灰色に染まる街
シナリオは【クトゥルフ神話TRPG】 灰色に染まる街 | aak #pixiv http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6505193 から頂きました。ありがとうございます。
またか
加賀雄二は本日何度目かになる溜め息をついた。
その溜め息の原因を説明するためには時を数時間ほど前に戻さなければならない。
──無機質な灰色のドアから、古くなり掠れた音のインターホンが鳴る。立て付けの悪いドアを開ければ、着物を着た男が立っていた。
「やあ、加賀くん。元気かい」
「帰れ」
加賀雄二は私立探偵である。事務所と住居は同じだ。つまり家が会社であるのだ。こんな風に突然、ついちょっと近くまで来たから、というノリで来るようなところではない。
そう、何度も説明しているのに目の前の男はこちらの迷惑などどこ吹く風で飽きずにやって来る。
「おい、昼。何度も言ってるがな、ここはそうふらっと来るようなところじゃねえんだ。せめて連絡ぐらいいれろ」
「そんなこといってどうせ暇なんでしょ」
やはりこちらの迷惑など知った風ではない様子で、ずかずかと部屋に上がり込みソファに座る。”お土産”と言って品の良い紙袋に入ったカステラを取り出し、茶を淹れに台所へ向かった。
まるで自分の家にいるかのような振る舞いである。
加賀に”昼”と呼ばれたこの男。着物に帽子、どこか明治を思わせる時代錯誤な格好をしている。年は20代半ば、長身痩躯で顔立ちは恐ろしく整っているおり、黙ってさえいれば女と言っても差し支えないほどである。加賀がこの男について知っているのはこのくらいで、あとはどこに住んでいるのか、職業、はては本名すらわからない。”昼行灯と呼べ”そう言われたので加賀は省略して”昼”と呼んでいる。
こんな正体不明な男となぜ親しいのか。それにはまた複雑な理由がある。が、ここではその説明を割愛しよう。どうせ後ですぐわかるのだから。
昼行灯が茶を淹れ終わり切ったカステラとともに盆に乗せて戻ってきた。十一月半ば、隙間風が酷い古ビルの寒さに、淹れられた茶はほかほかと湯気をたてている。背に腹は変えられぬ。不本意ではあるが、加賀は昼行灯の好意を受けることにし、ローテブル前のソファに腰を下ろした。
「最近はどうなんだい。仕事はあるの?」
「それなりに」
「何か面白そうな事件の依頼とかこないの?」
「くるか、探偵をなんだと思ってるんだ。ほとんど浮気調査だ」
「君のとこならきそうなもんだけど。警察なんだし」
「元だ、元。それに探偵の評判なんざ、よほどの物好きでなければ知らんさ」
そうだよねえ。溜め息混じりにそう言いながら昼行灯は茶を啜った。
無言でカステラを食べていると、突然インターホンの掠れた音が部屋に響いた。
「お客さんかな」
当たり前のように出迎えようとする昼行灯を慌てて止める。ここは加賀の職場である。
「ややこしいからお前、少し奥に引っ込んでろ」
客を待たせてはいけない。加賀は昼行灯が引っ込んだかも確認せずに慌ただしくドアを開けた。ドアの向こうにいたのは背の低い男だった。短く揃えられた黒髪。低い鼻にちょこんと黒く細いフレームの眼鏡を乗せている。眼鏡の奥の瞳もどこか弱々しく、幸薄そうな印象を受ける。
「こんにちは、加賀探偵事務所はこちらでしょうか?」
「はい、そうです。どうぞ中へ」
いつまでも外に立たせてるわけにはいかない。依頼を聞こうと部屋に戻ると盆を手に持ちにこやかに立つ昼行灯が目に入った。
(何やってんだお前)
如何にもここの従業員だ、と言わんばかりに佇む昼行灯を睨みつける。部屋の奥に現れた時代錯誤な男に面食らったのか、男は昼行灯と加賀を交互に見つめた。
「あの、こちらの方は」
「私は彼の助手です」
否定する間も無く助手だと答えられる。
(またこれだ)
加賀は一つ、しかし小さく溜め息をつく。昼行灯という男、何かと理由をつけては依頼に同行し加賀の邪魔をしてくる。しかも困ったことに昼行灯が付いてくる依頼と言うのは何かと厄介なことが多いのだ。しがない一探偵という立場の加賀において、”厄介な事件”と言うのは少々荷が重い。
「……取り敢えず依頼を聞きましょう」
