8-2
マリーと名乗ったカミーユと、別の町の少年であるアルマは、それから何度か森で会い、親しくなった。アルマは人がよく、快活な少年であったが、走り回って遊ぶことはしなかった。静かに読書をしたり、語り合ったり、ただ二人きりで森を歩いたりすることに時間を使った。
しかし彼との時間を共有し、彼の人のよさに触れるたびに、カミーユは自分とは全く異なる人間なのだと思い知った。
「アルマはどうしてわたしと一緒にいてくれるの?」
普段のカミーユは無口で、眉間に皴を寄せて地面だけを見つめている。誰とも会話できず、父と共にいては人を殺す技術を身に刻む日々を送っていた。自分といて彼が退屈しているのではないかと思ってしまう。
アルマはそんなカミーユの不安を一笑に賦した。
「初めて会った時、マリーはあの婚礼を見ながらじっとしていただろ? 入りたくても何か事情があって入れないんだろうなって思って。そんな君を見ていたら、いつの間にか僕が君と一緒にいたくなったんだ」
カミーユは彼の為に、身に付いてしまったある特技を披露した。獲ったうさぎを捌いてその場で簡単に調理したのだ。
「凄いね。それに、美味しい」
彼女の父は、人体の解剖を始める前に、獣のからだで生きていたものを切り開く練習をさせていた。その度に手が赤く染まり、骨と肉の位置を確認する。やりたくないと訴えては彼女は父に顔を殴られた。
泣きながら覚えたことだが、こうして喜んで貰えたことが嬉しかった。
彼らが語り合うのは本当に些細な事だった。幼虫を繁殖させる方法。森の草花の種類と開花時期。雛鳥が独立するまでの習性。星座についての逸話。アルマは饒舌に語り、カミーユはにこにこと笑いながら静かに耳を傾けた。その内容はカミーユがセルジュに語ったことを被っていた。彼女に知識を与えたのは彼だったのだとセルジュは知った。
アルマと出会ってから、カミーユは見違えて明るくなった。蒼白だった頬の色は、白桃のような瑞々(みずみず)しさを含み始めた。枯れていた若葉色の瞳は葉脈を取り戻した。それは、彼と会っている間は「処刑人の娘カミーユ」ではなく、マリーという平凡な名前の少女になるからだ。その偽りの身分が、彼女のからだを軽くさせ、呼吸を豊かにさせ、血の巡りを滑らかにさせていた。
森は、鈴蘭が豊かに咲き乱れていた。花嫁の手元を飾った花で、幸福を象徴する花。
「幸福の花だね。復活を示すものでもある。一人の少年に恋心を残して死んでしまった娘が、花守の妖精として再び生まれ変わり、彼と結ばれたという伝説もあるんだ」
白い花弁をもてあそびながら、アルマは語りだす。セルジュも知っている、有名な逸話。
「でもその話は悲しいわ。だって、結局その子は願いを叶えてすぐに消えてしまったのでしょう?」
悲しいだけじゃないんだよ、とアルマは月光の髪を撫でた。細い糸が、かたちのいいアルマの指に絡む。
「悲しいけど、それ以上に美しい。だから人のこころに残るんだよ」
白い花が連なった一本を手折って、アルマは少女の耳に飾った。
「いつか君の髪に、本当の真珠を飾りたいな。きっと、ものすごく綺麗だよ。ねえマリー。君は受け取ってくれるかな」
耳に触れた少年の指が、じっくりと少女の輪郭をなぞっていく。目の前にある柔らかな存在をたしかめるような仕草だった。
それが何を意味するかは、アルマやカミーユは勿論、セルジュにも分かっていた。
少女は顔を赤らめて――しかし、すっと瞳を伏せてしまった。深い影が落ちる。婚礼の時に見せていたあきらめの人の顔だ。
「あなたの気持ちを受け取りたい。わたし、あなたの言葉が嬉しくて、幸せで仕方がないんですもの。でも、わたしは……」
カミーユは今にも泣きそうな声で、細くほそく言い募る。
「わたしはあなたにふさわしくないわ。本当のわたしは、あなたが思っているような綺麗な女の子じゃないの。わたしにはあなたに言わなくてはいけないことがあるのに、怖くて伝えられない。だって、だってわたしは……」
言葉は続けられなかった。思わず、セルジュは顔を引き攣らせる。朝、セルジュが出来なかった行為を、目の前の少年は簡単に実行した。
静寂が訪れた。
ややあって唇を離したアルマの瞳が、戸惑いに揺れる若草色の瞳をのぞき込む。
「それを決めるのは僕だよ、マリー。それに、君にどんな秘密があっても構わない」
少年はカミーユの頭を抱き、細い背中に腕を回した。互いのからだがぐんと近くなる。アルマは自らのすべてを使って、少女のからだを包み込む。
「可愛いマリー、僕の宝物」
カミーユはおそるおそるアルマの胸に頬を重ねた。アルマのからだの温かさに、少女は落ち着きを取り戻す。顔は幸福に染まり、口元は喜びに綻んでいた。
少女は花を家に持ち帰り、父親がいないときを見計らって簡単に栞に加工した。枕の裏に隠し、父がいない時や寝る前にそれを眺めては幸福な時間を思い浮かべた。
父と同じ空間にいるだけで息が詰まりそうになるのは変わらない。家の中では普段通りを貫き、たまに彼に会うときは明るい少女になる。その時に彼女が浮かべる顔を見て、セルジュはアルマに強い妬心を抱かずにはいられなかった。自分に、あんな幸福そのものの顔を向けてくれたことはなかったから。目の前の少年に対して、そして彼女に対して、理不尽な怒りすらも感じてしまう。
春から夏を通り過ぎ、秋になり、少女の生活は変わりなく続いた。
だが、娘の僅かな変化を見過ごすほど、彼女の父は愚鈍に出来てはいなかった。