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1 婚姻届の書き方

300日問題に関して、誤った記述をしておりました。訂正しました。

「これに珠希さんの名前を書いて貰えれば、完了です」

 そう、目の前の男は私に言った。

 夕暮れ時、斜陽差し込む我が家のリビング。

 今まであったテレビは地デジ対応の大きなテレビになっていたし、ソファも革張りだ。

 古臭い家だったはずなのに、パッと見、大型家具量販店のモデルリビングみたいに綺麗だ。


 リフォームは怒涛の勢いで行われた。

 元々、築30年に満たない家だったので、壁紙張り替えやら、システムキッチン入れ替え、ユニットバス入れ替えで済み、1ヶ月という有り得ない工程でも、すんなり終わってしまったらしい。一階だけ若干間取りが変わって、中だけ見たら新築の家みたいだ。

 二階の私の部屋は一切手が加えられず、壁紙張り替えなどが父と母の寝室だけ行われて、昨日その部屋に大きなクインサイズのベッドが搬入された。


 誰の?

 一体、誰が寝るの?

 なんて、怖くて聞けるか!!


「じゃ、呉々も晴哉くんに宜しくね!」

「........珠希、頑張れ」

 昨日、そう捨てぜりふを残して、父と母はこの家から車で10分のマンションに帰っていった。リフォーム中、私もお邪魔したが、宝くじで買った割には極々普通の中古マンションだった。母のことだ、老後の蓄えに殆ど回しているのかもしれない。


 それなら、何故にあの家を売る?!


 と思ったが、二人が片付けたかったのは家じゃないことは、薄々感じてました。


 家付きならば、売れるだろう。

 そう踏んだ訳ですよね? お父さん、お母さん.......



 そして、今日。

「ワン!」

 元気な声で挨拶してくれたのは、可愛いというよりデカいの一言の、ゴールデンレトリバーのワンちゃん。そしてワンちゃんは、スラリとした長身の男と一緒に現れた。

「カインです」

 男は先に犬の名前を名乗り、愛おしげにカインの頭を撫でる。カインは尻尾をパタパタと嬉しそうに振っている。

「はあ」

「私は西永 晴哉と申します」

「えっと...田中 珠希です」

「じゃあ、明日からは西永 珠希ですね」


 おぉっと、サラッと何か言いましたよ、この男。

 私は顔をひきつらせながら、「本気ですか?」と問いかける。

 今なら、冗談ですって言われても許す。

 いや、そうであってほしい。


 なのに、母同様、得体の知れない笑みを浮かべて、「すいません、カインを上がらせたいんで拭くもの貰えますか?」と逆に問われた。

 男に罪はあっても犬に罪はない。

 私が渋々、雑巾を持ってくると、「ありがとう」と言いながら、男は雑巾を受け取る。

 長い指に節くれだった手。

 父親とは全く違う、私の付き合ってきた歴代の男とも違う、綺麗な手だ。


 まあ、手だけで嫁になるほど、私は安くないけどね!


 そう思っていたら、いつの間にかカインと男に上がられて、いつの間にかリビングにつれてかれ、私の家なのにいつの間にか男にコーヒーを用意されていた。

「このコーヒーメーカーまで、用意して貰えて、お義父さんたちに感謝だな」

 どうやら男のリクエストのコーヒーメーカーだったらしい。

 私は?

 私のリクエストはないんですか?

 そう思えども、父も母もいないリビングで、私の味方は1人もいない。


 というか、1ヶ月前にいわれてから、本日、二度目の顔合わせ。一回目なんか、挨拶しかしてないというのに、それで結婚なんて、私の両親はいかれてるだろう。

 内心苦汁ながら、我が家なのに、だされたコーヒーに口をつける。

 大変、美味しいです。

「珠希さんもブラックなんだ。コーヒーの趣味があいそうだね」

 男が何か言ったが無視だ。無視。


 犬は好きだから、こちらによってきたカインの頭は撫でてやる。嬉しそうに私の膝に乗ってきて何て可愛いんだろう、コイツ!

