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生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
一章 〜子供達は集う〜
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第二話

 色葉は大きく背伸びをした。

「……んぅ」

 外は、空気がひんやり冷たく、とても気持ちが良かった。気温がかなり低いのだろう、吐く息が白い霧となって、風に流されて消えていく。時折吹くその冷たい風が、色葉の肩まで伸びた黒髪を遊ばせている。

(このまま、昼まで寝ようっと)

 そう結論付け、近くの木まで歩いてその大きな幹に背中を預けた。かすかに白みがかった空を流れる雲を、眩しそうに眺める。ずるずると、地面に腰を落ち着けた。

「…………いいな……」

 ゆっくりと流れていく真っ白な雲は、本当に自由そうだ。少し羨ましい。ただ、そんな雲でさえ、風の流れに逆らう事はできない。その事実が、自由の存在を、さらに希薄なものに感じさせた。

 そんな事を考えつつ、色葉はうとうとと目を閉じた。

 ここ最近の堅苦しい行事の疲れもあり、すぐに眠る事ができた。

 


 

 どれくらい経っただろうか。

 ふと気配を感じて目を開けてみると、見知らぬ少女が色葉を覗き込んでいた。

『!』

 お互いの顔が至近距離に並ぶ。少女は慌てて後ろに跳んだ。

「びっくりしたー」

 少女は苦笑いを浮かべながら、頭を掻いている。なんと間抜けな反応だろうか。

「……それ、こっちの台詞」

 突然、見知らぬ他人を目の前にし、完全に感情を消し去る。少女を警戒しながら、色葉はその場で立ち上がった。そんな彼をしげしげと見つめながら、少女は口を開いた。

「君、そこで何やってんの? 風邪引くよ?」

 少女は、ここがまるで自分の屋敷かのように振舞っている。彼女のその態度に、色葉はぴくりと眉を動かした。

「他人の屋敷にずかずか入ってきておいて、それは無いだろ」

「ああ、ごめんごめん」

 少女は謝る気などなさそうにそう言うと、いかにも活発そうな笑顔を見せた。

 この少女、年は色葉と同じか少し上くらいだ。その黒髪は、肩のあたりまでしか伸びていない。おそらく、色葉の方が長いだろう。いや、絶対に色葉の方が長い。

「それよりさぁ。君、藤神色葉だよね?」

 少女は小首を傾げながら尋ねた。というより、確認に近いだろう。なぜ、という思いで、少女に対する警戒心がさらに強くなる。

「人に名を尋ねる時は、まず自分から名乗ってよ。常識」

「私? 私は三条水望。よろしくねー」

 色葉の尊大な問いかけに、少女は至極当然に名乗った。色葉とは違って、警戒心は全く持ち合わせていないようだ。

「…………」

 三条水望と名乗った少女の『眼』を、じっと見つめる。無言で凝視された少女は、少し頬を赤らめながら──なぜなのかは全く分からない──困惑した表情を浮かべた。

「……何? 私の顔に何かついてる?」

 思ったほど怪しい奴ではなさそうだ。悪意が感じられない。

「確かに、俺が色葉だ」

 それに彼女は──

「だったら……

〈火よ集え! ファイヤーボール!〉

 突如として叫んだ少女の頭上に、大きな火の玉が出現した。煌々と宙に浮くそれは、瞬く間に大きな球体へと変化した。渦巻く熱が、周囲の温度を一瞬で上昇させる。

(魔法か!)

