保護者と、不思議な扉のこと
「おい、レレイ! 俺のぶん食ったろ!?」
「え? これあたしの分じゃないの?」
「あ、クーレくん、それ食べないの? もらいー」
「ちょっと待て、俺の海老! お前本当に聖女か!? ……って、女ふたりして食い過ぎだろうが!?」
「慌てなくても、いっぱいあるから大丈夫だよー」
妹のひよりと、赤毛の少女――レレイちゃん、そして茶髪の身軽そうな少年――クーレくんが、天ぷらを囲んで大騒ぎしている。そのすぐ傍には、揚げたての天ぷらをバットに山盛りにした悠利くんが、ニコニコ顔で皆の皿の上が空くのを待っている。
……というか、妹は夕飯を食べたあとのはずなんだけど。太るよ?
「おうおうおう。まあ、いいからいいから。飲め飲め。茜んとこの酒は美味いぞー!」
「ちょっと待て、俺はユーリを連れ帰りに来ただけで」
「こまけえことは良いんだよ。ほれ、ぐいっと!」
「……む。美味い」
「だろー!?」
もう一方では、ダージルさんとスキンヘッドに眼帯の男性――アリーさんが酒を酌み交わしている。
勝手知ったる他人の家と言わんばかりに、納戸からビールに日本酒に、焼酎まで持ち出したダージルさんは、酒をぐいぐいとアリーさんに勧めつつ、機嫌よさそうにしている。まあ、アリーさんも戸惑いつつも、お酒を満喫しているようではある。
「……随分と賑やかですね?」
私と一緒に配膳をしてくれていたジェイドさんは、どこか複雑そうな表情で楽しそうな彼らを眺めていた。……まあ、そんな顔になるのは確かにわかる。
私はため息を零すと、小さく肩を竦めた。
「本当にそうですね。さっきまで、剣を向けあっていたなんて思えないくらいですよね」
◆
にわかに騒がしくなった庭に、私、妹、悠利くんの三人が縁側に到着した時点で、事態はかなり逼迫していた。
――ガキィィィィン!!
金属同士がぶつかり合う音が辺りに響き、暗闇に火花がぱっと散る。狭い庭を忙しなく動き回る眼帯の男は、金属の塊にしか見えない大剣を軽々と振り下ろすと、それを涼しい顔をしたダージルさんがひらりと躱した。
自分の攻撃が避けられたことが、余程驚きだったのか。……それとも、嬉しかったのか。男は楽しげに眼帯に覆われていないほうの目を細めると、直ぐさま体を捻り、まるで振り子のように大剣を振り回した。
「――うおっ!」
ぶうん、と風を切りながら迫る大剣を、ダージルさんは紙一重で躱した。きっと男の動きは、ダージルさんにとって予想外だったのだろう。一瞬、ダージルさんの体勢が崩れる。その隙を逃す男ではない。
男は鋭く息を吐きながら、大きく一歩踏み込み、大剣を下から抉るようにして斬り上げた。
「危ない!!」
――ギンッ!!
私が思わず叫んだ瞬間、同時に金属がぶつかりあう音が周囲に響いた。
ダージルさんの体を切り裂くと思われた大剣は、いつのまにやら現れていたジェイドさんの剣によって受け止められていたのだ。死角から滑り込むようにして現れたジェイドさんに、男は大きく目を見開いて――不敵な笑みを浮かべた。
「やるじゃねえか」
「……不審者と交わす言葉はありません」
男とジェイドさんは、視線を交わし合うと一旦距離を取る。そして、激しく剣を交え始めた。
その間、ダージルさんは赤毛の女の子の拳を往なしつつ、茶髪の男の子が構えた、謎の液体が入った瓶を油断なく警戒している。
正直言って、戦闘シーンなんてものをまともに見たのは初めてだ。
見慣れた庭に響く剣戟の音と、立ち込める緊迫した空気。
一瞬で行われる生命の駆け引きがとても恐ろしいものに思えて、体が震える。
……それに、いつもは優しげな光が湛えられているジェイドさんの蜂蜜色の瞳が、今は冷たい光を放ち、全身から殺気らしきものが放たれている。ダージルさんだってそうだ。いつもは気のいい酒好きのおっさんでしかない彼の、騎士団長らしい姿がそこにあった。
私は騎士としての彼らの姿に気圧されつつも、見守ることしか出来ない自分を歯がゆく思っていた。
……なのに。こんなにも、緊迫したシーンだというのに……!! うちの妹は……!!
