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生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
終章 ~光への道~
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第九話

 闇夜を切り裂く蛍の鬼火は、屋敷を通過し、さらに速度を上げて目的地へと俺達二人を先導していた。

「どこまで行ったんだ、蛍……!」

 井戸はとうに過ぎている。確かに周囲の確認をしてくれとも頼んだが、そもそもあの場から引き離すのだけが目的だった手前、こんなにも遠くまで行ってしまうとは予想していなかった。

 いや、おそらく彼女一人でここまで来たわけではないのだろう。

 遠くにぼんやりと桜の木が浮かび上がっている。

 何かと思い出深い桜の木だ。満開の桜の花が、数多ある篝火の橙を反射させて鮮やかに浮かび上がっている。

 あそこだ。

 直感がそう告げていた。

 爆音が耳を劈いた。数瞬遅れて、冷たい風が目に見えない圧と共に吹き抜ける。迸る二つの魔力の奔流は、よくよく身に覚えのあるものだった。一つは水望の、そしてもう一つは祖父のもの。あの丘に、他の皆が揃っている。そう確信した。

「急ぐぞ!」

「うん!」

 その瞬間、先導していた鬼火が音を出して弾けた。鬼火を貫いた「それ」が足元の土を抉って深々と突き刺さる。陸の使う矢だ。矢の軌道を逆算し発射点を睨む。

 桜の木の根本に人影が見えた。それともう一つ、丘の中腹辺りにも頂上目掛けて駆け上がる影があった。

 頂上の影、陸が矢を番えた。それと時を同じくして、陸に向かう影が紅蓮の炎を身に纏う。それは炎の竜巻のように姿を変えて頂上の陸へと接近した。

 あの炎、あの魔力、間違いない。水望だ。炎を身に纏い、陸の弓を無効化する心算なのだろう。接近戦にさえ持ち込めば、あの二人なら互角の腕、魔法を加味すれば水望の優勢のはずだ。そして俺たちが加勢すれば。

 しかし、再び駆け出したその時、突然炎の旋風が霧散した。次いで見えたのは、吹き飛ばされ、坂を転がり落ちる水望だった。

「水望!」

 名を叫びながら、丘の斜面に横たわる水望の元へと駆け寄る。所々に血の滲む泥だらけの衣、そして何より目を引いたのが、太腿に突き刺さった弓矢だった。

 この矢は、あの炎をかいくぐったというのか。

「大丈夫か! しっかりしろ!」

 周囲に防御魔法を展開し、ひとまずの安全を確保する。

 苦悶の表情を浮かべて喘ぐ水望の額には、玉のような汗が噴き出していた。

 水望は、左の太腿に刺さった矢を掴んだ。

「これっ……抜いて……っ!!」

「馬鹿言うな! 下手に抜くと返しが!」

「ぐっ……あぁっ!!」

 静止も聞かずに水望はその矢を引き抜いた。目を剥いた道風が自らの衣の裾を破り、溢れる血潮に押し当てる。すぐさま治癒魔法を施し、なんとか出血だけはとどめた。

「抜くなと言っただろ! 今すぐまともな手当を──」

「見て!」

 目の前に血の滲んだ鏃を突き出される。青に薄く光るそれは、ある種の魔力強化を受けている証だった。なるほど、これのせいで水望の炎でも陸の矢を防ぐことができなかったのか。

 さらに観察しようと矢を受け取ったその瞬間、項がぴりりと疼いた。えも言われぬ不快感が背筋を伝う。

 この魔力の主に心当たりがあった。

「これって……」

「落ち着いて聞いて。私達の敵は──」

 刹那、轟音が響いた。地面を震わせながら、強大な魔力が防御壁を打ち破る。魔力の残滓は燐光と共に霧散し、風を乱してこの場に一瞬の静寂をもたらした。

 魔力の方向、丘の頂上に視線が自然と吸い寄せられた。

「は…………?」

 その姿を認めた瞬間、全身から血の気が引いた。

 時が止まったかのように世界から音が消えた。嘘だ、と発されたはずの自分の声は、やけに遠くから聞こえてきた。

 そこには、力なくうなだれた蛍を両腕に抱えた老人が立っていた。

 老人の口元が動く。

 よくやった、みすじ。

 こんなにも離れていて声なんて聞こえるはずないのに、はっきりとそう聞こえた気がした。すると、その足元にうずくまっていた黒い影が、すっと立ち上がって頭を垂れながらそのまま老人の後ろへと控えた。

 老人はこちらを真っ直ぐに見下ろしながら、優しく、冷たい微笑みを浮かべた。普段と全く変わらない、優しい(冷たい)微笑みを。

 矢を握る手に、水望のそれが重ねられた。

「私達の敵は、赤松様。他でもない、あなたのお祖父様よ」

 思考は全く追いついていない。だのに、あの微笑みを見た瞬間、全てを理解してしまった。

 思考も身体も理解を拒否しているのに、心の奥底、本能とでも言うべき場所が叫んでいる。


 あれが、すべての元凶である、と。


 使い物にならない理性を本能が押し除け、固まった四肢を無理やりに動かす。踏み出した足がもつれ、膝から地面に崩れ落ちた。

 しかし本能とは恐ろしいもので、そんなことなどお構いなしに身体を突き動かす。気がついたときには地面を蹴って走り出していた。

 何かを叫んだ気がしたが、自分でも何を叫んだのかよく分からなかった。誰かを呼んだのか、それともただの言葉にならない慟哭なのか。口が乾き、舌が喉に張り付く感覚のみが異様に強調されていた。

