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魔女と

魔女と世界蛇

作者: 甘いぞ甘えび

 三十センチほどの長さの枝を使って空を飛ぶことができるのは、魔女の特権だ。しかし通常の魔女は木によって相性があり、飛べる木と飛べない木が存在する。そのため、一度飛べると分かったら、その枝が使えなくなるまで使用するのが普通だ。

 しかし、目に付いた木から枝を取り、無造作にそれを使って空に浮いたその魔女は、相性など一度も考えたことはなかった。ただマザーに存在するマザーツリーの枝を一本摘み取り、それに乗るだけで彼は自由自在に飛び回ることが出来る。

 彼の持つマザーの恩寵を上げればキリがない。しかし、本人はそれを特権とは思わず、時にはそれを障害とさえ感じるときがあるくらいだ。それを持たないものからすれば嫌味以外の何ものでもなかったが、持っていてもどうしようもないものというものも、この世には多く存在していた。

「ウルカ。道中同行しても良いかね?」

 幻想生物や超自然生物であったとしても、空を自由に飛ぶことが出来る者は数少ない。翼を持つ者たちは当然ながら飛ぶことが出来るが、魔女のように空中で静止したり、方向転換を容易にすることが出来る者は数少ない。

 魔女よりも自然に、まるで重力など存在しないのではないかとばかりに空を飛ぶ者がここに一人。

「スミハ。どうしましたか?」

 完璧に人間の姿を擬態しているその男は、光を受けると金属色に見える黒の髪に、光さえも通さない暗闇の瞳、そして透き通るような青白い肌という非常に不健康そうに見える姿だ。しかし、その目は狡猾そうに笑み、口元には笑顔が浮かんでいる。

「いや。君が空にいるときはわたしに独占権があると思っているのでな」

「私の独占権は常にマザーにありますよ」

 スミハはウルカのように枝を使うわけでもなく、ただそこにいるだけで空中に存在している。不安定でもなければ、何か努力してそこにいるわけでもない。彼はただ自然にそこにいた。そんな現実離れした離れ業が出来るのは、この広い世界を探しても彼の同胞以外には有り得ない。

「麒麟の小僧がまとわり付いてるんだって?」

「あぁ……。もう聞いたんですか?」

 ウルカはうんざりした表情でため息をつく。普段はめがねでその表情を隠して個人的なことはあまり喋らないように心がけているウルカが気を許すのは、このスミハの前だけだ。

 スミハはウルカに言い寄る数多い男の中の一人だが、その付き合いは一番長い。ウルカが物心付く前からスミハはウルカの傍にいるため、その存在は父親か兄弟に近いものがある。

「君に関する情報はすべてこの耳に届くようになってるんだ」

「耳なんかないくせに」

 スミハの元の姿を知っているウルカは鋭く突っ込みを入れるものの、その顔は楽しんでいる様子が伺える。スミハにはその程度のことを言っても大丈夫だと知っていての行動だと言うのはその表情からうかがい知れる。

 その魔女の成長を長年一番近くで見守っている男は、見る者が見れば高慢な態度で鼻を鳴らした。

「で? その麒麟の小僧をどう思うって?」

 その問いに脳みそが湧いてるんじゃないかと疑うような顔で振り返るウルカ。そんな反応にも慣れているスミハは微笑をたたえたままでその返答を待つ。

 隣を併走するスミハが質問をすると、その回答が出揃うまではしつこく聞いてくることを知っているウルカは、はあとわざとらしいため息をついて見せた。それが嫌味にさえならないことは重々承知していたが、やっておかないと気が済まなかった。

「何度も言ってるでしょう? 私の伴侶は子供が生める者に限ると」

 スミハは困った様子で眉を下げ、やれやれと首を横に振った。

「だからわたしを選べばいいものを」

「スミハ。何度も言わせないで下さい」

 鋭い声で牽制され、男は肩を賺して首を横に振った。それ以上彼の機嫌を損ねる気はないという意思表示だろう。

 枝に乗った魔女は、それでいいんだとばかりに高飛車な態度で顔を背け、降下し始める。

「今日の帰りはいつ頃になりそうかね?」

 降下するウルカを見下ろすように空中に留まりながら尋ねる。ウルカはちらりとだけ視線を上に向けたが、そのまま降下を続ける。

「待ってなくていいですよ」

 声ははっきりと聞こえたが、その姿はあっという間に視界から消える。しばらくその場に留まっていた黒髪の男は、ふと何かを思い出したかのように顔を上げ、次の瞬間にはその姿は消えてなくなっていた。