「うわあ。なんだかすごいねえ悠利くん」
「そうだね。迫力満点だねー」
「てか、このかきあげ美味しい! 抹茶塩ほしーい」
「昆布塩もイケるとおもうよ」
「なにそれ、君天才」
妹と悠利くんは、縁側に腰掛けてのんびりと戦闘を眺めつつ、味見用に揚げた天ぷらをいつの間にか持ち込み、もぐもぐと食べていたのだ。
私のすぐ傍で繰り広げられているのほほんとした空気に、頭を抱えたくなる。
まるで観劇をしているかのようなふたりに、「なにしているの!」と怒鳴ると、戦闘から一歩退いて様子を窺っていた茶髪の男の子が、こちらに気がついて叫んだ。
「ユーリ!」
すると、悠利くんは彼にひらひらと手を振って、箸で摘んだかきあげを、さあ齧り付けと言わんばかりに差し出した。
「クーレも食べる?」
「食べ……って、なんで!? 意味わかんねえ!!」
思わず男の子が頭を抱えると、ジェイドさんと鍔迫り合いをしていた眼帯の男が、勢い良く顔を巡らし悠利くんを見た。――そして、鬼のような形相で言った。
「ユーリ!! なにしてんだ!!!!」
雷が落ちたような怒号とはまさにこのことだ。鼓膜がビリビリと震えるほどの怒号を男が発すると、別に私が怒られたわけでもないのに、無性に謝りたい気持ちに駆られる。
……なのに。なのにだ、当の本人はしょんぼりと肩を落としつつも、かき揚げをサクサクと小気味のいい音を立てながら食べていた。……メンタル強い。
更に言うと、怒号を発したのは眼帯の男だけでなかった。ダージルさんは、いつもは笑い皺でいっぱいの顔に青筋を立てて、妹をギロリと睨みつける。そして、とんでもない声量で怒鳴ったのだ。
「おい、いつも言っているだろう!! どんなときであっても、油断するんじゃねえ!」
「あ、はい! ごめんなさい!」
妹はそそくさと体の後ろにかき揚げと箸を隠すと、背筋をぴんと伸ばした。
そういえば、妹は聖女としての戦闘訓練をダージルさんから受けていたのだっけ。
その姿はまるで、教師と落ちこぼれの生徒みたいだった。
のほほんとしていたふたりがシュンとすると、一瞬だけ庭に静寂が訪れる。誰もが、縁側に座っているふたりに視線を注ぎ、身動ぎひとつしないなか――悠利くんは手元からそっと皿を下ろして、侵入者三人に向けて言った。
「――大丈夫だよ」
「ユーリ?」
「この人たちは、大丈夫」
……ああ、悠利くんは私たちが信頼に足ると確信していたから、のほほんとしていたのか。
けれど、悠利くんがここにやってきて、まだ小一時間と経っていない。勿論、私たち姉妹とは出会って間もないし、ダージルさんやジェイドさんに至っては初対面だ。なのに、悠利くんはなんの根拠もないのに、自信満々にそう言いきった。
普通なら、一笑に付されるのだろう。けれど、不思議とその言葉には説得力があり、きっとそれは侵入者の三人も感じたのだろう。彼らの纏う空気が、悠利くんの言葉を聞いた瞬間に和らいだ気がした。
これで、この息が詰まりそうな戦闘が終わるのだろうか――そう思ったけれど、次の瞬間、複数の足音が近づいてくるのに気がついた。
「――侵入者を捕らえろ! 聖女様を守れ!」
それは我が家を警備してくれている兵士さんたちだった。
彼らは統率された見事な動きで、あっという間に三人を取り囲むと、槍の穂先を向ける。
すると、侵入者の三人は互いに顔を見合わせ、武器を地面に置いて両手を上げたのだった。
◆
城にある豪奢な一室。綺羅びやかなその部屋で、私たちは、悠利くんと三人――アリーさんとレレイちゃんと、クーレくんを混じえ、この国の王族と対面していた。
あの後、集まった兵士たちに捕まった悠利くんたちは、暫く取り調べを受けていたらしい。、投獄なんてされたらどうしようかと心配していたのだけれど、今は特に拘束されることもなく、椅子に座って侍女から給仕を受けている。
流石に、武器類は没収されたようだけれど……。
