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生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
一章 〜子供達は集う〜
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第四話

 夜中、といっても過言ではないほどの早朝。凍てつくように寒い外は、まだ深い闇に覆われていて、満天の星空が広がっている。そんな朝早くに、色葉は壁に背中をあずけて部屋の奥にある戸を眺めていた。いや、正確にはその戸の向こう側をだ。

「三条、準備できた?」

「んー。できた、かな?」

 戸の向こう側に声をかけると、そんな返事と共に、部屋を隔てているその戸が開けられた。衣擦れの音が聞こえる。そして中から出てきた少女の姿に、色葉は目を瞠った。

「へぇ、結構似合ってるね。うん、すごく良いよ」

「そ、そう?」

 恥ずかしそうに頬を赤らめている水望は、白を基調として、所々に赤い意匠が施された服に身を包んでいる。色葉の言葉通り、水望はそれを見事なまでに着こなしていた。ちなみに動きやすいようにと、無駄な装飾の類はついていない。

 対する色葉は、ほぼ全身真っ黒の服を身に着けていた。一見すると、普段と変わらない。だがよく見れば、その中にもさりげなく、赤や紫といった細やかな意匠を見つける事ができる。もちろん、こちらも装飾具はついていない。

 水望は、その姿に一瞬見とれてしまった。何しろ肌が透き通るように白いので、黒い服に良く映えているのだ。水望はそっぽを向いて、色葉から視線を外す。

「い、色葉もいいじゃん、それっ」

「俺、いつもこんな服着てるけど?」

 色葉の予想通りの返答に、水望は頭を抱えたい衝動にかられた。鈍感にもほどがあるよ、と水望は心の中で呟く。

「そうじゃなくてっ! その、いつもより、すごく………かっこいい……よ!」

 いつももだけど、と口の中でそっと付け加えた。

 色葉は怪訝そうに眉を寄せる。水望の言葉が途中やけに不明瞭になって、色葉には最後の一文字しか聞こえなかった。どうにか聞こえたその文字を、そのまま素直に口にする。

「……よ?」

「あぁーっ、もうっ! 何でもない!」

「?」

 なぜ怒られたのか全く分かっていない色葉は、小首を傾げながら真剣に考える。だが、それでもさっぱり分からなかった。水望の目を見上げても、すぐに視線を逸らされてしまう。

 色葉は考える事を諦めて、床に置いてある自らの日本刀を手に取った。今日はいつもより、その金属の重みが増しているように感じられる。手馴れているはずの感触がぎこちない。

 試しに、左手だけで軽く振ってみた。一回、二回。そして三回目で、ようやく満足のいく感覚が戻った。今度は大きく息を吸い込んでそれを両手に持ち、全力で振る。ぶんという空気を裂く音が鋭く響いた。よし、と一声呟いて刀を鞘に戻し、帯の背中部分に差し込む。そして色葉は、漆黒の瞳を細め天井を仰いだ。

 さっきから服の話ばかりしているが、残念ながら今日はそういった楽しげな日ではない。

「……戦、か……」

 そう、今日は色葉の初陣の日。生島家との戦の日なのだ。

 色葉は自分の呟きに、小さく頭を振った。もう、迷わないと決めたはずだ。命の懸かった戦いに、自分の迷いは、感情は、何も必要ない。そんなもの、捨て去ってしまえ。

 そう心に決めた色葉は、やたらと服のあちこちを触っている水望に視線を戻した。

「……さてと、そろそろ行こう。おじい様に叱られる」

「うん!」

 大きく頷いた水望を見ると、すっと心を落ち着ける事ができた。まさかこんな形で水望に励まされるとは。まあ、彼女も自分では気付いてないだろうが。そう思いながら、色葉は戸に手をかけた。

「…………もう、俺は一人じゃない……」

 本当に小さく、小さく呟いて、色葉は戸を開けた。

 ──瞬間、目の前に顔が出現した。

「うわっ?」

 予期せぬ奇襲に、色葉は思わず後退りしてしまった。今はまだ早朝で、外は真っ暗なのだ。驚くべき脳の情報処理速度により、一瞬幽霊か何かと勘違いしてしまう。だが、その正体に気付いた色葉は、ほっと胸を撫で下ろした。