 そう理解した瞬間、その火の玉が色葉へと襲い掛かった。

「──っ!」

 激しい爆発と共に、視界が真っ白になる。咄嗟に眼を瞑った。

 前言撤回。悪意がないどころか攻撃してきた。爆風で大量の砂が舞う。

「おー、よく避けたね」

 白煙の向こうから、感嘆を含んだ声が聞こえた。その言葉に、色葉は当然のように返す。

「避けたんじゃない、叩き落としたんだ」

「……た、叩き落とした……?」

 煙が風に流され、少女の驚いた表情が見えた。対する色葉は、やはり無表情のまま屹立している。

「避ければこの木に当たる。それに、俺に魔法は効かない」

「だったら!」

 今度は、懐から取り出した短刀で襲ってきた。かなりの速さで距離を詰めてくる。魔法が駄目なら、という訳か。両方使えるつもりなのだろうが、甘い。

「まったく……」

 左手に持った刀を一閃し、少女の短刀だけを弾き飛ばす。

「…………そんな……」

 少女の呟きと、色葉の刀が、彼女の喉元に突きつけられたのは、ほぼ同時。一瞬の出来事に少女は目を瞠った。彼女も、自分がここまであっさりと敗れるとは思っていなかったのだろう。

「……なんで俺を?」

 殺そうとした、という言葉は省いた。突きつけた刀が、少女の薄い皮膚に喰い込む。だが、少女は歯を食いしばって耐えている。

「……………………言えない」

 長い沈黙の後、少女はぼそりと答えた。刀を握る手にさらに力を加えると、喉元に喰い込んだ箇所からつうと血が流れ、一筋の赤い線を作った。それでも、少女はそれ以上口を開こうとしない。おそらく、誰かに口止めされているのだろう。

「そうか…………なら、黙って立ち去れ」

 少女の喉元から刀を離す。すると、少女の体から力が抜け、ぺたりと座り込んでしまった。上目遣いで色葉を見やる。

「……私を、殺さないの?」

 首を刎ねられると覚悟を決めていたであろう少女は、色葉の行動に驚きの声をあげた。それを聞いた色葉は、ひとつ深く溜め息を吐く。

「お前を殺したところで、何も変わらない」

「また、君を襲うかもしれないよ?」

「それでも、また俺が退けるだけだ、今みたいに。……でも、妹にだけは手を出すな。その時は、絶対に容赦はしないからな」

刀を向け、そう言い放った。振り返って立ち去ろうとした。その時。

「待って!」

呼び止められた。少女のその悲痛な声で、色葉は立ち止まった。

「何」

 振り返らず答える。感情の欠片も見られない色葉の声音に、少女は身をすくませた。それでも、少女は引き下がろうとしない。一度俯き、勢いよく顔を上げた。

「……私も…………私も、連れて行って下さい!」

 おお、敬語になった。そう場違いな事に感動していると、そんな事はつゆしらず、少女はゆっくりと話し始めた。

「……私は、魔法が使えるんです。それだけで、友達には苛められるし、町の人達には白い目で見られるし、親にも……捨てられるし…………私の魔法を見て、何も言わなかったのは、あなたが初めてなんです。だから……私……私っ……!」

 辛い過去を思い出したのか、少女は、大粒の涙を流し始めた。それは頬を伝い、砂の地面に落ちて消えた。

 冷たい風が吹き抜ける中、少女のむせび泣く声だけが聞こえる。

 そのしばらくの静寂の後、色葉は口を開いた。

「知ってる」

「……えっ?」

 その言葉は、とても短い一言だったが、少女にはそれがやけに深く感じられた。まるで、自分の全てを知られているような──

「だから……もう泣くな。俺も、その気持ちは分かる…………俺も、魔法が使えるから」

 色葉は俯き、目を閉じた。

「……人間は、自らと違うものを極端に嫌う。俺達がいい例だ。生まれた時から、頼んでもない能力のせいで差別される。だから、俺はこの能力が嫌いだし、人間も嫌いだ。でも……」

 そこで言葉を切り、振り返った。二、三歩先には、目を真っ赤に腫らした少女が、驚いたような表情で立っている。その表情を見た色葉は、小さく、だがしっかりと微笑んだ。

「お前が望むのなら、俺の下に来ても、いい」

 それは愛想笑いなどではない。彼のれっきとした、笑顔だ。

「うっ…………色葉さん!」

 今更、さん付けされても。

「色葉でいいから」

「色葉っ!」

 勢いよく駆け寄ってきた少女に、これまた勢いよく抱きつかれてしまった。

 