 こういう大きな犬、飼ってみたかったんだよなあ、とぼんやり思っていたところで、冒頭の男のセリフに戻る。


 男が差し出してきたのは婚姻届。


 はい、私、この家と一緒に男に売られました!


「本気で我が家を私付きで買ったんですか?」

 私が真顔で問いかけると、男はニッコリ笑って、

「はい」

と返事をした。

「いくらで?」

「私の将来性でかってくださったそうです」

「は?」

「将来、ご両親のうち、どちらかが亡くなられたときに面倒を見るのと、珠希さんを一生可愛がるって約束です。

 だから、私の将来全部を珠希さんたち、ご家族に」

「............」

 リフォーム後、一階に出来た客間は、将来の親用だったのか。畳の部屋で、何でこんな仏壇でもおきそうな部屋をと思ったが、まさか自分たちの片割れの面倒までお願いするなんて...。


 一瞬、目の前が真っ暗になった。

 いや、比喩ではなく実際そうで、私の顔にカインが近づいて舐めてきたから真っ暗になったのだ。

 私はカインをガシリと捕まえて、ワシャワシャその腹をかき混ぜながら、

「正気ですか?」

と今度は男の頭を疑う。

「正気ですよ。本当はカインと二人で暮らせる家を中古で探してたんです。その時、お義母さんとお会いしまして、この家を薦められました」

「わ、私付きで?!」

「いえ、その時は家だけだったんですが、お話している内に、ならば自分の娘も付けたら家を譲ってくださるとおっしゃるので」


 バカバカバカバカバカバカバカ。

 お母さんの、大バカ!


 どこの世界に、意気投合して娘を譲る母親がいるんだ!

 ここにいます......


 私はぐったりしながら、カインの腹を撫でる。このもふもふが落ち着く。

 男はそんな私を見ながら微笑んでいる。

「だからってまともに会話もしてない私と結婚なんて」

「お義母さんから珠希さんのことは聞いてます。とても素敵なお嬢さんだと思いましたし、私には勿体ないと思ったのです」


 いえ、あなたの方が勿体ないです。

 と思わず言いたくなった。


 目前の男は、着ている服はカジュアルだが、どこかのブランドものらしいマークが胸元にワンボイントであしらわれていた。それだけでも金があると分かるが、眼鏡だって安売り眼鏡じゃない。さっき、横を歩いたとき見上げた眼鏡のつるにもブランドロゴがついていた。

 だから、間違いなく金はあるはずなのだ。

 そして、顔。

 凄い美形ではないが、優しげで草食系男子って言葉が似合いそうな面持ちだ。

 性格だって、今話した限りでは、穏やかそうで、余程変な性癖でも無い限り、35歳らしいが恋人がいないとは思えなかった。


 そんなことを思っていたら、男が自分には勿体ない理由をあげてくる。


「実は私は2カ月前に離婚しています」


 また、それは何で?と思っても、口にしないくらいの嗜みはあったのだが、男は勝手に話してくる。


「元妻との間には、子供がおらず、カインだけでした。私は父親が死別で、母は離婚して子供の頃に連絡を絶っておりまして。妻の家に婿入りしてました」


「婿入り...」


 失礼だが、凄い似合っている、と思った。

 元婿養子は話を続ける。


「しかし、両方異常はなかったのですが、なかなか子宝に恵まれず...。ですが2カ月前、妻が妊娠しまして」

「それはめでたいことじゃないですか」

「相手は妻の勤め先の男でした」


 ど こ の ド ラ マ で す か?