まだ、彼らの処遇がどうなるかはわからないけれど、今のところは大変なことにならなくて良かった。
王様は私たち全員が揃ったのを確認すると、ある「扉」の話を始めた。
「――『稀人の扉』……?」
「うむ。そうだ」
それは月が満ちるとどこからともなく現れるのだという。
金細工が施されたその「扉」の様式は、どの時代にも当てはまらない。古びたようにも見え、新しくも見える不思議な「扉」。それは、ある日突然現れ、数日後には忽然と消えているのだそうだ。
どうやら、そんなものが知らずに我が家の庭の茂みの奥に現れていたらしい。
勿論、「扉」の出現は頻繁に起こるようなことではない。この国でも、記録が残っているのは初代聖女が召喚された千年ほど前に一度あるのみだという。
「扉の向こうには、まったく別の理を持つ世界が広がっているのだという。まさか、この時代に現れるとは思わなんだ」
「父上、その『扉』とやらは、安全なのでしょうか。万が一、その扉を潜って悪意のあるものが現れるようなことがあれば……」
すると、王様の傍らに立っていたカイン王子が、疑問を口にした。
確かにそうだ。世界間に通じた扉を通っての侵略なんて、どこかのSF映画にありそうな話だ。私たちの心配を他所に、王様は朗らかに笑って、カイン王子の言葉を直ぐ様否定した。
「カインよ、あの扉の良いところはな、悪しき心を持つものは通り抜けられないところにあるのだ。純粋に別世界に興味を持つものだけが、通り抜けられる扉――それが『稀人の扉』なのだよ。それに、あれは吉兆の兆しと言われているのだ」
「吉兆?」
思わず、その場に居た全員が顔を見合わせる。その「稀人の扉」なるものが、どうすれば吉兆の兆しとなるのだろう。
「言い伝えによると、過去にあの扉が現れた国は、別世界の住民によって新しい技術や知識がもたらされ、一層栄えたという。この邪気の急増期の今、『稀人の扉』が現れた。大変結構ではないか!」
そう言って、王様は愉快そうに笑っている。けれどそれとは正反対に、アリーさんたちは困惑しきりの様子だった。
「お待ち下さい。新しい技術? 知識? ……そんなもの、俺たちに求められても」
大慌てのアリーさんに、王様はひらひらと手を振った。
「ははは。何も気負うことはない。其の方らにとって、普通のこと、なんでもないことが、我らにとっては革新的である場合がある。共に過ごし、語らう――それだけで、何か新しいことを知れる機会となろう。それに、無理に技術や知識の提供を望むつもりはないのだ……今は、我が国にはそんな余裕はないのでな」
「先程おっしゃっていた、邪気の急増期というやつですか」
「ああそうだ。まあ、それについては、其の方らは気にせずとも良い。これはこちらの世界の問題だからな。あの扉は満月から3日間ほど開いているらしい。どうも、その間は行き来が自由らしいぞ。其の方らは観光気分で、我が国の滞在を楽しんでくれ……ああ、どうしてもというならば」
すると、王様は座っていた椅子の肘掛けにもたれ掛かり、意味ありげな笑みを浮かべた。
「滞在費代わりに、そちらの世界の旨い酒なんぞを持ってきてくれても良いぞ?」
「……ブハッ!!」
途端、アリーさんが噴き出し、クーレくんはぽかんと口を開け固まり、レレイちゃんはお腹を抱えて笑いだす。その様子は、カイン王子のげんなりしている姿とは対照的だ。
アリーさんはひとしきり笑うと、背筋を伸ばし、まっすぐに王様を見て言った。
「では、一国の王の口に合うかわかりませんが、幾つか美味いと思うものをお持ちしましょう」
「おお! 楽しみだ!」
アリーさんの言葉に、王様はまるで少年のように表情を輝かせ、隣に立つカイン王子はめまいがするのか、若干よろめいてダージルさんに支えられていた。と言っても、そのダージルさんも「おいおい、俺も飲むからな。独り占めするなよ!」と、幼馴染である王様に釘を刺していたけれど。これでいいのだろうか、この国……!!