 

「さっきはごめんね。でも、なんか胸がすっきりした。ありがと」

 もう、水望の目に涙は無い。落ち着いたようなので、いつまでもくっついている彼女の体を引き離した。温もりが離れていく。冬の冷たさが、身にしみるようだ。

「別に。俺は自分の事を言っただけだし」

 ぶっきらぼうに答える。そんな色葉の反応に、水望は特に気を悪くした様子は無い。彼女は、色葉の隣に座って雲を眺め始めた。

「…………色葉って、左利きなんだ」

 空を見上げながら、思い出したように言った。あの状況でよく見ている。

「悪い?」

「珍しいなーって思って…………ねぇ、色葉って年いくつ?」

「十歳になった。この間」

 色葉の返答に、水望は目を瞠り彼を見つめた。

「嘘!私の一つ下じゃん! それにしては……」

「背が小さいとでも言いたい?」

「それもあるけど」

「…………あるのか……」

 いまだに百二十センチ少しの身長だ。周りはみんな伸びていくのに、自分だけ伸びないというのは、やはり悲しいものがある。

「喋り方が落ち着いてるよね」

「……別に」

 なおも素っ気無く答える色葉に、さすがに水望も少し困った顔になった。

「……そ、そう……ご両親は?」

「…………」

 その質問に、色葉は黙り込んだ。

 両親か。どう言えば良いのだろう。自嘲するように少し笑って、雲を見上げた。それをどうとったのかは分からないが、水望は慌てて謝った。

「ご、ごめん。変なこと聞いちゃった」

「……いいよ、別に。過ぎた事だし」

 冷めた子だなー、と彼女が思ったのは間違いないだろう。あえて水望の顔を見る事はしなかったが、その代わりに色葉は立ち上がった。

「そろそろ戻ろう。いつまでもここにいたら風邪ひく」

 相変わらず風は冷たく、それなりに強い。感情が昂ぶっていて良く分からないが、おそらく体は冷え切っているだろう。色葉の言葉に、水望も立ち上がってしっかりと頷いた。

「そうだね。戻ろっか」

 

 

 

「ねえ色葉、私の事、覚えてる?」

 二人で廊下を歩いていた時、唐突に水望が尋ねてきた。水望の顔を見る。彼女の瞳は、心なしか期待に輝いているように見えた。

「覚えてない」

 色葉は当然のように、正面に向き直ってぶっきらぼうに答える。その返答に水望は、そっか、とだけ呟いた。そんな彼女を色葉は少しだけ不憫に思い、仕方なく言葉を続けた。

「それ、いつの話?」

「……えっと、二年前かな。八歳の頃」

「…………ごめん。やっぱり覚えてない」

 表情を変えないまま、視線だけを床に向け呟いた。心の底から湧き上がってくる感情を必死に抑える。あの頃の事は、記憶の中から消し去るようにしているので、残念ながら思い出せない。いや、二度と思い出したくない。

 その時。

「うわっ!」

 突然の衝撃で、後ろに倒れそうになった。曲がり角を曲がろうとしたら、誰かにぶつかったのだ。それも、かなりの勢いで。

「あいてて……」

 なんとか持ちこたえた色葉とは違い、ぶつかってきた方はしりもちをついていた。だが、色葉はその少女を助けようとせず、どこか諦めたような目つきで見ている。彼はひとつ溜め息を吐いて、腰に手を当てた。