(もうどうとでもなれ)
加賀は溢れそうな溜め息を噛み殺してソファに座った。
ローテブルはいつの間にか片付けられていて新しい茶とカステラが置かれていた。昼行灯が用意したのだろう。妙なところで気の利くのが彼である。
「初めまして、私は鈴木達也と申します」
白く丸い指で摘まれた名刺を片手で受け取りワイシャツの胸ポケットにねじ込んだ。恐らく今後この名刺を使うことはないだろう。
「それで、依頼とは一体なんでしょうか」
「それが、私にもよくわからんのです。ただ、とある物を探して欲しいから加賀雄二という探偵を連れてこい。と言われただけでして」
「はあ?」
加賀が思わず声を荒げると、鈴木はあからさまに驚き、”ひぃっ”と情けない声をあげ後ずさった。今度は加賀が昼行灯に睨みつけられた。短気な加賀と気の弱い鈴木は相性が悪い。剣呑な雰囲気を読み取り、加賀に変わって後の質問は昼行灯に引き継がれる。
「誰から頼まれたのですか」
「社長です。大野孝と言います。突然呼び出されて加賀雄二を連れてこい、と」
大野孝、加賀はその名前を頭の中で反芻してみるがめぼしい記憶はなかった。まあ、いい。後で調べよう。今は昼行灯に任せた質問に集中すべきだ。
「それでとある物とは何かご存知で?」
「すみません。わかりません。本当に私はただ加賀さんを連れてこいと頼まれただけでして……」
鈴木の声は次第に小さくなり、最後は殆ど聞きとれない。昼行灯も加賀もいささかの同情を覚え、さてどうしたものかと顔を見合わせた。そんな二人の様子をみて、申し訳なさそうに鈴木が続ける。
「それで、あの、取り敢えず社長に会っていただけないでしょうか」
「まあ、依頼内容がはっきりしませんからね、行くしかないでしょう」
そうして加賀はコートを手に取った。
──車で30分ほど走り、高級住宅街のとある家の前で車は止まった。
車から降りると大きな家が目に入る。アンティーク調の屋敷に、見上げるほど大きな門。他の家も立派だが、ここは一際立派である。
門がひとりでに開き中に案内される。通された応接間にはコメディアンの様な黄色い派手なスーツに赤い蝶ネクタイをした40歳ほどの男性がにこやかな笑顔で加賀達を出迎えた。その姿はまるで……
「ゲッツいし、」
言いかけた言葉は昼行灯の手によって遮られた。しかし、抑えた昼行灯の口元も僅かにヒクついており、考えていることは同じなようだ。
「遠路はるばるようこそおいでくださいました。私は大野孝と言います。疲れたでしょう、どうぞお座りください」
一緒についてきていた鈴木を退出させ、黒い革張りのソファに座らされる。目利きのできない加賀でも、それが事務所のおんぼろのソファとは比べ物にならないような高価なものであろうことは簡単に分かる。二人の前にもこれまた高そうな陶器のカップに淹れられた紅茶が出されたが、加賀は一瞬躊躇った。こんな良い物に一般人が口をつけていいのだろうか。しかし、こんな機会またとあるかわからない。加賀は有難く頂くことにした。恐る恐る一口飲んだが、スーパーで売っている物とほとんど変わりはないように思える。自分の舌が貧しいのだろう。
大野も紅茶を一口飲んでからおもむろに口を開いた。顔は相変わらずにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべている。
「加賀雄二さんですね、あなたに依頼したいことがあります。直接お話ししたかったのですが、なにぶん忙しい身でね。失礼なことをしてしまったことをお詫びするよ」
「いいえ、気にしないでください。それよりも、なぜ俺なのです?鈴木さんの話からするとわざわざ指名してくださったそうじゃないですか」
大野はああ、となんとでもないような風に口を開く
「それですか、実はあなたのことを少しだけ調べさせてもらったんですよ。なんでもあなたは 探偵の前は警察だったそうじゃないですか、それも腕利きの、今回の依頼はなんとしてでも見つけ出して欲しい物でね、そこで確実に実力のある君に頼もうと思ったのだよ。ところで、隣の方は?」
そう言って隣に座る昼行灯に目を向ける。怪しく思うのも当然だろう。加賀を調べたのなら探偵業は一人でやっていると大野に伝えられているはずだ。そこに突然現れたそれも珍妙な格好をした男。信用しろ、というのが無理な話だ。
