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氷れる花園  作者: 神山雪
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 祭りが終わった翌日から、本格的な冬支度が始まった。

 七日おきに新鮮な牛の血を家の柱に塗るのも忘れない。その度に、若い牛の命が絶たれた。なお、絶命した牛の肉は手早く燻製にして保存食にする。血は生き物を守る結界をつくるために流し、肉は人間の生存活動の為に食べるのだ。ラドルファスはその日の説教で、生きることは食べること。食べることは、自覚を持って殺すことだと説いていた。われわれは流した血のためにも、懸命に生きねばならぬと話を閉じていた。

 また来ると宣言した通り、セルジュは間をおかずに森に入った。少女は、セルジュの顔を確認すると、顔を輝かせて迎え入れた。

「来て! 森の中を案内するわ!」

 二回目の夜。彼女はセルジュの手を引いて、花園のまわりを案内した。

もうずっとここにいると言っているように、彼女は森について詳しく、何処に何があり、何時頃何が咲くのかということを熟知しているようだった。静かに歩くセルジュの横を、カミーユはくるくると自由に動き回った。

 こうしてセルジュに、たった一人の友達が出来た。

 死地の森に入っていると誰にも気付かれないように。昼間はラドルファスから任されている聖堂の雑用がある。だから森に入るのは必然的に夜になった。全ての生き物が寝静まった頃、教会を抜け出して、暁暗があらわれる直前に村に帰っていく。

 カミーユはとても饒舌(じょうぜつ)で、セルジュは寡黙だった。彼女が話すと、セルジュが静かに耳を傾ける。会話の手綱は常に彼女が取っていた。

「あなたは土みたいなひとね」

 ある時、彼女はセルジュをそう評した。それはつまり、共にいてつまらない人間だと思われたのだろうか。

「お馬鹿さんね。一緒にいて落ち着くっていう意味よ」

 セルジュのそんな不安を、カミーユは笑って吹き飛ばしてくれた。

 話すのは本当に些細なこと。例えば、幼虫を繁殖(はんしょく)させる方法。森の草花の種類と開花時期。雛鳥(ひなどり)が独立するまでの習性。星座についての逸話。森に生えた植物は、どれが食用にできて、どれが毒なのか。

 彼女は森以外のせかいを本当に何も知らないらしく、セルジュに、ネムの街という大都市についての話をねだった。整備された街。豊かに小麦が匂い立つパン屋の活気。珍しい形の看板。馬車と馬車が行きかう交差点。ただ眺めるだけの生活を送っていたセルジュの話を、カミーユは、目を輝かせてそれは楽しそうに聞いた。

 そういった話から、お互いのことを少しずつ知っていく。

 彼女は時に、鈴蘭の花園から花びらを手に取って、泉の中に投げていた。

「終わりそうな花とか、ちょっと密集したところとか、間引いてあげないと次の花がさかないの。ただ捨てるのはなんだか可哀想だから、こうやって水の中で浮かべて遊んでいるの。なんだか泉から生まれたみたいで綺麗でしょ?」

セルジュから見て、少女は謎だらけの存在だった。質素な単衣を着ていて、常に裸足だった。両親は一緒にいないのか。どうして森から出られないのか。どういった家に暮らし、どうやって生活をしているのか。山ほどある疑問は全てのみこんだ。事情を根ほり葉ほり訊ねるのは気がひけるから。

ただ一つ、少女と約束した。

「わたしがここにいるっていうことは、誰にも言わないでね。わたしももし誰かと出会ってしまっても、あなたがここにきているっていることは誰にも言わないわ」

 その点は大丈夫だった。この村にもどこにも、親しい友人はいない。唯一気をつけなくてはいけないのは保護者であるラドルファスだが、彼とは秘密を共有するような間柄ではない。

 目の前にいる少女以外、話す相手などどこにもいなかった。

「うさぎは得意?」

 出会って暫くしたある夜、彼女がそう尋ねてきた。うさぎを見るのが大丈夫なのか、触るのが大丈夫なのかがよくわからなかった。

「実はさっき、運よくうさぎを捕まえたの。一人だと食べきれないから、一緒にどう?」

 そういった彼女の右手は、(くだん)のうさぎの足で持っていた。

 まさか食用だとは思わなかった。うさぎを食べるという発想が、セルジュにはなかったのだ。それでなくても、人と話すことと同じように、セルジュは肉が苦手だった。食べようとすると、どうしてもその生き物が生きていたままの姿を思い出してしまう。

