏に過ぎた。転校生の私はクラスメイトの注目の的だった。私の席の周りにはクラスメイトたちが群がり、私に色々な話を聞いてくる。

 どれも、これも他愛無い話だ、私はまるで動物園の檻の中にいる動物のように、珍しがられた。まるで、どこぞの動物園にいるパンダのように、四方八方を観客に囲まれた。


 みんながみんな、私を珍しい動物のようになめまわし、観察する。

 

 私は話が上手い方ではない、むしろ、下手だ。クラスメイトたちとの会話のキャッチボールが、続くはずもなく、すぐに私の周りから人垣はなくなった。

 動物園の檻の前に何時間もいる人間などいない、皆他の檻の中の動物を見に行くように、私は飽きられた。


 授業が始まり、勉強についていけないでもなく、飛びきってできる訳もない私は目立つこともなく授業を受けた。私の席は最後部の窓側で、先生に気付かれることなく外を見ることができる。

 窓から見える、光景はどこの学校から見える景色と変わらない。校庭にはサッカーラインがひかれており、ゴールポストが左右にある。


 校庭を囲うようにして、落葉樹が等間隔に植えられており、秋になると悲し気に木の葉が舞い散る光景は、何とも絵になる、悲しい光景に思えた。

 私の気持ちを代弁してか、空は曇天(どんてん)で、もうすぐ雨が降りそうな空模様になっている。

 

 こうして、私の初日は終わった。どこにいても変わらない、学校生活。今も、日本中のいたるところにある学校で同じようなことが繰り返されているのだろう。

 変わらない日常、変わらない生活、変わらない毎日、これから毎日繰り返される、変わらない人生に私は嫌気がさしていた。

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