「……ひどいよぉ、お兄ちゃん……」

 口をへの字に曲げて、白花は兄に避けられた事を単純に悲しんだ。それが見事に表情に出ている。

「実はな、白花。人間っていうのは、思ってもない場所から突然人が出てくると、こんな風に驚いてしまう生き物なんです。これは人間の本能だよ」

「とんだ屁理屈だね」

 背後から苦笑いを含んだそんな声が聞こえてきた。確かにその通りなので、色葉は苦笑いを浮かべて、目の前に立つ妹の頭に手を乗せた。

「……ごめんな、白花」

 色葉のそれと同じ、闇を溶かし込んだように綺麗な黒髪を撫でる。こうして妹をなだめるのも何度目だろうか。その度に、この妹は心から嬉しそうな表情を浮かべるのだが──。

「うん。それはいいんだけど……」

「どうしたの?」

 白花の表情には、いつものような元気さが感じられなかった。無言のまま目を伏せている。

 その理由を真っ先に察したのは、やはり兄である色葉だった。何かを言おうとして口ごもる妹の背に、色葉は黙って自らの両腕を回した。兄の行動に息を呑んだ白花は、途端に身を硬くする。色葉が腕にそっと力を込めると、その体が少し震えたのが感じられた。

「心配なんて、しなくてもいいよ。絶対、ここに帰ってくるから」

「でも……でもっ……!」

 今にも泣き出してしまいそうな声で、白花はなおも言い募ろうとした。そんな妹の震える背中を、ゆっくりとさすってやる。何度も、ゆっくりと。

「──大丈夫。お兄ちゃんを信じろ」

 安心させるように、優しく彼女の耳元で囁く。そういえば、昨日も祖父に似たような事をされた気がする。血のつながりは馬鹿にはできないという事を改めて感じた。

「お兄ちゃん……っ!」

 白花も、耐え切れなくなったかのように、自らの兄の背中に腕を回した。その細い体にしがみつき、いつもと変わらない真っ黒な服を握り締める。

 肩に顔を埋めてきた白花に、色葉は再びその頭を撫でた。

 今まで一緒に暮らしてきた家族が、突然、生死を懸けた戦いに赴くのだ。自分が逆の立場でも、心細い事この上ないだろう。

 抱き合ったままの体勢の中、お互いの鼓動の音だけが聞こえる。ほぼ一秒に一回の間隔で脈打つそれは、驚く事に兄妹で同じだった。それがとくんと音を立てる度に、お互いの命の躍動が伝わってくる。

 妙なところで似すぎなんだよね。そう心の中で思った色葉は、白花に気付かれないよう小さく笑った。

 どれほど経っただろうか。白花が僅かに身じろぎした。

「…………ありがと、お兄ちゃん」

 背中に回されていた腕が下ろされる。そして、温もりが体から離れていった。

 彼女の顔からは、すでに迷いは消えていた。その顔には、色葉と同じような決意が見受けられる。

「絶対、ここに帰ってくるって、約束して?」

 真摯な表情を向けられた色葉は、微笑を浮かべながらも真剣に答える。

「分かった、約束する。必ず、勝って帰ってくるよ」

「約束だよ……?」

 そんな念押しにもう一度大きく頷くと、白花はその顔いっぱいに会心の笑みを広げた。やっぱり白花は笑っているほうがいい、と心から思う色葉であった。

 そして彼女は、後ろの水望に視線を向けた。

「水望ちゃんも無理しないで、頑張ってね」

「ちょっとでも危なくなったら、私はすぐ逃げるもん、大丈夫だよ」

 冗談めかして言った言葉に、白花と水望の二人は笑った。

 だが、色葉は一人、その言葉を真剣に受け止める。彼女には、本当に危なくなったら逃げてもらわなけれは。水望自身も相当に強いので、そんな心配は不要だと思うが、戦の最中に彼女を守りきれる自信は、残念ながらほとんどない。