「……廊下は走るなよ、白花」

「えへへ、ごめん」

「誰?」

 隣に立っている水望が、色葉の服の袖をつかんだ。その手からは、心なしか不安と緊張が感じられる。彼女の過去からすれば、分からなくも無い反応だ。

「俺の妹。そんなに緊張しなくても大丈夫」

「へぇ、妹さん。…………言われてみると、ちょっと似てるね」

「そうか?」

 言いながら妹に手を差し伸べ、立たせる。その手を掴んで立ち上がった少女は、えへと舌を出して笑った。

「それにしても、どうした?」

 いつもと変わらないように見える妹に尋ねる。いくら白花でも、何事も無いのに廊下を疾走するはずがない──と信じたい。だが、その心配は杞憂だった。

「そうだっ! お兄ちゃん、侵入者だよ!」

「侵入者?」

 色葉はそう呟くと同時に、水望の顔を見た。数分前の出来事が脳裏に浮かぶ。

「……もしかして、私?」

 その言葉を聞いた白花は、有無を言わさず、水望に飛び掛った。

 

  


「ごめんな、白花が突然」

 廊下のへりに座って一息つく。つい先ほど事情を白花に説明して、なんとか水望から引き剥がす事に成功した。

「ううん。私、騒がしい人嫌いじゃないし」

「……ううっ、三条さん、それ慰めになってないですよぅー」

 珍しくしおらしい白花が、水望の肩に両手をのせる。その手に彼女は、自分のそれを重ねた。

「呼び捨てで良いよ、白花ちゃん」

「はいっ。了解です!」

 白花の笑顔を見ると、水望は少し乱暴に、彼女の頭を撫で始めた。嬉しそうに目を細める白花は、少し上にある水望の顔を見上げた。

「そういえば、水望ちゃんも魔導師なんだよね?」

「っ……そうだよ」

 水望は一瞬言葉を詰まらせたが、白花は気にせず続ける。

「じゃあ、何属性の魔法が使えるの?」

 魔法には、火、水、氷、雷、風、土の六つの基本属性と、特殊属性の光と闇、計八つの属性がある。それと同じように、魔導師にも八つの属性があるのだ。自分がその属性だからといって、同属性の魔法しか使えない訳ではないが、基本的にその属性が最も強い威力を持っている。

「えー……っと、火属性しか使えないなー。私、火属性だし」

 思い出すようにして、水望は答えた。その言葉に白花はにやりと笑う。

「白花ちゃんは?」

「私は光属性だから、全部使えるんだよ!」

 要は、それが言いたかったらしい。嬉々とした様子の白花に、水望は目を瞠った。それに負けじと色葉も加わる。

「ちなみに俺も全部使えるよ、雷属性だけど」

「もー、お兄ちゃんまで言わないでよー」

 妹に向かってにやりと笑う色葉を、白花はぽかぽかと叩いた。

 水望は呆気にとられた。

 全属性の魔法が使える魔導師は、そう滅多にお目にかかれないのだ。でも、今目の前でじゃれあっているこの二人は……。

「お、恐るべし藤神兄妹だね……」

 水望はそう言うと、不意に空を見上げ小さく笑った。

「どうした?」

「いや……こんな話したの、初めてだなあって思って」

 魔法について話す事も、何より同年代の魔導師と会うのさえ初めてだ。

(…………私、ここに来て、本当に良かった)

 水望の目から、一粒の雫が流れ落ちた。その光の光の粒が悲しみのものではない事は、すぐに分かった。

(母さん……)

 そんな彼女の胸の奥に去来したのは、優しげな笑みを浮かべた、一人の女性だった。

 

 

  

──来ないでっ!!

 

「…………っ!」

 突然、向こうの方からそんな叫びが聞こえた。一瞬、それと重なる声が聞こえた気がしたが、それを頭の中から即座に消し去る。ゆっくりと覚醒した意識の中、私はおずおずとその方向を見た。

 荒れ果てた民家。その隙間を縫うように、不格好な雑草が生えた路地が通っている。その中途に、数人の人だかりが見えた。

「またか……」

 まだ幼さの残る、私と同い年くらいの風貌の少女が、数人の柄の悪い男達に囲まれている。若い男達の着物が、汚くみすぼらしいのに対し、少女のそれはなんとも可愛らしく、目立つ汚れも全く無い。きっと、それなりの身分の、武士か商家の娘なのだろう。