 * * *


 妖精や精霊、幻獣といった超自然生命は、人間の子孫が存在する以前から地球に存在していた。彼らは地球そのものが発するエネルギーや、植物が生み出すエネルギーを糧にその存在を維持し続けてきた。

 しかし、人間が文明を築き、その技術を発展させていくにつれ、超自然生物たちはそのエネルギーで養うことが出来なくなり、数が激減した。彼らは自らの種族の存続を憂い、様々な手段を考案した。しかしそのどれもが上手くはいかなかった。

 もう滅びる他に手段がないのかと危ぶまれた頃、人間との間に出来た子供たちに特殊な力が生まれることに気が付いた。それが魔女の発祥となる。

 魔女はマザーという古来のエネルギーを保有する唯一の地域に住み、その地を守り、地球上に存在するありとあらゆる超自然生命を養うことを使命としている。彼女たちは彼ら超自然生命を養う代わりに彼らから子種を受け取り、彼女たちが絶対に絶えないよう、厳しい管理体制を強いている。

 基本的に魔女一族は人間と超自然生命の子供、あるいは魔女と超自然生命の子供とされている。しかし、人間同士の間に時折魔女の力を有する子供が生まれる場合が存在する。その子供は純粋な地球の生み出すエネルギーをその体内に有して生まれるため、生き残る可能性は低く、大変貴重な存在とされている。

 その人間の両親の元にに生まれついた魔女は純血種と呼ばれ、その力は一般の魔女とは異なり、出来ることも多いと言われている。

 しかし、純血種はその力が純粋であるがゆえに命を落とす確率が高い。その原因で一番多いのは、生まれて間もなく死んでしまうことだが、その次に多いのが、超自然生命に食い殺されることだ。

 あまりにも餓えている超自然生命が純血種を見つけると、その力の純粋さに惹かれ、まるで麻薬のように人格を狂わせる。そのため、純血種の保護は最優先事項として広く認識されている。

 無事に幼少期を抜け、自分の力をコントロールすることが出来るようになるまで成長した純血種は、普通の魔女と同じように他者に力を分け与える任務を負うようになり、普通の生活を送ることが出来るようになる。

 純血種の生まれる原因は未だ不明のままであるがゆえ、純血種は貴重な存在として扱われている。一人でも多くの純血種をと魔女の間では純血種は必ず子供を多くもうけることが推奨され、そのために自らを犠牲にするような風潮がある。しかし実際はどんな相手と子供をもうけようとも、同じ純血種が生まれた例は少ない。その統計は、純血種は偶然の産物であるという裏づけにしかならなかった。


 * * *


“ウルカ。終わったのか?”

 頭に直接響くような声が聞こえ、ウルカは「はぁ」と重たいため息をついて振り返り、ギョッとして固まった。

 ザッと風を切る音がして、ウルカの周りに金色の穂がはためく。地面を蹄が踏みつける小さな音がした他、一切の音を立てず、そこに黄金色の麒麟が着地した。その光景は目を見張るほど美しいものだったが、それを見たのがこんな人目につく場所でなければ純粋に感動しただろう。

「ば……っ、馬鹿じゃないんですか! こんなところでそんな姿で来たりしてッ!」

 派遣先の個人情報の書かれた書類を挟んだボードで今にも殴りかからんばかりの勢いに、ギラフェは髭をくるりとまわした。彼が人間の姿をしていたら、肩をすかしているのだろう。

“乗れ。マザーまで送る”

