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生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
一章 〜子供達は集う〜
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第五話

 甲高い音が鳴り響く中、水望はふと顔を上げた。

「……色葉……?」

 本陣付近で総大将の赤松と待機していた水望は、開戦の合図と共に、ある異変に気が付いた。魔導師は「マナ」を通して相手の気配を読む事ができる。それを利用して、水望は色葉の気配をずっと探っていたのだが、いきなり彼のそれが苛烈なものへと豹変したのだ。

 ちなみに、なぜ水望が待機しているのかというと、前線でいざ出陣と意気込んでいた時に、待機を指示する伝令が本陣からあったからだ。色葉は心から安堵している様子だったが、水望にしてみれば、大変不本意なこと甚だしい──

 いや、今はそれどころじゃない。

 色葉のその異変について、水望は赤松に意見を求める事にした。

「あの、赤松さん」

「水望……まだ「おじいちゃん」って呼んでくれんのか。わしは悲しいぞ」

 開口一番に、赤松は突然そんな事を言い出した。

 日頃色葉の愚痴を聞いている水望は、その理由が今ようやく分かった。確かにこれは、毎日一緒だと面倒くさいかもしれない。水望自身にとっては、優しい気さくな老人といった印象なのだけど。

「そんな事、どうでもいいですっ!」

 赤松の余裕に引き込まれそうになったが、慌てて気を引き締め、本題に入った。

「その、色葉の様子が、少し……」

「ふむ…………やはりお前さんにも分かったか」

「じゃあ……っ!」

 身を乗り出そうとした水望は、赤松が持つ扇に押しとどめられた。そして赤松はその扇を開き自らの口元へと持っていき、水望から表情を隠すように顔の半分を覆った。

 彼の纏う雰囲気が、変わった。

「全ては筋書き通りじゃ。お前さんは何も心配せんでいい」

「それって…………色葉に何かあったんですか!?」

 赤松の言葉に、水望は血相を変えて詰め寄った。だが赤松も、断固としてその表情を変えない。下半分はどうか分からないが、少なくとも目は笑っていない。

「わしらの目的は、この戦に「勝つ事」じゃ」

 赤松は、普段の優しさのかけらも無い口調で続ける。

「色葉が……いや、紅葉あかはがどうなろうと、わしは知らん」

「紅葉……? 誰ですかっ、ちゃんと説明して下さい!」

 あまりにも無情なその言葉には、これまで聞いた事の無い名が含まれていた。紅葉とは誰か。色葉の異変と何か関係があるのか。──今、色葉の身に何が起こっているのか。

 水望は、いてもたってもいられなくなった。

「私、色葉のところへ行きます!!」

 赤松の返事を聞かない内に、水望は猛然と駆け出した。一際激しい戦闘が繰り広げられている場所へ。赤松は、そんな彼女の背中を、顔色一つ変えず眺めていた。

「お前さんにあいつは止められんと思うがな。のう、白花?」

 そう赤松が背後に呼びかけると、物陰から一人の少女が姿を現した。

「……よくあんな心にも無い事言えるね、おじいちゃん」

「ふぉっふぉ、わしとした事が、顔に出そうになってしもうたわ」

 白花は水望と同じく、白を基調とした服に身を包んでいた。だが水望とは違って、こちらは細やかな意匠もほとんどない。ほぼ白一色だ。

 先程の赤松の問いかけに、白花はようやく答えた。

「そりゃそうだよ。お兄ちゃんを、紅葉を止められるのは、私とおじいちゃんだけだもん。でも……」

 いつになく悲痛な面持ちの白花は、何か言いたげな素振りを見せていた。

「何じゃ?」

「……でも私、水望ちゃんならきっとできると思う」

「そうか。なら、そうかもしれんのう」

 遠ざかっていく水望の背を見送りながら、白花は赤松のすぐ隣に、膝を抱えるように座り込んだ。赤松は扇をぱちんと閉じ、その反対の手を白花の頭に乗せた。

「……さて、これからどうするのかのう。わしのかわいい孫は」

 そう意味深に呟いた赤松は、遠くを見透かすように目を細めた。

 

 

 