「…………」

 あれは、この辺りなら大して珍しくも無い、ただの恐喝だ。身分の良さそうな子供を狙って、金目の物を脅し取る。はっきり言って、自業自得だ。こんな治安の悪い場所を夕暮れ時に一人でふらふら歩く方が悪い。そもそもなぜそんな身分の人間が、こんな薄汚い場所に来るのかが理解できない。

「ま、私も人の事言えないけど」

 私自身もいまだに、なぜここに来たのか分からないままだ。自嘲的な笑みを浮かべる。少し離れた場所からの少女の悲鳴を完全に無視して、私は膝の上の布を頭まで引っ張り上げた。

「来ないで……か……」

 そういえば、「あれ」からもうすぐ一ヶ月が経つ。いや二ヶ月だろうか。もしくはそれ以上。どれも確かだとは言えない。剣術の稽古だけの日々を、流れるようにただ過ごしてきた。「あれ」を、完全に記憶から消し去るために。

 私は、頭まで被ったぼろぼろの布を、きつく握り締めた。今日は、このまま早く寝てしまおう。

「……はぁ」

 でも、それはできそうに無いな。

 大きな溜め息を吐き、布を眼の辺りまで下げた。視界が薄橙に染まっている。その夕焼けの中からは、先ほどの少女は消えていた。おそらく金品か何かを手渡し、見逃してもらったのだろう。何事も無かったようで、目覚めの悪い朝から免れる事ができた。

 だが、男達はそれで足りないようだった。少女に続き、今度は私が標的になっている。

「何? 私、何も持ってないけど」

 私を取り囲んでいる男達に向かって、布で顔を隠しながら言った。何も持っていないのは本当だ。ここ二、三日、満足のいく食事にありつけていない。私の言葉を聞いた男達は、突然下品な笑い声を上げ始めた。

「うひょひょ……そうかぁ……譲ちゃんも大変だなぁ」

 その余りにも生理的嫌悪を感じさせる、ねっとりとした視線に、布で眼より下のぎりぎりの部分までを隠す。周りの男達の下品な笑いや、その醜悪な表情が表すのは、つまりそういう事だ。背中を冷たいものが走った。

 でも私には、自らの身を守る術がある。ここ数ヶ月のほとんどを費やしてきた術が。「あれ」以来の、私の全てが。その全てをつぎ込んだ、布の下に隠しているそれに手を伸ばす。それに手が触れた途端、体の中から自信のようなものがみなぎってきた。自然と口端がつり上がる。

「……あんた達、気持ち悪いんだけど。そんなに死にたいの?」

「んだとっ?」

 ああ、本当に気持ち悪い。ちょっと挑発しただけで、すぐに頭に血が上る。まったくもって馬鹿みたいだ。こんな奴らになら負けるはずがない。

 と思っていた。

「っ……!」

 一瞬で一人の男が、首と紙一重のところに刀を突き立てた。少しでも動けば、即座に首を刎ねられてしまう隙間しかない。この男だけは、予想以上に強者だった。といっても、自分の油断がこの状況を作ってしまったのだが。

 突然の事に動揺してしまったのか、右手に持ったそれを、わずかに動かしてしまった。かちゃりと金属音が鳴る。気づかないで、と心の中で叫んだが、残念な事に男は聞き逃してはくれなかった。

「おっと、いいもん持ってるじゃねえか」

 そう言ったその男は布の中に手を入れ、私の手から刀を奪い取った。取り返そうと危うく動きかける。歯軋りしながら右手を伸ばすが、やはり届かない。男達はどこに隠していたのか、それぞれの刀を取り出し、こちらに向けている。その眼に宿っているのは、お前みたいな小娘一人、いつでも殺せるぞという、音無き言葉。

 私は自分の心の弱さに歯噛みした。こんな男達に動揺して、これほどまで追い詰められてしまうなんて。このままでは、本当に自分の身が危ない。辱めと共に、ひとたまりも無く殺されてしまう。こんな所で、こんな所で。こんな所で!

