3 指輪
「おめでとうございます」
朝一で届け出を出したら、市役所の人にそう言われた。月曜の朝一番。昨日、遊び疲れしましたか、おにいちゃん、なんて私は内心思いながらも、「はぁ」と曖昧に返した。
カインは家の中で大人しくお留守番だ。
晴哉さんとの初めて二人きりでしたことが、婚姻届提出だなんて、色んな意味で、私、劇的すぎるだろう。
「これで西永 珠希ですね」
「よ、宜しくお願いします」
「此方こそ宜しくお願いします」
差し出された手に、握手かと思って手を差し出せば、そのまま繋いで晴哉さんは歩き始める。
いい歳して手を繋いで歩くなんて恥ずかしくないの?
なんて私の視線は全く気付かれない。
何というか、私の旦那様になった人は見た目以上にマイペースなようだ。
「この後、警察署にいって免許の書き換えですね」
「あ、だから住民票と戸籍抄本が必要なんですか」
「珠希さんは名字も変わりますからね」
流石、二度め。
色々詳しいな、と思っていたら、晴哉さんははにかみながら、
「日曜日に住民票の移動がてら聞いといたんです」
と返してくれた。
「最近は市役所も土日に簡単な受付はしてくれるから助かりますね」
成る程。
わざわざ調べてくれていたらしい。
邪推してすいません、と内心謝りながら、晴哉さんの車に乗り込む。警察署にこのまま移動するからだ。
晴哉さんの車は7人乗りタイプだが、犬も乗れるように後部座席がフラットになっている。だから、私は助手席に座る。
きっとこの車は犬用に買ったんだろうな、と思った。
「カインのこと、可愛がってるんですね」
何の気なしにそう言えば、
「珠希さんが犬嫌いでなくて良かったです」
と運転しながらほほえまれた。
「犬嫌いの人は、匂いで駄目ですから」
「カイン、匂わないと思いますが」
「犬が苦手な人には敏感に分かってしまうんですよ。獣臭さが。
だから、カインを家にあげるときも抵抗なくあげてくれて、カインみたいな大型犬でも臆さず接してくれる珠希さんのような人は貴重なんですよ」
お、無自覚に彼の中で私の好感度は上がっていたらしい。
「カインは私にとって子供のようなものですから」
子供がいなかったという晴哉さん。
カインに向けられる愛情が深いのは、見ているだけで分かった。
「な、なるべく私も子供みたいに接した方がいいですか?」
晴哉さんにとって子供なら、結婚した私にとっても子供だろう。そう思って言ったら、晴哉さんは首を横に振った。
「珠希さんには、家族と思ってもらえるだけで十分です。
それに私たちに子供が出来るかもしれませんから、その時、犬と子供の序列をきちんと
しなければなりませんし」
うおう。
サラリと爆弾発言。
やることやってないのに言いますね。
思わず俯いてしまうと、晴哉さんは小さく笑ってから、
「ゆっくり家族になりましょう」
ともう一度、言ってくれた。
今まで子供がいる自分なんて想像したことさえなかった。
ただ、淡々と毎日が変わらず過ぎていくと思っていたから、晴哉さんが来てからのこの二日は、何だか凄く目まぐるしい。
普通はもっとゆっくり慣れていくだろうに、それがないからだろうか。
本当に、ぐるぐる、ぐるぐる超高速回転のティーカップに乗っているみたいな気分だ。
警察署での手続きは、することを知っていたせいか、すんなりと終わった。
それでも10時半は過ぎたので、そのまま帰るのかと思ったら、買い物があると言われた。
そして連れていかれたのは、最近出来た郊外型店舗集合施設。
きっと日用品が足らないんだろうと、テレテレ後をついていったら、ついた場所は宝飾店だった。
「へ? え?」
「すいません、いきなり連れてきて」
「西永様、お待たせしました」
お店の人が出てきて出されたのは、指輪。
「あ、あのー、晴哉さん?」
「本当は一緒に選びたかったんですが、お義父さん、お義母さんが選んでくれまして」
苦笑いする晴哉さん。
あー...、お母さんが無理やり晴哉さんを連れてきて決めている姿が目に浮かびます。
お母さん、こういうのは娘に決めさせてよ。
と内心愚痴りはしたが、次の瞬間、サプライズがきた。
「だけど、婚約指輪は決めてなかったので、珠希さん、好きなのを選んでください」
「え?」
晴哉さんはニッコリ笑って、
「婚約指輪位、珠希さんの好きな指輪をどうぞ」
と言った。
「ええ?! いや、そんな!」
「結婚指輪と重ねづけできるのもあるようですよ。お義母さんが選んだ結婚指輪、ラインが綺麗ですから、どの指輪とも合いますよ」
「は、はあ.....」
ずらりと並んだ指輪を端から見ていく。
一番手前にあるのが、お母さんが選んでくれた結婚指輪なのだろう。確かに無駄な装飾はないし、ラインが綺麗で、私好みだ。
それと対になる婚約指輪なんて、どうやって選べば.....