「なんだぁ? なんでがきが──」

 その言葉が終わらない内に、兵の首から上がとんだ。鮮血がぱっと散る。周囲が呆気にとられる中、傍らにいた二人も立て続けに胸を貫かれた。

「っだぁぁあっ!」

 雄叫びを上げながら振り返り、赤眼の色葉──紅葉は刀を薙ぎ払った。彼の背後に忍び寄っていた敵兵も、真っ赤な血を撒き散らしながら絶命していく。

 その感触に、紅葉はにやりと笑った。たまらない爽快感が体中を駆け巡る。

「もっと……もっとだぁっ!」

 その幼さが残る美貌からは考えられないような声を、紅葉は気迫と共に吐き出した。勢いそのまま、別の新たな敵兵の集団へと突っ込んでいく。

 縦へ、横へ。紅葉は縦横無尽に大きな刀を振るう。その度に血しぶきが舞い、一人、また一人と敵兵がたおれていく。その最期に彼らが目にするのは、赤い眼の、悪魔。

「う、うわぁぁぁぁっ!!」

 完全に戦意を喪失した敵将兵が、一斉に撤退を始めた。無理もないだろう。何しろその悪魔は、見た目はただの子供なのだから。

「おっと、やりすぎちまったか?」

 頬に付いた返り血を手の甲で拭いながら、逃げていく敵兵達を紅葉は楽しそうに眺めた。刀を大きく一振りして、刀身に付着した血を振り払う。

「ったく。弱いんだよ、お前ら」

 吐き捨てるように言い放って、紅葉は背後に視線を巡らせた。その鋭い視線を向けられた味方兵は、慌てて敵兵の追撃に移る。

「こんなところか。……後は任せた」

 一人の味方兵に低く言い残して、紅葉は彼らとは別の方向に走り出した。その先にあるのは──

 敵本陣。

 

 

 

 生島軍は開戦と同時に、戦線を徐々に後退させていった。現状は敵方にかなり押し込まれる形となっている。戦が始まる前は生島軍が優勢だったのだが、今や戦況は完全に藤神軍に傾いていた。

 理由は考えなくともすぐに分かった。

「──ほ、報告しますっ! 北方の戦線が壊滅しましたっ!」

「──馬鹿なことを言うな! 藤神ごときに我ら生島が負けるはずが無い!」

「──し、しかしっ!」

「──黙れっ! まだ我らは負けぬ、負けぬのだぁ!」

 少し離れた部屋から、そんなやり取りが聞こえてきた。いったいこれで何度目だろう。いい加減、嫌気が差してきた。

 あそこで盛大に唾を飛ばしまくっているであろう男が、第二代生島家当主で、この戦の総大将。そして──

 僕の父親だ。

「だからあの時……」

 僕はつい数時間前の事を思い返した。

 

 

 

「伝令! 藤神家が、我が領地に攻め込んできましたぁ!」

 突然戸が開けられ、慌てた様子の伝令兵が部屋に駆け込んできた。

「うろたえるな! 敵兵力は!」

「八千です!」

「ふん。ならば心配無用だ! 我らは一万二千。四千も差があれば負けはせん!」

 甲冑に身を固めた男が尊大に言った。すると、

「ねぇ〜、それ本気で言ってる〜?」

 どこか間延びした、暢気な声が飛んできた。そんなあまりにも場違いな声に男は目を剥いた。

「うるさい! お前に何が分かる! 小童こわっぱごときが戦に口出しするな!」

 仰向けに寝転がって欠伸をしている少年を、男は鋭く睨みつける。そんな視線を向けられた少年は、内心で舌打ちしつつもにへっと笑った。

「あ〜、はいはい。もう何も言いませんよ〜」

 足を振り上げて勢いをつけ、少年は曲芸的な動きで立ち上がった。人を食ったような笑みを広げ、どこか哀れむような目つきで壁に寄りかかった。

「でもさ〜、僕の話も少しは聞いておいたほうが──」

「黙れっ!」

 少年の言葉をその一言で遮り、甲冑のかちゃかちゃという金属音を鳴らしながら、男は少年に詰め寄った。そして、その細い首筋に右手を押し付けた。

「お前もこの家の跡取りなら、もっと身の振舞い方を知れ! 愚か者!」

 少年の口から、音にならない喘ぎ声が漏れる。その顔が苦痛に歪むのを見た男は、分かったか、と低く呟いて手を離した。

 ぜいぜいと荒い息を繰り返す少年は、一瞬だけ男の顔を見上げて睨んだ。しかし、すぐさま笑みを広げ、男から距離を置いた。

「了解しました〜、前へ倣え! ってね〜」

 そう言って、少年は部屋を走り去った。背後から怒声が飛んできたが、そんなもの、もう聞く気すらなかった。

 ──この家は、もう駄目だ。

 