 ──もう、あんな思いはしたくない。

「……行ってくる」

 最後にぽんと白花の頭に手をのせ、色葉は廊下を歩き出した。黙したままのその背中は、何よりも雄弁に彼の決意を語っていた。

「あ、待ってよ!……じゃあ、適当に終わらせてくるね」

 水望も白花に大きく手を振って、慌てて自らが仕えている主の後を追った。

 二人の気配が遠ざかる。

「…………お兄ちゃんを、よろしくお願いします」

 一人になった白花は、二人の姿が見えなくなるまで、深々と頭を下げ続けた。そんな彼女の表情に浮かんでいるのはただ一つだけ。

 

 兄を想う、ひたむきな心。

 

 

 

 藤神家の屋敷──味方本陣があるのは、山城国の中ほどにある広大な湖、巨椋池おぐらいけの南岸付近。対する生島家の本陣は、そこより南東に少し進んだ山の麓だ。両陣営の間はほとんど無く、物見やぐらに登れば、ぎりぎり地平線に見えてしまう程の距離しかない。

 藤神側から見て右手、西の方角には、木津川という大きな川が流れている。この川を下れば確か淀川に、やがては大坂に辿り着くはずだ。その豊富な水のおかげで、この付近一帯には豊かな田園地帯が広がっている。だがそれも、冬のこの時期はただの荒野となっていた。

 本当に田植えがまだで良かった。でなければ、戦で稲が駄目になってしまうところだった。農作物、特に米の出来具合は、兵糧──兵士の食糧──に大きく関わってくるので、なかなか馬鹿にはできない。

 とまあ、戦場となるこの地域の説明はこんなところか。

 

 色葉は、もたれかかっていた木に体重をかけ、空を見上げた。まだ少し暗いものの、今朝も相変わらず空は澄んでいて、これから始まるであろう激戦をまるで知らないかのようだ。

「──そろそろ、だね」

 物思いにふけっていると、色葉と同じく道端の木にもたれかかっている水望が呟いた。同じ木を挟んだ反対側にいるので、背中合わせの彼女の表情は見えない。それでも、大体の予想はできた。

「まだ、不安?」

「大丈夫……って言いたいところだけど、そりゃあ……ちょっとだけ」

 水望の声が小さく震える。彼女は両手を組んで伸ばし、言葉を続けた。

「いきなり戦だって言われても、漠然とし過ぎててさ。何か良く分かんないんだよね」

「そっか……三条みたいに強くても、やっぱり不安なんだ」

 その言葉に水望は笑った。

「私なんかより、色葉の方が強いよ。私と色葉じゃ、そもそも比べ物になりません」

 言い切った水望は、一つため息を吐いて、色葉と同じように空を仰いだ。白みがかった空に、薄い雲がゆっくりと流れている。

 風が吹き、沈黙が二人を包んだ。

 色葉は、ずるずると木の根元に腰を落ち着けた。ふと脳裏に、背後にいる少女の緊張した面持ちが浮かぶ。

 ──これは、言っておいた方がいいかな。

 そう思った瞬間、考えるよりも先に、かすかな吐息と共に声が漏れた。

「……ぜったい……」

「なに?」

 そんな掠れた声は、風に乗って水望へと届いてしまった。言うかどうか躊躇ったが、一瞬の逡巡の末、色葉は続ける。

「…………絶対……死なないで」

 普段からは考えられないような弱々しさを含んだその声に、水望は軽く目を瞠った。いつも不遜な顔で何事も冷静に言ってのける色葉の声が、こんなにも震え、揺れている。

「もう、俺の目の前から、誰も消えて欲しくない。氷波みたいに、誰かに消えられるのは……もう嫌だ」

 無意識に口をついた氷波の名に、色葉は自分でも驚いた。今もまだ、こんなにも彼女の事を憶えていたのか。いや、そんなんじゃない。きっと忘れる事ができないでいるのだろう。