なんて思って眺めていたら、一粒石が大きい指輪で視線が止まる。
どう考えても、高いだろう。
だけど、ダイヤの横に寄り添うように、小さな淡い乳白色の石が3つ並んだ形がとても可愛くて。
「これですか?」
「え、あ、その!」
躊躇うより早く、左手をとられて、薬指にまず結婚指輪を嵌められた。そして、私が見ていた指輪をその指輪に重ねづけられる。
寄り添うように嵌められた指輪は、互いが互いを邪魔することなく、まるでそれで一つの指輪みたいに、ピタリと指に嵌まった。
「お似合いですよ」
「珠希さん、どうですか?」
店員さんにはほめられ、晴哉さんにはとろけるような笑みを向けられ、私は呼吸困難のふなみたいに口をパクパクするしかない。
確かに似合っている!
私好みだ。
だけど、値段!
値段を見てしまった。
給料三ヶ月分なんて逸話は、今は廃れているって私だって知っている。
だから、晴哉さんにしてみれば一ヶ月分位の値段だとは思う。思うが40万近い金額の指輪を嵌めるなんて、一昨日まで無職家事手伝いの私にはハードルが高すぎるだろう!
そう思っていたのに、晴哉さんはなんてことないかのように、
「気に入っていただけたなら、これにしましょう。
サイズは結婚指輪と同じサイズで」
と店員さんに頼んでしまった。
「ちょ、ちょっと、晴哉さん!」
私がワタワタしながら晴哉さんを見ると、晴哉さんはニッコリと笑いながら言う。
「ダイヤの脇の石はムーンストーンらしいです。最近は婚約指輪にダイヤ以外の石がつくものもあるんですね」
呑気に世間話してる場合ですか。
「お、お金!」
「あ、指輪は結婚指輪もこちらも私が出します。それ位、私にさせてください」
「そういうことじゃなくて!」
「幸せにしますから」
「!!!」
今、ここで、言う!?
ここでっ!!
真っ赤になった私の前で、店員さんが微笑んでいる。
あー、もうここにはこない。というか、来るお金もないけど。
黙りこくった私を、了解したと勝手に解釈して、婚約指輪は決まってしまった。
因みに結婚指輪は、既に仕上がり済みだったらしい。
一ヶ月のリフォーム期間、父と母よ、娘の知らないところで色々と勝手にしないでほしい。
結婚指輪が、私好みな分だけ質が悪い。
「お義母さん、本当に珠希さんの好みを分かってるんですね」
指輪を嵌めたまま二人で店を出ると、晴哉さんにそう言われた。
「まあ、母親ですからねぇ」
そうぼやく私を、目を細めながら晴哉さんは見つめる。そして、しんみりとした声で、
「その指輪、大切にしてください」
と願うように囁かれた。
例え、成り行きとはいえ結婚は結婚だ。
きっと、前の結婚がうまくいかなかったから、今回は大切にしたいんだろうな、と思った。
それにしては、会って二回で結婚とか、どうかと思うけど!
キュッと右手を握られた。晴哉さんの左手にはキラリと光る、私と対の、ピカピカの結婚指輪。
うん.....
成り行きではあるけれど、この指輪の輝きがくすんでも、大切にはしたいなぁと思った。
そこに恋とか、愛とかは、まだ全然なくても。