 

 

 そして今に至る。

 去り際に抱いた思いは、今もまだ心にくすぶっていた。もうすぐ、この家は終わる。あの無能な父親のせいで。

「……まぁ、自業自得だよね〜」

 こんな僕ですら密かに行っていた諜報活動も、父はろくにしていなかった。だから藤神家の強さを把握できず、こんな無様な負け戦をするはめになったのだ。

 事前に情報収集をしていれば、何か作戦でも立てられただろう。そうでなくとも、ある一人の将には警戒できたはずだ。

「……藤神、色葉……」

 廊下の壁にもたれかかって、小さく呟いた。

 僕が手に入れた情報によると、彼はつい先月に成人したばかりの子供で、年は十歳だという。だが何よりも重要なのは、その圧倒的な強さだ。その桁外れの強さを誇る剣術は、ともすれば山城、いや畿内でもかなり強い部類に入るらしい。一度手合わせしてみたいものだが、敗北する事は目に見えているのでやはり遠慮したい。

 そういえば、一つだけよく分からない報告があった。藤神色葉は、実は女ではないかというものだ。理解のしようが無いので、その報告は保留にしているのだが、多少の興味をそそられた事も事実だ。

 とにかく、このままでは生島家は負ける。この時代、負けた者が辿る運命はただ一つ。

 死だ。

 人間、誰しも死にたくはない。もちろん僕だってそうだ。ならば、生きるための選択をしなくてはならない。そう、生きるための。

 目を瞑って、深い溜め息を吐いた。

「…………逃げようか……」

 迫りくる藤神家()からではない。愚かな当主率いる、生島家(真の敵)からだ。

 僕だけが寝返る事も悪くはない。でも、もっといい方法がある。

 それは──

 

 

 

「だぁぁっ!」

 目の前に立ち塞がる敵兵を、全速力で駆けながら薙ぎ払った。傾いでいく体の間をあっという間にすり抜ける。

 今、最高に気分がいい。

 こんなに暴れられるのは何年ぶりだろう。いつも裏にいる俺の意識が、今は表にいる。表で、この体を動かしている。それだけでも十分だ。

 しかもいきなり戦ときた。戦って相手を殺しても、誰も咎めない。

 だから今、最高に気分がいい。

「……にしても、こいつも強くなったな」

 自分の胸に手を当てて独白する。二年前は、俺の助けが無ければ少し心許なかったが、もう元のこいつだけでも安心だ。無論、俺も引っ込む気は無いが。

 ようやく敵本陣が見えてきた。戦線からかなり踏み入ったので、もう周囲に味方兵の姿は無かった。だがそんな事俺には関係ない。雑魚が増えたところで邪魔なだけだ。それよりも、さらなる戦いに心が躍る。

 ──その時、一際大きく鼓動が脈打った。激しい心臓の痛みに呻く。

「……なんでっ……今なんだよ……っ!」

 自然とその足が止まった。息が詰まり、新たな空気を求めて喘ぐ。右手で肌の薄い左胸を押さえる。二年前と変わらない、少し骨ばった体。そして、あの時と変わらないこの胸の痛み。