 色葉は俯いて額に手を当てた。

 対する水望は、色葉を振り向くように首を巡らせる。聞き慣れない名前も引っかかったが、それ以上に色葉の真剣な声が、水望には深くはっきりと響いた。

「色葉……」

「だから本当に、危なくなったら逃げて。お願い」

「…………分かった。けど、一つ条件がある」

 水望は一瞬目を瞑り、緊張を振り払うように大きく息を吸い込んだ。

「その、生きて帰れたら、私のこと…………水望って、名前で呼んで。そしたら私、頑張れる気がする」

「え……?」

 思ってもみなかった条件に、色葉は息を呑んだ。すぐに返答ができず、必死に言葉を探す。

 彼の沈黙に、水望は不安げな表情を浮かべた。

「だ、駄目、かな……?」

「いい、けど…………別に」

 ぼそりと呟いた色葉は、膝を立ててその間に顔を埋めた。少し長い前髪が垂れ、表情が完全に隠れる。

 美味しいものだとか、貴重品だとか、他にも沢山あるはずなのに、水望はなぜそんな条件を出したのだろう。全く理解できない。それとも、それが人間なのだろうか。だとすれば、やはり人間という生き物はよく分からない。そもそも、理解する気すら全く無いけれど。

「ありがと」

 水望の短い返事を聞き、色葉は小さく深呼吸をした。混乱しかけた心を落ち着かせる。

 そして、ぱんと手を叩いた。

「……じゃ、そろそろ行こう」

 さっと立ち上がり、両軍の睨み合いが続いているであろう前線へと足を向けた。気付いた水望も慌てて後に続く。彼の悠然とした背中は、東の空に顔を出し始めた朝日に照らされていた。色葉はちらと水望を振り返り、その美貌に小さな微笑を浮かべる。

「俺たちの本気、見せるよ」

 ──水望。

 


 

 

 およそ八千の兵が整然と並ぶ中、一人の少年が、その先頭に佇んでいた。

 長めの黒髪に漆黒の瞳。そして全身を包んでいるのは、鎧ではなくただの真っ黒な服のみ。その背中には、少年の身の丈はあろうかという日本刀がかけられている。

 そんな少年は今、つい先ほど総大将に言われた言葉を思い返していた。

 

 ──これは、亡き両親の弔い合戦。

 

 少年は唇を噛んだ。たった今自分が考えている事が、よく分からない。

 両親は、眼前の敵に殺されたのではない。生島家程度の者に、強かった両親が殺されるはずが無い。そう頭では分かっているはずなのに、なぜかすぐ目の前の敵が憎く見える。彼らが、自分の両親を殺したのだと。

 なぜかは分からない。だけど、心の中に広がっているのは、激しい憎悪。

 

(──そうだよ。父上も母上も、あいつらに殺されたんだ)

 

 突然、脳裏にそんな声が響いた。幼い子供特有の高く澄んだ声。その甲高い声に、少年は聞き覚えがあった。

(俺じゃない、あいつらだ。全部、あいつらが悪いんだ)

 これは間違いない。──自分の声だ。

(悪いやつらは、みんな死ねばいいんだよ)

 そんなもう一人の自分の声が、脳裏に響き渡っている。

(……殺せ、殺せ殺せ殺せ! 皆殺しだぁぁっ!!!)

「──うるさいな」

 ただ瞑目しているだけだった少年が、おもむろに口を開いた。

 その時、頭上でけたたましい音を発しながら、開戦の合図である鏑矢かぶらやが飛んでいった。その合図で両軍が一斉に動き出す。少年の背後からも、槍を手にした歩兵達が雄叫びをあげながら、すぐ目の前の敵陣へ突撃していった。だが、もはや少年には何も聞こえてはいない。何一つとして聞こえない、無音の世界。

「…………言われなくても分かってるよ、そんな事」

 すると、少年はこれまで見せた事が無いような笑みを広げた。邪悪な、という表現が相応しいだろうか。そんな微笑が口元に広がる。そして少年は背中の刀を抜いた。

「──さあ、祭りの始まりだ」

 そんな言葉と共に見開いた彼の眼は、漆黒から──紅に変わっていた。

 

 血のような、紅へと。

 

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