「何言ってるんですか。馬鹿じゃないんですか? いや、馬鹿ですね。有り得ません」

 きょろきょろとあたりを見回すが、幸運なことにその路地を使おうと思った人間はいなかったらしい。ウルカは安堵のため息をついたものの、すぐに気を取り戻す。

「今すぐにここから立ち去るか、さもなければ擬態化してください」

 有無を言わさぬ勢いに負け、ギラフェはしょぼんと髭を垂らす。次の瞬間、そこにあった金色の巨体は消え、体格のいい金髪の男がそこに立っていた。

 魔女であるウルカのほっそりとした姿と並べると、まるで男女のように差がある。ウルカはムッとした表情で擬態化した金髪の男を見やった。

「何しに来たんですか」

「ウルカを迎えに来た」

「誰が頼みましたかそんなこと」

 冷徹に切って捨てると、ギラフェは一瞬ひるんだ様子を見せたものの、懲りていない顔で首を横に振る。

「仕事の邪魔はしていないだろ」

「充分邪魔になっているように見えるがね」

 第三者の声が聞こえ、ギラフェは半ば大げさな動きで振り返った。丁度彼の背後に不思議な光沢を放つ黒髪に、光を通さない闇の瞳の男が音も気配もなく佇んでいた。

 彼は害のなさそうな微笑みを浮かべたまま、魔女と麒麟へと近づく。ギラフェは傍目にも警戒した様子でウルカを背後に守るようにして身体の位置をずらした。

「誰だアンタ」

 黒髪の男はおやと片眉を上げ、身体を動かしてギラフェの身体越しにウルカを見遣る。その視線に気づいた魔女はやれやれと首を横に振り、持ったボードでギラフェの肩を叩いた。しかし、ギラフェは全身から警戒した気配を発したまま、首を横に振ってウルカを押しとどめようとする。

「ギラフェ。あなたじゃあれには敵いませんよ」

「確かに、こんな麒麟の小僧に負けるほどわたしも弱くはないだろう」

 麒麟は本来争いを嫌う性格をしている。しかし、ギラフェは麒麟族を追放され、単独で行動をしている立場であるせいか、時々こうして好戦的な一面を垣間見せる。

 しかし、麒麟が争いを好まないのは不動の事実だが、彼らとて何が何でも戦わないわけではない。ただ戦う行為が好きではないだけの話だ。戦う他に手段がなくなれば、いくら温厚な麒麟であっても争うことはある。歴史的に見てもそうなったことは一度あったかなかったかというところだが、戦いの際に麒麟がどのような能力を発揮したかは伝説のようにして語り継がれている。

 こんな人目につきやすい路地でけんかなど初めて欲しくなかったウルカは、挑発するような発言を入れる黒髪の男に一瞥くれ、ギラフェの肩に今度は直接触れた。

「ギラフェ」

 力の補給以外で誰かに触れることをしないウルカが触れたという事実に驚いたギラフェがバッと大げさな勢いで振り返る。触れた指先から純粋な力がギラフェの身体に流れたことによって、物理的な距離以上にウルカの存在が近くに感じられていた。ギラフェは動揺のあまり目を見開いてウルカを見つめる。

 ウルカは自分が触れると相手がどう感じるかを理解していたが、大げさなギラフェの行動に些か不愉快な顔で眉を顰めた。

「彼は世界蛇のスミハです。私の保護者ですよ」

「保護者? それは酷いな。もっとほかに言い方があるだろう、ウルカ」

 スミハはクスクスと別段怒っているわけでもなく、むしろ楽しそうな様子で指摘する。ウルカは調子に乗るなという顔で彼を一瞥したが、言い直しはしなかった。

「……ウロボロスか?」

 疑うような、驚いているような小さな声でボソッと呟いたギラフェに、スミハの黒い瞳が向く。

 真っ向から見ると真っ黒で光の入らないその瞳は、じっと見入っていると引き込まれてしまいそうになる。その目がどんな光も通さず、どんな光景も写すことがないのはあまり知られていない事実だ。

「ウロボロスというのは世界蛇の始祖の名だ。わたしはスミハ。で? 君は?」

 ゆっくりと喋るような口調は、スミハの特徴だ。彼ら世界蛇は特殊な時間の流れに生きているため、他の種族と交流を持つ際は彼らのほうが他種族に合わせる形で表に出る。そのため、世界蛇は多種族と交流をあまり持たない。

「オレは麒麟族のギラフェ。本当に世界蛇なのか?」

 スミハはにやりと口を笑わせ、肩をすかしてウルカを見遣った。真実は彼が知っているとでも言うかのように。ギラフェは素直にウルカを振り返るが、ウルカは面倒くさそうに顔をゆがめただけで、わざわざ親切に説明してあげようとは露も思っていなさそうな顔つきだ。