 だが、今は負けられない。何に対しても、屈するわけにはいかない。

「くっ…………まだ、いける!」

 自らを奮い立たせて、紅葉は顔を前に向けた。その時、

「──ねぇ、ちょっと待ってよ〜」

 目の前に一人の少年が現れた。人を食ったような笑みに、茶色がかった少し癖のある髪。そして、生きる事に対してまっすぐな瞳。

 いつの間に、と思うより前に、紅葉は胸の痛みを抑えて抜刀した。相手が子供であろうと、戦場に姿を現した以上は、殺すか殺されるか、このどちらかだ。

「邪魔だ!」

「ちょっ、だから待ってって!」

 一瞬にして振られた紅葉の刀を、少年は軽やかな身のこなしで避けた。まさか簡単に避けられるとは思っていなかった紅葉は、少年に鋭い視線を投げかけ、薄く笑った。

「ふーん、少しはできるみたいだな、お前」

「まあね〜」

 紅葉の笑みにつられるように、少年も満面の笑みを広げた。語尾を伸ばす特徴的な話し方のまま言葉を続けた。

「ねぇ、少し話があるんだけど〜、いいかな?」

「んだよ」

 ぶっきらぼうというより、乱暴と形容した方が近いような返事。そんな紅葉に少年は全く怯まない。というより、むしろ楽しんでいるようにも見える。

「あのさ、僕とやらない?」

「はぁ?」

 その言葉の意味を一瞬掴みあぐねたが、続く行動で理解できた。少年は腰に佩いた刀を静かに抜き、紅葉に向けた。そして広がる、微笑み。

「やっぱり話はそれからで、いいよねっ!」

 少年の語尾が風に消えた。一瞬で体勢を低くし、必要最低限の動きで刀を振り上げる。その素早い初撃は紅葉の左肩をかすった。

「っ、お前がその気なら!」

 その紅い眼を輝かせて、紅葉も切りかかった。相手の動きに呼応するように、右へ左へと流れるように攻撃を繰り返す。時折、刃と刃がぶつかり合い、金属音を響かせる。そしてその度に火花が散る。煌く刀を紙一重で避け、また同じように避けられる。

 紅葉はまたとない高揚感を覚えていた。少年の一撃一撃は軽いものの、それを繰り出す速さが尋常ではない。もしかすると、紅葉のそれをも上回る勢いだ。

 だが紅葉も負けてはいられない。滑らかに攻撃を受け流し、隙をついては刀を突きつける。

 もっと早く、もっと強く!

 そんな無意識の声に応じるかのように全ての感覚が研ぎ澄まされ、相手の僅かな意識の乱れすら感じられるようになった。一進一退の攻防から一転、紅葉は完全に攻めに転じた。

 紅葉の剣術は元々攻撃に特化している。勝つという明確な目的にこそ、その真価を発揮するのだ。

 少年の顔に、焦りが見えてきた。勝利の光が見えてきた。

 しかし。

「……うくっ……?」

 再び、激しい痛みが紅葉を襲った。堪え切れない痛みに腕の動きが鈍る。紅葉の異変に気が付いた少年はこれを好機と見て、渾身の力を込めて刀を振り上げる。

「っ……!」

 乾いた音を立てて、紅葉の刀が宙に舞った。それはくるくると回転しながら、はるか後方の地面に突き刺さった。

「これで終わりっ!」

 少年の刀が、紅葉の左胸めがけて突き出された。対する紅葉は、右手で胸を押さえて動こうとしない。その美貌を痛みに歪めている紅葉には、もはやどうする事もできない。

 ──俺のせいで。

 俺が表面に出ていなければ、こんな痛みには襲われなかっただろうし、こんな無謀な戦いには挑まなかっただろう。いや、無謀ではなかった。実際、俺が必要以上の負担をこの体にかけなければ、絶対に負ける事はなった。やはり、俺のせいだ。

