8 最愛の娘
珠希へ
この手紙は、今から珠希に晴哉くんとの結婚を告げる前に書いています。
これから先、珠希が幸せになれたら、その時、お父さんから珠希に渡して貰おうと思って書いてます。
お母さん、手紙なんて書き慣れてないから上手く書けないんだけど、話し言葉でいいよね?
ええと、お母さん、あと少しで、死にます。
病気です。
半年前、病院に行って、先生に言われました。言われた日はショックで、何も考えられなくて、ぼんやり公園のベンチに座りこんでいました。
西永晴哉くんとは、その公園で知り合いになりました。
お母さんの方が死ぬのに、晴哉くんの方が死にそうな顔で、側にいたカインがクゥンと鳴いていて可哀想だったので、お母さんからナンパしちゃいました。
晴哉くんは最初は戸惑っていましたが、何回か病院の帰り道の公園で会う内に、お互いのことを話すようになりました。
書いておきますが、お母さんはお父さん一筋です。
晴哉くんはとても素敵な男性なのに、奥さんが浮気していて、家族にも恵まれず、とても寂しそうでした。
お母さんは晴哉くんと話す内に、こんな子が息子だったらいいのにな、と思いました。
その内、晴哉くんの奥さんに子供が出来て、晴哉くんが離婚することになり、お母さんが元気で動ける時間も少なくなってきました。
このまま、家にいたら、きっと珠希にもお母さんの病気が分かってしまう。
そう思ったとき、お母さんは珠希のこれからが心配になりました。
職もなく、生きていく生き甲斐もなく、ただ、毎日を過ごす。
お母さんがいる内はいいでしょう。
でも、お父さんと二人きりになり、やがてひとりになったとき、珠希が泣きそうで辛いのです。
あなたがひとりでも生きていける強い子だったら、良かったのに。
だけど、珠希は、情に厚く、涙もろく、優しくて、そして寂しがりやの女の子に育ちました。
お母さんにとっては自慢の娘です。
そんな珠希がひとりにならないためにはどうすれば良いのか、お母さんは考えました。
そして、皆を巻き込みました。
晴哉くんは家族に餓えていました。
優しい彼は珠希の好きなタイプではないかもしれませんが、珠希と話は合うでしょうし、穏やかな愛情を育める人だと、お母さんは思いました。
だから、晴哉くんを説得し、お父さんに精一杯お願いして、
お母さんは珠希に、
『ひとりにならない人生』
をプレゼントします。
巻き込んだ晴哉くん、お父さん、ごめんなさい。そして、ありがとう。
だけど、珠希が幸せな人生は、きっと、お父さんも、晴哉くんも幸せな人生だと、お母さんは確信しています。
暖かな新しい家庭が、きっと、お母さんのいない寂しさを埋めてくれるでしょう。
だから、お母さんからあげられる物をいっぱい、いっぱい、いっぱい、死ぬまでに用意してあげます。
珠希の意見がちっとも反映出来なくてごめんね。
でも、ここまでだから。
これからは、どんなにしてあげたくても、何も出来ないから、お母さんは最後に自分のわがままを通します。
わがままなお母さんでごめんね。
お母さんの娘に、生まれてくれてありがとう。
幸せになってね、珠希。
宝くじじゃないけれど、お母さんは自分の人生の最後に、晴哉くんという『当たり』を引けた幸運に感謝しています。
だから、きっと、珠希は幸せになれます。
母より。
☆☆☆
「わがまますぎ......」
我が家の一階にリフォーム後に出来た和室は、父の部屋になった。
買ったと言いながら、実は賃貸だったマンションから、父は我が家に戻ってきた。
真新しい仏壇と一緒に。
父の部屋のワンスペースに、ちょこりと置かれた真新しい仏壇の前で、私は可愛らしいピンク色の封筒に入った手紙を、父から渡された。
母が倒れたのは、私の結婚式のすぐ後。
そして、一ヶ月後にはぽっくりと死んでしまった。
私が結婚して、五ヶ月目に入ったときのことだ。
「ねえ、晴哉さん.......」
私は涙声で晴哉さんに問いかける。
「お母さんのこんなわがままで、私と結婚しちゃって良かったの?」
晴哉さんは笑う。泣きそうな笑顔で。
「そんなお義母さんとお義父さん込みで、珠希さんと結婚したかったから、したんだ。
涙もろくて寂しがり屋の奥さんに、
娘想いのお義母さん、
そんな二人を黙って受け止めてくれるお義父さん、
そんなみんなと、家族になりたいと思ったんだ」
きっと、私と晴哉さんが普通に出会っても、結婚はしなかっただろう。
お父さんとお母さんがいたから、晴哉さんは私と結婚した。
そして、多分私もお母さんに言われなければ、こんなに優しい旦那さんを持つこともなかった。
私は手紙を握りしめたまま、晴哉さんの胸にこつんと頭を寄せる。
きっと、お父さんの前じゃ、私は泣けなかった。
だって、お父さんだって、辛い。
お母さんが死んで辛いのは、お父さんだって一緒だ。
「ふっ.....ぅぅ...........」
嗚咽が漏れる。そんな私を晴哉さんが抱き締めてくれる。
泣いていいよ、と背中をさすってくれる。
私はその胸に顔を押しつけて、子供みたいに泣いた。お葬式でも泣けなかったのに、バカみたいに泣いた。
お母さん、
お母さん、
お母さん、
お母さん..........!!!
泣き虫でごめんなさい。
強い娘になれなくて、ごめんなさい。
寂しがり屋でごめんなさい。
お母さん、
私を愛してくれて、ありがとう。
私、幸せだよ、お母さんの娘に生まれて。
お母さん、
お母さん........
......お母さん。大好きだよ。