 ギラフェは少し困ったように再びスミハを見遣る。しかし、スミハも首を傾げるだけで答える気はなさそうだ。

「……とにかく、私はマザーに戻ります。何度も言うようですが、私は絶対にあなたの背に跨る気はありませんよ」

 釘を刺すというよりはもう杭を刺すぐらいの勢いで警告をするウルカの表情は真剣そのもので、その言葉が絶対に嘘ではないことが伝わる。ギラフェは不満そうに口を尖らせたものの、のどまででかかった不平不満はかろうじて飲み込んだ。

 許可を得るようにしてスミハへと視線を向けたウルカは、スミハがちょいちょいと手招きしていることに気づき、何かといぶかしむ表情が浮かぶ。

「少し力を分けてくれるかね」

 その言葉とそれを発した人物の頭を疑うような顔をしたウルカだったが、そんなことおくびも気にせず、スミハは二歩前に進んで彼との距離を詰める。

 その間にギラフェがいたが、スミハは一向に気にしている様子はない。彼が気にしなくともギラフェの方が嫌そうな顔をしているが、そんな瑣末事に気づくスミハではない。

「あなたには必要ないでしょう?」

「どうかな。君の力は心地よいからね」

「それだけの理由ですか」

「それじゃいけないかね?」

 はあと嫌味なように呆れたため息をつくが、それを相手が嫌味と受け取っていないのは重々承知の上だ。

 ウルカが面倒くさそうにスミハへと近づくと、その間に立っていたギラフェが慌てた様子でそれを遮る。その顔には疑問がいくつも貼り付けてあったが、そのどれもがウルカにとって答えるのが「面倒くさい」質問なのは聞かずとも分かっていた。

「ウルカ!」

「はいはい、どいてください。言ったでしょう? スミハは私の保護者なんです。彼の言うことには一応従わなければならないんですよ」

 彼にとっての保護者がどういう意味を持つのか知らないギラフェにそれを言ったところで理解できないのは分かっていたが、ウルカはそれ以上説明する気はなかった。

 いちいち知り合いとの関係を説明していては埒が明かない。知りたければ自分で調べたり聞いたりすればいいだけのこと。わざわざ教えてあげるほど彼は親切ではなかった。

「保護者って……、もう保護してもらうような立場じゃないだろ」

「君は本当に無知だねぇ、麒麟の坊や」

 心底馬鹿にしたように聞こえる声に、ギラフェは相手を射殺さんばかりの鋭い視線をスミハへ向けた。しかしスミハはけらけらとギラフェを笑い飛ばす。

「オレは二世紀以上生きてる。坊やと言われる筋合いはない」

「いきがっちゃって。わたしにしてみれば充分坊やさ。世界蛇がどんなものか知らないとは言わせないよ?」

 魔女の平均寿命は人間とそう大差ない。しかし、幻想生物や超自然生物はその種類によって異なるものの、長命の者が多い。

 ギラフェやスミハにしてみればウルカなど子供も同然の年齢だったが、今のこの状況を見る限り、一番冷静で一番大人な態度なのはウルカだ。彼に言わせれば、長命の種族は長く生きる分、精神面の成長が遅い。だから話をしていても埒が明かないことがままある。ゆえに、無視するのが一番手っ取り早い。

「本当に世界蛇かどうかも怪しいもんだ。虹蛇とかじゃないのか?」

「ほぅ。わたしに喧嘩を売るとはいい度胸だね。その度胸は褒めてあげよう、坊や」

 世界蛇はその名は広く知られているものの、その実態がどんなものかを知っている者はほとんどいない。それもそのはずで、世界蛇自体が表に出てこないのだから噂以上のことが広まることはなかった。噂は尾ひれがついて広まったが、当の世界蛇たちはそんなささやかなことなど気にも留めなかった。

 実際、世界蛇がどういうものかを知っている者は、彼らを知っている者以外にはいない。ウルカはその数少ない理解者の一人だが、彼とてすべてを知っているわけではなかった。

「止めてください。争いを好まない麒麟と、世界の平穏を望む世界蛇が争ってどうするつもりですか」

 言いながら苛々してきたのか、語尾に悪態がついたものの、それはかろうじて声を飲み込み、口の中でモゴモゴ言うだけに留まる。

 叱られたギラフェとスミハは互いに似たような表情でウルカを見遣り、好戦的だった雰囲気が一気に萎む。争いの原因である本人に怒られてしまっては二人ともやる気がなくなるのも当然だ。怒られても尚争い続けていれば、嫌われるのは必死だ。