 その先端が、命の脈動を生み出しているものへと吸い込まれようとした。

 その瞬間。

「──色葉!!」

 背後から、元の体の持ち主を呼ぶ声が聞こえた。

 その時、紅葉の胸を別の衝撃が襲った。もう一人の、命のざわめき。

 ──こいつだったら、もしかしたら。

 不意に脳裏に思い浮かんだのは、そこにいるはずの無い少女の姿。二年前にいなくなって以来、一度も会っていない少女。もう一度、彼女に会うまでは、まだ。

 紅葉は、再び裏側に回る事を受け入れた。

 眼の色が瞬く間に漆黒──色葉のそれに戻った。

「まだ、死ねない!」

 そう叫んで、色葉は右手でその刀身を掴んだ。切っ先が胸の皮膚に食い込む。だが、ぎりぎりの所でそれは止まった。

「はあぁぁっ!」

 気合と共に、じりじりとそれを押し返す。鋭い痛みと共に、手の平から血が流れ出した。そして右腕を伝い落ちる。血で赤く染まっていく腕を、色葉は完全に意識から排除した。

 対する少年は目を見開いた。こんな華奢な子供のどこにこんな力が隠れていたのか。ありったけの力を振り絞るが、どうしても押し負けてしまう。

 こう着状態のまま、お互いの視線が交差した。少年の僅かな戸惑いと、色葉の明確な決意。その二人の胸に秘められた強い想いが、瞳と瞳の間を行き交う。

 だが、それも一瞬だった。

 右手で少年の刀を掴んだまま、色葉は地面を蹴った。空中で体を捻り、左足を振り上げる。そのまま体を回転させながら、左足のかかとを少年の右手にぶつけた。遠心力と脚力が合わさって、少年の刀が凄まじい勢いで弾けとんだ。

「っ……!」

 軽やかに着地した色葉は、左手を力いっぱい握り締める。腰を落とし、痛みに呻く少年の懐へ飛び込む。

 そして、その拳は少年の鳩尾に叩き込まれた。

 

「色葉!」

 背後から、息を切らせて走ってきた水望の声が聞こえた。その声に色葉は苦い顔をする。

「遅い」

「はぁ……はぁ……だ、大丈夫?」

 水望は、色葉とその腕の中の少年を見比べて、どちらかというと少年の方に向けて言った。

「大丈夫、だとは思う。気を失ってるだけだし」

 色葉はその少年をそっと寝かせた。腹部に激しい痛みがあるはずなのに、この少年はなんともあどけない寝顔を見せている。……少し腹が立った。

 そんな感想を密かに抱いた色葉の隣に、水望は同じように少年の顔を覗き込んだ。

「で、この子誰?」

「さあ?」

「なんで戦ってたの?」

「突然襲ってきた」

「なんで?」

「さあ?」

 淡々とした色葉の返事に水望は絶句した。短い応酬だったが、こんなにも実の無い会話はそうそうないだろう。諦めて溜め息を吐く。

「でも、本当に良かった。色葉に何とも、無く……て……?」

 心から安堵した様子の水望だったが、色葉の姿に改めて視線を移した途端、その活発な印象の両目を大きく見開いた。

「ぜ、全然大丈夫じゃないじゃん!」

 服が黒いので分かりにくいが、色葉の全身には相当な量の血がこびり付いていた。そのほとんどが紅葉に殺されていった敵兵のものなのだが、水望は何を勘違いしたのか、顔を真っ青にして色葉の体を触りだした。

「どこ怪我したのっ? ここ? それともこっち?」

「……うざい、離れて。怪我したのは右手だけ」

 いつも以上に辛辣なその言葉に、水望はすぐさま色葉から離れた。いまだ心配そうな顔をしているが、色葉の言葉を信用したのかその顔に血の気が戻った。

「そう? ならいいけど……」

 とは言ったものの、やはりどう見ても色葉の顔色が優れない。さっきまでの異変と関係があるのだろうか。それなら、ちゃんと事情を説明してもらわなくては──

「……後は、頼んだ」

 水望が口を開こうとした途端、色葉がそう小さく呟いた。そしてゆっくりと体が傾いでいく。前のめりに倒れていくその体を、水望は慌てて支えた。その小さな体が力なく水望の腕に抱きとめられる。

 やはり重い怪我でも負ったのではないかと、水望が血相を変えかけた。最悪の展開が脳裏を駆け巡る。

 しかし、そんな心配は全く必要なかった。

「…………もう、無理……寝る」

 まるで遺言のように色葉は呟いた。そして、規則正しい寝息が静かに響きだした。

「えっ、ちょっと色葉! おーいっ!」

 三条水望十一歳は、戦場の真っ只中という状況で、深い眠りについた少年二人を見守る羽目になってしまった。その顔に広がったのは、諦めと和みが半々に混ざった苦笑い。

「……もう。風邪ひいても知らないよ?」

 見比べたその二つの寝顔は、まるで戦の終結を確信しているかのように、穏やかだった。


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