……と言う訳で、王様公認で滞在を許された悠利くんたちは、その後、我が家で一緒に食事をすることになった。どうも、行方不明になった悠利くんを探して、三人は禄に食事もしていなかったらしい。本来なら、王様主催で晩餐会を――なんて話も出たけれど、大分遅い時間で厨房の火は落ちているし、料理人たちも帰ってしまっている。ならばと、我が家で彼らをおもてなしすることになったのだ。
悠利くんと一緒に、晩酌用に用意しておいた材料でたくさん天ぷらを揚げて、ついでにおつまみなんかも作って、みんなで食卓を囲む。クーレくんも、レレイちゃんもとてもいい子たちで、美味しそうに沢山料理を食べてくれるものだから、なんだか嬉しくなってしまった。
アリーさんとは、マイペースな悠利くんと天真爛漫な妹のことで、意気投合してしまった。お互いの苦労話をしていると、みるみるうちにお酒が減っていって、一升瓶なんて瞬殺だったことを報告しておく。
――因みに、この場に王様も参加したがったのだけれど。
意気揚々と私たちに付いてこようとした王様は、青筋を立てた仏頂面の宰相様に、眠る前の執務が先だと、襟首を掴まれて引きずられていった。
王様の、ドナドナされる仔牛のような目が凄く印象に残っている。
……まあ、そのうち勝手に抜け出して、晩酌しにくるだろう。
そんなこんなで深夜を回った頃、取り敢えずアリーさんたちは、一旦帰ることになった。
「世話になった。明日、また酒を持ってくる」
「はい。お待ちしてますね」
アリーさんはそう言うと、「稀人の扉」の向こうへと消えていった。クーレくんや、レレイちゃんも元気に挨拶をして戻っていく。そして、最後に残ったのは悠利くんだった。
彼は、ふんにゃり柔らかい笑みを浮かべると、私と握手を交わしながら言った。
「明日こっちに来たら、またご飯作りますね」
「ええと、いいのよ? そっちの世界でもおさんどんしているんでしょう? なにも、こっちの世界に来たときまで料理しなくったって」
すると、幼い顔をした日本人の少年は、心底不思議そうな顔をして首を傾げた。
「でも、茜さん。僕の料理を食べた時、感動していたでしょう? 茜さんだって、偶には他人の作った食事が恋しくないですか?」
「え」
「他人の作ったご飯が、無性に美味しく感じるときってありますよねえ。和食なら尚更! 茜さんのご飯、懐かしくてとっても美味しかった。あ、そうかあ。ご飯作りっこすればいいんですね。そうしたら、お互いに食べられる」
これは名案だ! とニコニコしている悠利くんに、私はなんだかえらくくすぐったくて、胸の奥が温かくなって――咄嗟に、どういう顔をすればいいかわからなかった。
「ユーリ! さっさと来い!」
「あ、はあい! じゃあ、またね。茜さん、ひよりちゃん!」
悠利くんは、アリーさんに呼ばれると、ぺこりと頭を下げて扉の奥へと消えていった。
「行っちゃったね」
「うん」
賑やかな四人がいなくなると、夜も大分更けた我が家の庭の静けさが際立って感じる。
妹は、ふわ、と大きく欠伸をして、家に戻り始めた。その後ろ姿を追いかけながら、ぽつりと呟く。
「中学生の子が、異世界でひとり頑張っているんだもんね。私も、もっと頑張ろう」
すると、妹がこちらを急に振り返り、呆れたような顔で私を見た。
そして、こう言ったのだ。
「……悠利くん、高校二年生だよ。私のいっこ上」
それは、別の世界の人間が庭から現れるという大事件があった今日一日の中で、一番衝撃的だった。
「…………うえええええええええ!?」
脳裏に、私よりもちっちゃくて、にこにこ可愛らしい笑顔を浮かべた眼鏡の少年の姿が浮かぶ。どうみても、妹よりも年上には見えない彼に、思わず変な叫び声を上げてしまったのだった。
……そのせいで、警備にあたっていた兵士さんたちが一斉に駆けつけて来て、大変な騒ぎになったのは言うまでもない。