「ギラフェ、あなたは目立たないようにして帰ってください。私はスミハを養ったら自力でマザーへ戻りますから」

 そう言いながら無造作に片手をスミハに差し出すその姿に色気など一切ない。

 あくまで力を与えるのは仕事であり、事務的な動きだ。魔女によってはまるで性行為かと思うほど濃密な力の授受があるが、ウルカにそれを求めれば即座に切り捨てられる。彼にとっては性行為と力の授受はまったくの別物なのだ。

 スミハは仕方ないなとばかりに苦笑し、その差し出された手を恭しく取り上げる。そのままそれを口の高さまで持ち上げると、その甲に優しく口付けを落とす。

「おいっ!」

 見せ付けるようなスミハの行為に、まんまと引っかかってギラフェが声を荒げる。ウルカは苛立ちを隠そうともせず、青筋の立った顔ににっこりと笑みを浮かべ、ギラフェに一瞥をくれてからスミハを見遣った。

「スミハ」

「うん、いいね。ウルカの力は気持ちがいい」

 ウルカが怒っているのは分かっていただろうが、わざとそれを無視してニヤニヤと彼の濃緑の瞳を見つめる。すると、スミハの闇の瞳のふちからじわじわと銀の輪が浮かんでくる。その光景は異様そのものだったが、過去に何度か見たことの在るウルカは一切の動揺を見せない。

「ふざけるのもいい加減にして頂けますか?」

「ふざけているわけではないのだがね」

 握られている手を引っ張ると、スミハはあっさりとそれを離した。しかしその黒に銀の輪のかかった瞳に変化はなく、数度瞬きをしたスミハはその瞳をギラフェに向けた。

 銀の輪の瞳に見つめられたギラフェは、一瞬その威圧に気圧される。先ほどまではいくら見られようともどうとも思わなかったのに、ウルカから力を得た途端、驚くほどの威圧感が感じられた。

「なんだ。追放されたと聞いていたからみすぼらしい身なりをしているのかと思ったが、意外と綺麗じゃないか。これは黄金色か?」

「え? アンタ……、見えてなかったのか?」

 ニヤニヤと笑みを浮かべているスミハはおやと眉を上げてウルカに視線をくれる。ウルカはポケットからマザーツリーの枝を取り出しているところだったが、その視線に気づいて面倒くさそうにため息をつく。

「世界蛇は存在している次元が異なるんですよ。我々の世界のものを見ようとしたら、この世界の力を得なくてはなりません。今は私が力を与えましたから、一時的に見えるようになったんです」

 寝耳に水状態のギラフェはキョトンとした顔できょろきょろと事情が分かっている二人を交互に見遣る。そのどちらかが分かるように説明してくれるだろうと思っているのだろうが、ウルカは面倒くさそうな顔つきで、スミハはニコニコとして説明する気はなさそうだ。

 ウルカが持っていた枝を振り上げ、ギラフェがそちらに注目する。しかしウルカは彼の気体に満ちた視線を無視して枝に乗り、重力などないかのように軽やかに宙に舞った。明らかにもう答える気はないらしい。

「詳しい話が聞きたければ、スミハに直接尋ねれば答えてくれますよ」

 そう教えてくれたところで、ギラフェがスミハに対して素直に疑問をぶつけるとは傍目にも思えなかった。分かっていながらそう言ったウルカの嫌がらせだということには、ギラフェであっても気がついただろう。

 二人の超自然生命の見上げる位置まで上昇したウルカは、チラリとだけ彼らを見下し、彼らのどちらかと目が合わないうちにその目を上空へ向けた。

「ったく。こんなことに時間を使わなくても……」

 その魔女の不満の呟きは、聞こえていた者が反応を返す前に、当の本人と共に消えて見えなくなってしまっていた。

 振り返りも挨拶もなしに飛び立った魔女を驚き半分、納得半分で見送っていた黄金色の麒麟は、しばらくそうしていたものの、やり場なく視線を残されたもう一人の男へ向けた。

 不思議な光沢を放つ黒髪に、漆黒に銀の輪を頂く瞳の男は、その視線が向けられるのを当然のように受け止める。その顔には微笑が浮かんでいたが、彼が何を考え、何を思っているのかを読むことは出来なかった。

