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「古代の戦術③ マケドニアとアレクサンダー大王」〜古代前半戦術の集大成と迂回機動〜

「古代の戦術③ マケドニアとアレクサンダー大王」

 

 ——マケドニアファランクス——

 

 紀元前359年から336年。ギリシャ北東のマケドニアにおいて、アレクサンダー大王の父、フィリッポス二世が軍制改革を実施した。

 平時(戦争をしていない時)から一定の給与を受け取って軍事訓練を重ねる職業軍人を育成すした。

 そして同時に、マケドニア独自のファランクスを生み出している。従来の重装歩兵(ポプリタイ)より軽装で、従来の突き槍より長く六、七メートルにたっする(サリッサ)を両手に持ち、青銅製の楯を身につけた重装歩兵(ペゼタイロイ)で構成されたマケドニアファランクスだ。

 このファランクスはギリシャファランクスが縦八列〜十二列程度だったのに対して、楯十六列が理想だとされた。後列の兵士は槍をまっすぐ突き出すにはまえの兵士が邪魔になるため、少しずつ斜めに突き出され、前から見るとヤマアラシのようだったであろう。マケドニアファランクスは軽装な分機動力に優れるが、弓や投石に対する防御力に劣る。だから槍をヤマアラシのように槍を密にして突き出すことで、上空からの弓や投石を防ぐのだ。

 このマケドニアファランクスはギリシアファランクスに無かった機動性と長いリーチでマケドニアの勢力拡大に貢献する。【カイロネイア】でアテナイ(アテネ)やテーベ(ボイオテォア同盟の盟主)などギリシャポリスの連合軍を撃破すると、マケドニアはギリシア全てをコリントス同盟(ヘロス同盟)に加盟させ、自らがその盟主となる形でギリシャ全域を支配下に置いた。

 

 ——アレクサンダー大王の大遠征——

 

 この後フィリッポス二世が貴族に暗殺されると、父の意志を継いだ息子『アレクサンドロス三世』、かのアレクサンダー大王がマケドニア王となる。

 アレクサンドロス三世は遠征軍の準備を整え、ペルシア支配下にある小アジア(アナトリア半島、現代のトルコ)に侵攻。シリア北部では【イッソス】でペルシアを破った後にエジプトまで侵攻。更にイラクでは【アルベラ・ガウガメラ間の戦い】でもペルシア軍を破り、アケメネス朝ペルシアをそのまま滅亡へと追い込む。

 更にインド西部(パキスタン)のインダス川にまで侵攻し、史上空前の大帝国、通称アレクサンドロス帝国を築き上げた。

 この頃のマケドニア軍の戦術は、中央に重装歩兵(ペゼタイロイ)を配置し、側面を弓兵や騎兵、軽装歩兵で防護した陣形が基本だった。馬は高価で騎乗には訓練も必要なため、基本側面の騎兵は貴族である。

 これはギリシアのファランクスと、ペルシアの諸兵科連合戦術を上手に組み合わせたものだった。

 インド侵攻時の戦いの中で戦術的に特筆すべき戦いとして、【ヒュダスペス川の戦い】が挙げられるだろう。

 この戦いはまずマケドニア軍右翼の騎兵部隊が、インド軍左翼の騎兵部隊を攻撃。両軍の増援を含んだ騎兵同士の戦いに続いて、マケドニア軍中央前面に展開していた投げやりを持つ軽装歩兵部隊が、インド軍中央歩兵部隊の前面に展開していた戦象(戦闘用の象)を攻撃。それからマケドニア軍ファランクスが前進した。投げやりに混乱したインド軍の戦象が味方歩兵の戦列に突っ込んだこともあり、インドの陣形が乱れて始める。そこにマケドニア軍は隊形を更に密集させて突進し、騎兵による側面攻撃も相まって、インド軍を壊滅させている。

 これだけならば他の戦いでもよく見られるが、この戦いで特筆されるべき点は『迂回機動』をマケドニア軍がとったことにある。川を挟んでインド軍の本営目の前に布陣していたマケドニア軍は、インド軍に対して牽制しつつ、27キロも上流に行ってから渡河。不利な渡河戦闘を最低限にしてインド軍と戦うことができた。これは戦術<作戦<戦略のうち、作戦次元での機動だとする専門家もいる。

 現在でも渡河する際には敵から離れた場所で行うべしと陸軍教範に書かれている程、アレクサンダー大王の戦術、いや作戦は巧みだったと言えよう。

 結果的にアレクサンダーは兵士達からの懇願もあって遠征をパキスタン辺りで中止した。

 西はバルカン半島とエジプト、東はインダス川までの大帝国が後に残ったが、最終的には分裂してしまう。

 古代における戦術の発展は、ペルシアの諸兵科連合、ギリシアのファランクス、そしてそれを組み合わせたマケドニアによって行われてきた。

 そしてこの後、ローマ時代とも言える古代後半になると、ローマによる軍制度の飛躍的発展と、カルタゴの名将、雷光の異名をとる『戦略の父』ハンニバル・バルカが登場することとなる。

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