星の数だけ願いを込めた
「人は死んだらどうなるんだろうな」
「知らない」
「そりゃそうだ」
七月七日、今年は珍しく晴れている。毎年雨か曇りで天の川なんてとてもじゃないが見れないような天気なのに、今年は違った。星をべったりと塗りたくったような夜空。これは田舎だからこそ見られる光景なのだ。
土手の芝生に並んで寝転び、私と元春はただ無言でそれを見た。七夕祭りのあった後だから、虫の音に混じって微かに屋台の残り香がする。高速道もない、ビルもマンションもない、世界から見放されたようなこの村でも一応祭りくらいはあるのだ。
「あ、オリオン座」
元春が指をさして得意げに言う。バカね、と私は笑った。冬にしか見えないオリオン座がこんな季節に見えるはずがないのだ。その間違いに気付いていない元春に向かって、ならあれは?と違う星を指差せば、予想通り返ってきた言葉は、さぁという短いものだった。私だって、知らない。
「あ、あれなら分かる。さそり座だろ」
「うん」
さそり座を知っている人がなぜ真夏にオリオン座を見つけることができるんだろう、不思議でたまらない。まぁ実際私も星座のことはよく知らなかった。元春の言葉に、うんと頷いたけれどこの星の集まりのどこをどう見ればさそりの形に見えるのかさっぱりだった。適当なのだ、お互いに。
それでも昔の人にはあれがさそりに見えたんだろう。
そして今も見える人には見えるに違いない。だからこそさそり座という名前が現在も引き継がれているのだ。ただ私にとって、さそり座やら夏の大三角やらペガサス座やらそういうややこしいものはどうでもよくて、ただ元春の隣りで見る今のこの星空が綺麗なままいつまでも残っていてくれたらそれでいいと思った。
「私の昴っていう名前も星からきてるんだよ」
「へぇ、」
「おうし座にあるプレアデス星団の和名が、すばるなんだって」
「ふーん」
とりとめ興味がなさそうに返事をする元春に、ベラベラ喋り続ける私。よくあるやりとりだからもうお互い慣れっこだ。何と言ってもまだ平仮名も満足に書けないうちから私たちは一緒にいるのだ。この関係が高校三年の今日まで続いたことは奇跡としか思えない。
「だから私は星の子なんだよ」
「違うよ、昴は厳つい百姓の親父さんと肝っ玉母ちゃん代表みたいなおばさんとの間に生まれた田舎っ子だよ」
「確かに」
そう言って私たちは笑い合う。明るい夜空に二人の笑い声が混ざった。
ふいに、無防備に投げ出した私の右手が、元春の左手に少しだけ触れた。すぐにその手を引っ込めたけど、触れた指先だけが熱を帯びたように熱くなっていた。隣で寝転ぶ元春の横顔をチラリと盗み見する。星空のせいか、それとも何かを予感させる夏の匂いのせいなのか、彼はいつもとどこか違って見えた。
辺りは静かすぎて、星のまばたきが聴こえてきそうだ。
「なぁ昴、」
「なに」
「進路決めた?」
「うん」
「どこよ」
「東京の大学」
田舎者はすぐ東京に行きたがるよな、なんて憎まれ口を叩かれる。あんたも田舎者でしょと言い返せば、俺は東京なんて行かねえよと呟く元春。
「じゃあどこ行くの?」
「秘密」
「沖縄の大学でしょ」
「知ってたのかよ」
「うん。おばさんに聞いた」
そっかそっか、と言いながら元春は口を閉ざした。私もそれ以上何も言わず、ゆっくり視線を空へと戻す。
私たちの瞳いっぱいに写るこの星がいつまでもいつまでも続けばいい、なんてとんだ幻想だ。来年からは別々の道で、別々のものを見なくちゃいけない。こうして二人揃って星を見るなんてこと、今年が最後だろう。私だって、いつまでも二人一緒だと呑気なことを考える程もう子供じゃない。分かっていた、最後の夏だと。分かっているから……口に出すのが怖かった。
考える程に目の奥が熱くなる。あ、やばい泣きそう。
「今日は七夕だ」
「知ってるよ」
「何か願い事しようぜ」
「やだ」
「なんでだよ」
「何か、やだ」