「ああ、彼はまぁ、助手のようなもんです。変な格好ですが信用はできますよ」
(たぶん)
加賀は心の中で付け加える。加賀自身、彼のことはほとんど何も知らない。本心を探ろうにもへらへらと笑っている顔からは心中を探ることは難しく、信用できる、と胸を張って言えるかと問われれば”ノー”と言わざるを得ないだろう。ただ、今までの彼をみている限り全く信用できない訳でもない。そういった意味での”たぶん”である。
「なるほど、そういうことでしたか。それで探し物とは一体なんでしょう」
「レインメーカー、というものをご存知でしょうか」
レインメーカー、という言葉を聞いた途端、昼行灯がはっとした顔になる。どうやら心当たりがあるようだ。
「ああ!なるほど。そういえばそうでしたね」
昼行灯は全て理解したようで、小さく頷き再び紅茶を啜りはじめる。一人だけ話の内容を理解していない加賀は渋い顔で昼行灯と大野の顔を見つめた。
「おい、俺だけ話の内容が見えていないんだけ ど」
「レインメーカー、って何かわかる?」
「それはわかる」
レインメーカー、一年ほど前に開発された持ち運びも可能なほどに軽量化された人工降雨を行うための装置だ。雨の降らない地域での実用を検討されているが、環境への影響などから使用に関して慎重な意見も存在する。
しかし、それが今回の依頼とどういう関係があるというのか、話の流れからレインメーカーを探せ、というのが今回の依頼らしい。だが、それと大野との繋がりが見えない。
「私が所有していた試作品のレインメーカーの一つを星野科学館に展示していましてね、それが先日何者かに盗まれてしまったのですよ」
「つまり、”盗まれたレインメーカーを探せ”というのが今回の依頼なんだよ。わかったかい?」
そういえば今朝のニュースでそんなことを言っていたような気もする。探し物は確かに探偵の仕事の一つではあるが、それでも引っかかることがある。
「はあ、依頼はわかりましたがそれなら探偵などではなく警察の仕事ではないでしょうかなぜわざわざ私に」
「もちろん、警察に被害届は出している。しかし、警察は星野科学館の方の調査が忙しそうでなかなかレインメーカーの捜索まで手がつかないようだ。レインメーカーは画期的な発明だ。これがあれば世界を貧困から救い出すことができるかもしれない。私は一刻でも早く世界を貧困から救い出したいと思っているんだ」
「人手は多い方がいいってわけね」
「報酬は弾もう」
レインメーカーの捜索、依頼内容はいたって普通だ。探し物も依頼される仕事の中では多い方だ。報酬も期待できそうだ。これを断る理由は今の所見つからない。
「わかった。引き受けよう」
こうして加賀はレインメーカー捜索の依頼を引き受けることとした。
大野邸を後にして帰路につく。秋の空は抜けるように青く高い。しばらく雨の心配はなさそうだ。いたって普通の依頼に出かける前の心配は杞憂だったか、と胸をなでおろす。
「昼が付いてきた割には普通の仕事内容だったな」
加賀は横目で昼行灯をみた。昼行灯はきょとんとした顔でこちらを見返す。何をいっているのかわからない。そんな様子だ。そして信じられないようなことを口にした。
「え?どこが?」
は?思わず足を止め綺麗な顔を見ればやっぱりわかってなかったか、と肩をすくめられた。
「あの話には所々嘘が混じっていた」
「どの辺が嘘なんだよ」
「まず盗まれたというレインメーカー、あれはおそらく星野科学館にあったものではなく個人的に所有していたものが盗まれたんだろう。それも様子からして昨日かな。それから世界を貧困から救い出すためのくだりも嘘。あと警察に被害届を出したっていうのも。ただし協力者は我々以外にもいるらしい」
嘘だらけじゃないか。
「あと……」
「今度はなんだ」
「あの部屋にはとても美味しそうな蜂蜜酒が置いてあった」
今日一番の真剣な表情で言い放った昼行灯を見て、もう勝手にしろ。と吐き捨てた。
またか
こいつといると毎回こうだ。否が応でも怪しい事件に巻き込まれる。そうして加賀は盛大に溜め息ついた。
そして冒頭の溜息に戻るのである。