 私は決心した。

〈……火よ集え、ファイヤーボール……!〉

 相手に気取られないように、小さく小さく、呪文スペルを詠唱した。体内の魔力が反応し、周囲のマナに干渉し始める。熱く燃えるような感覚が全身を包む。一気に高まった魔力が収束し、マナがざわめいた。瞬間、

「うわあああぁぁぁ!!」

 切り裂くような絶叫と共に、眼前の男が炎に包まれた。もだえ苦しみながら、もんどりうって地面に転がる。肉の焦げる嫌な臭いが、周囲に立ち込め始めた。そして次の瞬間、炎が一際激しく燃え上がり、男の姿は消失した。ぱらぱらと灰のようなものが飛び散る。

「……おい……嘘、だろ……?」

 奥の男が呆然と呟いた。その眼に広がるのは、驚愕と──明らかな恐怖。

 あの時と同じだ。

「こいつ、魔導師だっ!」

 これまで、私が幾度と無く浴びせられた言葉を、目の前の愚かな人間は発した。途端、心の底から激しい感情が込み上げてきた。恐怖とも絶望とも違う、ただ純粋な、破壊欲。自分でも驚くほどの殺意に従い、目の前に落ちた刀を拾い上げる。

 冷静に考えれば、いくら相手が弱いとはいえ、ろくに食べられていない少女一人が数人の男を相手にするのは、圧倒的にこちらが不利なのは分かったはずだ。それでも、私は戦う。こんな所で、むざむざと死ぬわけにはいかないから。

 新たな決意を胸に秘め、相手をぎっと睨んだ。叫び声をあげながら、中段に構えた刀を振り上げようとした。

 その時。

「──はあっ!」

 視界の隅から、黒い影が飛び込んできた。その勢いのまま、一人の刀を弾き飛ばす。

 黒い髪に黒い服。全身真っ黒な少女だった。そして私よりも小さな背。でも、とても大きく見えるその背は、ちらと私を振り返ると、小さく微笑んだ。

「君を、助けてあげる」

 純粋さと妖艶さが五分で混ざったような美貌の笑みに、私は吸い込まれそうになった。

 その時、その少女に違和感を感じた。少女の線の細い顔の中で大きく光っている、長いまつ毛が縁取った瞳。その瞳からは、その風貌からは考えられないような、とても雄々しい気迫が感じられた。纏う雰囲気も、まったくもって男らしい──

 それでようやく、違和感のわけを理解した。この子供、初めは少女かと思ったが、実は少年なのではないか。そう分かった途端、自分の頬がこんな状況下にも関わらず、熱くなるのを感じた。

 何だろう、この気持ち。まるで、彼の中に引き込まれるような──

 そんな私の心情を知ってか知らずか、彼はほんの少し眼を細めると、高く澄んだ優しい声で言った。

「すぐ終わらせるから」

 そしてその少年は、悠然と男達に立ち向かっていった。

 

 


 そして今目の前には、あの時よりもほんのわずかに成長した少年がいる。相変わらず肌は白く、華奢で小柄で線も細い。まるで美少女と見紛うような風貌だが、あの眼の気迫は、まったく変わっていない。そして私自身の、あの気持ちも──

「……あのさ、色葉」

 そう呼びかけると、彼の無垢かつ妖艶な瞳が、まっすぐに私を見た。その視線に、また少し体が熱くなる。何、と首を傾げるその仕草は、どう見ても少女のそれそのものだ。

 私は小さく笑った。

「やっぱり、何でもないっ!」

 そう言って、勢いよく立ち上がった。そして、色葉に手を差し出す。その手を不思議そうに眺める彼に一言。

「これからもよろしくって事!」

 一瞬驚いたような顔をした色葉は、こくんと頷くと、その手を握った。

 

 冷たい言動が目立つ少年だけど、彼の手はこんなにも、

 暖かい。

 

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