「昔話をするのは吝かではないがね、麒麟の坊や。わたしは君には興味がないよ」

 心外だとばかりに驚いた顔をしたギラフェを意地が悪いニヤニヤとした笑顔で迎えるスミハ。その反応を期待しての冗談だということにギラフェが気づいた時にはすでにスミハは満足げな顔をしていた。

 まんまと喰わされている状態が気に喰わないのか、ギラフェはその金の穂の眉を寄せ、不満もあらわに口を尖らせる。

「アンタに興味を持たれるなんて想像しただけでもゾッとする」

 悔しさから言い返したのだろうが、それさえも今のスミハを喜ばせる。ギラフェの眉の間に深いしわが刻まれた。

「面白いねぇ。さすが、あの子の魅力に気づいただけある」

 口を開いたら文句しか出ないのが分かっているのか、ギラフェは不満もあらわな顔をしながらもむっつりと口を閉じている。体格のいい彼がそうした態度にでていると、ひょろりとした印象を与えるスミハでは完全に分が悪そうだ。

 しかし、口でスミハに勝てる者はそうそういない。それに加え、幻想生物は擬態している姿がすべてではないことは本人らが一番良く承知している。外見で相手を舐めてかかれば、後悔するのは決まって自分だ。

「君は一族からはぐれているようだし? 話し相手が欲しくなったら呼ぶといい。わたしはいつでもどこにでもいる。暇つぶしなら付き合ってあげよう」

 そんなものは不要だとのどまで出かかったギラフェだったが、ちらりと見遣ったスミハの瞳から銀の輪が黒の闇に侵食されるように消えていくのを目撃し、ショックで硬直した。

 ウルカの力は天然の力だ。その力を分け与えられれば、普通の魔女に力の授受をしてもらったとき以上にその力は長続きする。

 ギラフェはマザーの土地から得た力で補給しているからどうと比較することが出来るわけではなかったが、他の魔女の話によれば、ウルカの力は通常の魔女の力の二倍近い保有率があるという。

 それなのに、直接ウルカから得た力を持ってしても、スミハの視力は十分ともたない。その事実にギラフェはショックを受けていた。

 クスクスという笑い声に、ギラフェははっとショック状態から我に返る。スミハは真っ暗闇になった瞳をニッと細めて笑う。

「面白いね、君。麒麟族らしくないとよく言われただろう?」

「余計なお世話だ」

 散々同族から責められ、とうとう追い出された過去を持つギラフェは心の底から嫌そうな声を発した。それさえもスミハを喜ばせるだけだったが、ギラフェはそう言わずにはいられなかった。

「うん、わたしはその方が好きだね。麒麟はどうも……、保守的過ぎるのだよ」

 世界の動向に興味を示さず、ただ異次元から世界を見守るだけの世界蛇が何を言うのかという疑いがギラフェの顔に露骨に表れた。しかしスミハはそんなこと見えないとばかりに無視し、ニコニコと笑む。

「やはりあの子は面白い。あの子の元には、君のような者が集まるのだからね」

 その言葉になにかひっかかるものを感じたギラフェは探るような目で彼を見遣ったが、その食えない笑みの中からは表面上に乗っかる感情以外、見えるものはなにもなかった。そもそも、幻想のような擬態で相手の本心を探ろうなんて無駄な話だった。

「ではそろそろわたしも帰ろう。君は精々、目立たないように帰るといい」

 くるりと踵を返し、路地の影へ歩き始めるスミハ。ギラフェはその背中を見ていれば彼の本心が見えるのではないかというほどにその背中を見つめていた。その突き刺さるような視線が痛かったのか、スミハはクルッと顔をこちらに向けると、片手を上げてひらひらと手を振った。

「また今度」

 言いながらまた一歩後ろに下がると、そこにあった建物の影に溶け入るかのごとく、その姿が闇に消えてなくなる。スミハはただこの次元における擬似的な姿を消しただけだったが、その演出は彼の狙い通りの効果を発揮していた。

 闇に溶けて消えたスミハの姿を目を丸くして見送ったギラフェは、しばらくその闇を見つめていたが、やがてスミハに言われた言葉を思い出し、路地に誰か目撃者がいないかときょろきょろと顔を巡らせた。

 そこにいるのが自分ひとりだと分かると、彼はふうっと緊張していた身体から空気を吐き出し、ぶらぶらと大通りに向かって歩き出した。

 彼の居場所はマザーでも麒麟族の住まう土地でもなく、この人間のいる文明社会だ。


<了>

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