 セルジュがそう伝えるより早く、カミーユは小さいナイフで素早く、正確に、内蔵と肉、骨と皮を分けていく。慣れた手つきだった。綺麗に捌き、塩をふって適当に拾った木の枝に刺す。香草をまぶすのも忘れない。香草も、森に生えていたものをとってきたのだという。

「すごいね」

 ナイフは刃こぼれが酷かった。こんなぼろぼろのナイフで綺麗に捌ける彼女の技量にただ目を見張った。

「生き物を見ると、だいたい、どこになにがあって、どう捌けばいいかわかるの。慣れって怖いわ。最初、わたしもやるのがいやだったもの」

 だんだんと、肉が焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。その匂いは、今までかいだどの獣肉よりも美味だと訴えてくる。

「気を付けて食べてね。口ってからだのなかでも神経がとがっていて、火傷しやすいの」

 言われた通り、セルジュは少し冷ましてから口を付ける。

 驚いた。

「美味しい。全然くさくない」

 表面がかりかりに焼けたうさぎは、かぶりついてみると柔らかく仕上がっていた。香草と塩味がけもの臭さを打ち消して、肉の甘みだけを引き出している。これなら、生き物の姿を思い出さずに食べられそうだ。

「よかった! わたし、うさぎ以外のけものが食べられないの。こうしてよろこんで貰えたなら嬉しいわ!」

「苦手だったの?」

「うん。うさぎ以外は全部だめ。匂いがだめなの。それと、食べようとすると、生きている時の姿を思い出してしまうから」

「それ、僕と一緒だね」

 そうして静かに笑いあう。何でもない会話から、互いのことを共有していくのが心地よい。今までセルジュが知ることのなかった類の喜びだった。

カミーユは右手で串を持って、小さい口で冷ましながらうさぎを食べている。右手の甲は、まだ布で覆われたままだった。

「カミーユ。それ……まだ治らないの?」

 初めて出会った時と全く同じに巻かれている。彼女とは何度か顔を合わせているけれど、その布が外されることはなかった。深い傷なのだろうか。もし原因が分かれば、明日にでも教会から塗り薬でも持ち込めるかもしれない。

「昔、結構大きな傷をつくっちゃって。ちゃんと治っているんだけど、みっともないし、自分でも見たくないから隠しているの」

 かつての傷を覆った布の上から撫でる。明るかった彼女の顔に、濃い陰がさされた。暗い何かを抱えた人の顔だった。長い睫が、彼女の瞳の輝きを隠した。陰がいっそう、彼女を美しいものへと際立たせる。

セルジュと話す時の彼女はいつも明るい。だけど、それのみが彼女の全てではないのだと今更ながら気付かされる。

 にわかに背筋(せすじ)がぞくりと震え、セルジュはひとつの衝動に駆られる。隠れた瞬きを意識すると、制御が利かないほど心臓がざわついた。陰が濃くなった彼女の肩は、いつもよりもとても細く感じる。押しただけで簡単に壊れてしまいそうなほどだ。

「でも大丈夫! さっきも言ったけど、治っているし、動かすには問題ないの。ほら! だから、あんまり心配しないで!」

 右手をセルジュの顔面に出して、握って開く動作を繰り返す。先ほどナイフを扱っていたのも右手だったし、何も案ずることはないのかもしれない。

 だけど怪我について今後は聞かないことにしよう、と胸に誓った。見たくない程隠しているのは、その時の出来事を思い出したくないからだ。あのさされた陰は、本人が話したくない、みずからの秘密なのだ。暴いてはいけない。湧き上がった衝動は抑えこまないといけない。

 たとえどんなに美しくて、手のひらに収めたいと感じていても。

「……そんなに黙らないで。ほら、ちょっと歩きましょう!」

 カミーユはぱっと顔を輝かせて、押し黙ってしまったセルジュの手を取る。そして、澄んだ声を振りまきながら歩き回った。

「楽しい。こんなの久しぶり。ねえ、またわたしと遊んでね。約束よ」

 水の中の時間だ、とセルジュは思う。

カミーユと共にいる時間は、とても長く感じる時もあれば、一瞬の出来事なのではないかと感じる時もある。一滴の水に二人きりに閉じ込められて、その内側からせかいを見ているように思えてくるのだ。

 そうしてその日も、明け方になる直前まで少女の隣にいた。


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