夢のない奴だと笑われた。私だって別に夢がないわけじゃない、叶えばいいなと思ってることだってもちろんある。だけど七夕に願い事なんてそんなベタなこと、こっぱずかしくて私にはできないのだ。
そんな私を余所に元春はじっと目を閉じていた。お決まりの短冊もなければ、願いを書く紙すらないというのに何かを必死で願っている。少し経って目を開けた元春に、何を願ったのか聞くと笑って誤魔化された。
「教えてよ」
「秘密」
「ケチ」
「……」
「なにしてんの」
「んー?」
無数の星に手をかざす元春。届くかなと思ってさ、なんてことを真面目な顔で呟いた。星が落ちてきそうな夜にはそういうことを本気で思ってしまう人間もいるらしい。
生温い風が吹いた。伸びきった草が頬に触れる。くすぐったくて顔を横に向けると、元春と目が合った。
「なんだよ」
「いや、別に」
すぐに目をそらし、再び視線は夜空へ。あまりにも完璧なその星空を見ていると、隣りにいる幼なじみへの想いが余計に強くなる。関係が崩れるのが怖くて怖くてたまらなかったこの気持ちを、今この瞬間に伝えられたらどんなに楽か。
織り姫と彦星のように、この先どんなに離れても七夕の日にはこんな風に毎年会うことができたらなんて一瞬考える。だけどどう考えても無理だった。人は伝説じゃない。織り姫と彦星の間を隔てるものは天の川だけど、これから私たちを引き離そうとしているものはそんな綺麗なものじゃないんだ。時間とか距離とか気持ちとか、いろんなものが複雑に絡み合い壁を造っていくんだろう。
時間が止まればいいと思った。二人がこの村から離れなければいいと思った。たとえ元春に恋愛感情がなくてもお互いを大切に想う気持ちがこの先もずっと変わらなければいい。そう、思った。
でも残念ながら変わらないものなんてない。近い将来、元春の隣りにいるのは私ではない。だからせめて、夜空を彩るこの星たちが、あわよくばこれから待ちうける君の未来を照らす星であってほしい。元春がもしこの先、人生の崖っぷちに立たされた時も変わらずに元気づけてあげてほしい。そばにいられない私の変わりに。
散りばめたダイヤモンドのような空を、ぼーっと眺めていた時。あ、と声を漏らせば、元春もそれを見つけたのか同じように反応した。一筋の流れ星が空を切ったのだ。私は思わず目を閉じる。その様子を見た元春が笑い混じりにからかってきた。
「昴、今何か願ったな」
「違うよ」
「じゃあ何で目閉じたんだよ」
「別に」
わざと素っ気なく答える私に、しつこく問いただしてくる元春。あまりにもしつこいので、うるさいなぁと口を尖らすが効果はなかった。それならばと少し突き放すようにさぁ、と言葉を濁せば不機嫌そうに唸る元春。 あんたの願い事教えてくれるなら教えてあげるよ、と取り引きを持ちかければ彼は小さく頷いた。私は少しだけを咳をしてから口を開く。
「これからもずっと、こんな風にいられますようにって」
「ほら、やっぱり願ってんじゃん」
「願ったんじゃない」
「じゃあ何」
「そうなればいいなって……思っただけだよ」
とんだ屁理屈だと元春は言った。叶えばなんでもいいと私は応えた。目尻を下げて笑ったあと、彼は言う。
「奇遇だな。俺も同じこと思ってた」
星の数だけ願いを込めた
(どうか、君のその気持ちがいつまでも消えませんように)
何度も何度も願いを込めた。少しでも君に届くようにと。
虫の音響く帰り際、私は置いて行かれないよう、半歩先を歩く元春の隣りに並ぶ。彼はいつまで覚えているだろうか。今日、この日、君の隣で、一緒に星を見ていたのが私だということを。もしかしたらすぐに忘れてしまうかもしれない。それでもいいと、私は思う。元春が忘れてしまっても私がずっと覚えていよう、忘れないでいよう、この気持ちも星の夜も。
少しでも瞳に焼き付けようと私はもう一度空を見上げた。夏の風に吹かれて輝く星が揺れていた高校最後の七月七日、七夕の日。
(確かに、恋だった)