 あんぐりと開いた口が塞がらない私。

 男は苦笑しながら、事の顛末を語る。


 生まれてくる子供の父親を正しくするために、早々に離婚。それでも結婚期間中の妊娠だったので出産後に遺伝子鑑定とかして、元夫が色々申請しないと子供の実父は元夫になってしまうらしい。元夫が申請しなきゃならないなんて、何だか変な話だけど、それが世に言う300日問題として、子供が無戸籍になる一因らしい……

 ……が、頑張れ、私の頭。

 何とか理解したつもりで、話の続きを促すと、

「最終的には私の実子扱いでなくなるから、大丈夫です」

と、ケロリとそんな言葉で締められて、元妻に未練も執着もないとは感じ取れたが、それが余りにもヒヤリとした言葉に思えた。

 まぁ、不倫の末に、他の男の子供を身ごもられたらそんな感じなんだろうか。

 

 結局、犬のカインだけを男が引き取り、慰謝料などもなく離婚して、今に至るらしい。


「円満離婚ですから、安心してください」

「いや、円満じゃないでしょ、それ!

 あなた、もっと怒らないと!」

 私がそう男に詰め寄ると、男はやんわりと微笑んで、

「私じゃ彼女を幸せに出来なかったから、仕方ないです」

と言った。


「そういう問題じゃないでしょう!

 仮にも夫婦になったなら、不倫なんてする前にきちんと決着つけるべきだったでしょうよ!

 子供できたから離婚って、馬鹿にするにも程がある!!」

 私が息まくと、男はそんな私を見ながら、

「でも離婚したから、珠希さんと結婚できます」

と言ってきた。


 そこでここに戻るか、普通?!


 いや。もういきなり会ったばかりの女と結婚しようと思うんだから、どっかおかしいのだろう。


「私なんかでいいんですか?! もう若くないし、無職ですよ?!」

「珠希さんだからいいと思いました。お義父さんたちもとてもいい人で、こんな人たちの育てた娘さんなら、私も幸せになれるかな、と思ってしまったんです」


 う。卑怯です。


 男の笑顔は切なげで、その顔には離婚までの道筋が決して円満ではなかったことを物語っていた。

 そんな男が、私の両親を見て、私の両親に幸せを見いだすって、どんだけ寂しかったんだろう、と思わずにはいられない。


 お母さん、あなた計りましたね?

 と、内心、母に向かって問いかける。返事があるわけないが、母は私を育てただけあって、私の性格も熟知しているのだ。


 離婚歴がなんだ。


 人柄だ。


 愛情だ。


 そんなことをのたまう母の顔がすんなり思い浮かぶ。


 私の男を見る目のなさも、この情けに弱いところに起因しているといい加減、分かれ、と母に言いたい。

 いや、分かっているから、こうなのか?


「私と結婚したいんですか?」

「珠希さんと結婚したいんです」


 目の前には紙切れ一枚。

 ご丁寧に私の名前を記入するのみだ。


 というか、証人欄に既に私の父の名前が書いてある。男の方にも見たことない男性の名前が書いてある。きっと友人か誰か信頼できる人なのだろう。


 準備は万端らしい。


 私はため息をつくと、ワシャワシャワシャワシャとひたすらカインを撫で回した。


「カイン、可愛いですね」

「実物の珠希さんも可愛いと思いました」


「その甘い言葉は仕様ですか?」

「はい。珠希さんを一生、可愛がるってご両親と約束しましたから」


 情に流されるな、と誰かが私の中で警告したが、そんな警告で何とか成る性格だったら、とっくの昔に結婚してるわ!


 私は無言でペンを持つと、自分の名前を婚姻届に記入した。

 男が嬉しそうに微笑んでくる。

 本当に嬉しそうだ。


「宜しくお願いします、珠希さん」


「..........宜しくお願いします、晴哉さん」



 その日、私は結婚することになった。

 バツイチ、犬付き男と。



 (明日から)田中改め西永 珠希、30歳。


 どうなる、私?

 どうする、私?!

 

 

 



 婚姻届の書き方、本籍の移し方などを詳しくお知りになりたい方は、最寄りの市役所にお問い合わせください。

 また、本編内の300日問題に関しては、2012年現在の内容となります。随分昔から問題になっているようですが、まだ改善されてないようです。

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