 丘の頂上まで登り詰め、刀を振り上げながら老人へと肉薄する。しかし、あまりに直線的な軌道を描いた刃は、いとも簡単に傍に控えていたみすじに弾かれ、金属の軋む嫌な音を立てながら後方へと飛んでいった。体勢を整える間もなく鳩尾に拳が入れられ、酸っぱいものが喉元をせり上がる。足から力が抜け、膝から崩れそうになるも、首を掴まれて全体重がどくどくと脈打つ首筋にかけられた。

「かっ……は……っ!」

 息ができない。視界が暗く歪み、全身の感覚が朧げになる。

「よせ」

 老人の声に従い、みすじはすぐさま手を離した。その場に崩れ落ち、激しく咳き込みながらぬかるんだ地面をのたうつ。

 生理的に滲んだ涙を通し、じっとこちらを見下ろしている老人を睨め付ける。

「お祖父様! 何かの間違いですよね!? そうと言ってください、お祖父様!」

「そうさね。確かに間違いじゃ」

 そこで言葉を区切り、背を向ける。

「……わしは、お前の祖父などではない」

 感情を押し殺した声音に、何も返すことができなかった。

 再び雨が降り出した。しとしとと頬を叩く雨粒が、やけに冷たかった。

「なあ、色葉や。お前さんは、この世界をどう思う?」

 背を向けたまま、老人は語り始めた。

「この世界に、魔導師とそうでないものが存在する。そのせいで、どちらかが虐げられる。そんなことはあってはならない。じゃが、現実として我々魔導師は、少数であるが故に長年差別されてきた。無論、わしらと彼らは違う生き物である以上、差別自体は仕方のないことじゃて、非難する立場にわしはおらん。じゃが、多数というだけで大きな顔をする奴らが、大した力もないくせにわしら魔導師を虐げているこの世界だけは、どうにも許せんくてのう」

「つまり……何が言いたい、のですか」

「わしと共に、世界を造り直してはみんか?」

「まさか……!」

「わしらはすでに、絶対の原初魔法『世界の光』のすぐそばまで来ている。こんな醜い世界を造り直すことなぞ、造作もない」

 確かにそれは魅力的な提案だった。

 だがそんなことよりも、俺にはやるべきことが、取り戻したいものがある。

 全ては妹のため。いや、あの子と共にいられる未来のために。魔導師なんて関係ない。ただ、それだけのために、俺は戦いたい。

「世界を造り直したとして、失われた命は帰ってくるのですか」

「光が叶える願いはただ一つのみ。そこに含まれなければ、何も変わらぬ」

「なら……お祖父様が世界を変えたとしても、白花は、帰っては来ないのですか」

 しばしの沈黙の後、祖父は答える。

「代替品に用はない。鍵は、一つあれば十分だ」

「……代替品?」

 俺のたった一人しかいない妹を、代替品と呼んだのか。仮にも自身の孫であったあの子のことを、この男は。

 その言葉を聞き、覚悟が決まった。

 地面に落ちた刀を手に取り、祖父の背中へと向ける。

「そうか……残念だ」

 そう言って老人は、ほんの一瞬だけ逡巡する素振りを見せ、腰の刀を抜いた。

「世界の光を顕現させるには、器と鍵が必要でな。器となる肉体に鍵の魔力を注ぐことで、光へ続く道ができる。器はそこの娘で、鍵はお前達兄妹のどちらかじゃった」

 桜の木にもたれかかるようにしてぐったりしている蛍の周囲には、すでになんらかの魔法陣が数え切れないほど展開されていた。それらを読み解くことはできないが、恐らく「世界の光」を顕現させるためのものなのだろう。

 あれに、自分の魔力を注げば、道ができる。だから協力を仰がれたのか。

「器は何でも良かったが、鍵はそうはいかん。鍵には洗練された血が必要でな。生憎、わしが知る限り最も濃い魔導師の血が、藤神の血だった。その血を色濃く引くお前さんを鍵として、そしてお前さんが使い物にならなかったときのための予備として、あの子を、白花を育てていた」

「そんなことのために俺達を、今まで……」

「そんなこと、のう。そんなことのために、わしは全てを捨てたのだ。今、お前さんの魔力をそこの器に注ぎ込めば、ようやく長年の悲願が成就する。……もう二度と、失敗するわけにはいかぬのだ」

 振り返った祖父の顔は、ひどく凪いでいた。

「知っておろう? 魔力を移すことに、当人の意思は不必要だと!」

 祖父の刀が眼前に迫る。間一髪、愛刀を持ち上げてそれを弾いた。

 否、弾かれたのだ。軌道のずれによって生じた隙に、すでに祖父の刃があった。それを防ぐ手立ては、何もなかった。

 ああそうだ。俺は、今まで一度もこの老人に勝ったことがなかったんだ。

 反射的に目を背けた、その時。


 ──やめて。


 突然、降りしきる雨が雪に変わった。頬を叩いていたざあざあという雨音が消え、痛いほどの静寂が耳を貫く。素肌に吸い付いた白い氷の粒が、皮膚の熱を奪い融けて消えていく。

 少女の静かな声が響いた途端、張り詰める空気が、氷の如く波打った。

 まるで氷塊に閉じ込められたかのように、首筋に迫った刀は薄皮一枚裂いた位置で止まっていた。

 祖父の向こうにいたのは、巨大な獣と、それに跨る一人の少女。その少女が地面に降り立つと、その周囲の水溜りがたちまち凍りついた。

 満開の桜と吹き荒ぶ雪。尋常ならば見ることのできないその取り合わせが、この異常な現象を物語っていた。

 何より、こんな、まるで魔法の如く所業は、その少女には、彼女には、できないはずであった。

 なぜならその少女は。

「氷波…………?」

 魔導師では、なかったのだから。

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