聖桜学院、入学の日
pixivで長いこと二次創作を書いていましたが、心機一転、自分で作品を作ってみようと思い、描きはじめました。よろしくお願いします。
桜というのは、どうしてこんなに潔いのだろう。
咲いたと思えばすぐ散る。散るとわかっていても、見る者の足を止める。
わたくしは昇降口の前で立ち止まり、校門沿いに並ぶ桜並木を見上げた。四月の朝の空気は、まだ少し冷たい。風が吹くたびに花びらが舞い、わたくしの金髪にぱらぱらと降り積もる。
はらって、また仰ぐ。
(……本当に、きれいだな)
前世、斉藤昌として生きた十六年間に、こういう景色を見た記憶がない。病院の窓から空の切れ端を眺めることはあった。でも、桜並木の下を歩くことは、ついぞなかった。
それが今は、こうして、脚で踏みしめた地面の感触とともにある。
制服の裾を揺らす風。ざわめく生徒たち。輝いている朝。
(聖桜学園高校、入学式。俺の高校生活、開幕だ)
内心でこっそり拳を握った瞬間、背後から声がかかった。
「アリス」
聞き慣れた声。低くて、少し素っ気ない。
振り返ると、黒髪の少年が立っていた。制服は皺ひとつなく、背筋はまっすぐで、けれどその顔に笑みはない。神崎零。わたくしの許嫁であり、幼馴染であり、この乙女ゲーム『桜の花嫁と花婿たち』における、メインの攻略対象だ。
「零」
わたくしは口角を上げ、令嬢らしい微笑みをつくる。十六年間をかけてアリスの身体に馴染んだこの顔は、意識しなくてもそれなりに様になるらしい。
「立ち止まって何をしてたんだ」
「桜を見ていましたわ。何か問題でも?」
「……いや」
零は短く答え、わたくしの隣に並んだ。それきり黙る。これが神崎零という人間の平常運転だ。無口、無愛想、近寄りがたい在校生のあいだではそういう評判だと、事前情報として頭に入っている。
でも俺は知っている。
この男が、幼馴染の前でだけ、ちょっと口が軽くなることを。
「……花びら、乗ってるぞ」
零がわたくしの頭を指した。
「あら」
「取るか?」
「結構ですわ。自分でできます」
手を伸ばしかけたところで、零がさっと手を上げ、わたくしの頭から花びらをひとつはらった。さらりと、何でもないように。
(こういうとこが、厄介なんだよな、この男は)
ゲームの中では「クールで気づかい上手な幼馴染キャラ」として人気を誇っていた。攻略難易度は高め、でもハマったプレイヤーが多い。前世の俺も、何度もそのルートを見た。そのたびに思ったこんな男が現実にいるわけないと。
だが今は違う、いる。
リアルに、目の前に。
「……入るぞ」と零が言い、先に昇降口へ向かう。わたくしはその背中を見送りながら、静かに息を整えた。
(落ち着け、アリス。これはゲームだ。俺にはやるべきことがある)
目標は二つ。
一、破滅ルートの回避。
二、普通の学生生活を静かに謳歌すること。
ゲームの筋書きでは、アリスは零を独占しようとヒロインに嫌がらせを繰り返し、最終的に婚約破棄・学園追放という結末を迎える。だが俺にその気はさらさらない。むしろ逆だ、零にはさっさとヒロインと仲良くなってもらって、婚約破棄の「動機」そのものを消してしまえばいい。
アリスがヒロインを虐めなければ、零がヒロインに惹かれても、婚約破棄の「大義名分」がなくなる。ゲームのシナリオは「悪役令嬢の横暴」があってこそ成立する。だから俺がおとなしくしていれば
計画は、シンプルだ。
(ヒロインを、零に推す)
問題は、そのヒロインにまだ会っていないことだが。
入学式は、つつがなく終わった。
在校生代表の挨拶、校長の話、来賓のスピーチ。俺の意識は途中から「普通の入学式ってこんな感じか」というしみじみとした感慨に占領されていた。式典というものに出たことがなかった。卒業式も、文化祭も、体育祭も。ぜんぶ、テレビかゲームか小説の中の話だった。
(……俺、今、入学式にいる)
隣の席の女子が小声でしゃべっているのが聞こえる。前の席の男子が退屈そうに爪を見ている。普通だ。どこまでも普通の光景で、なのになぜか、目頭が熱い。
(やめろ、泣くな。令嬢が式典で泣いたら目立つ)
ぐっとこらえて、正面を向く。
式が終わり、クラスに移動する流れの中で、わたくしはそれを見つけた。
廊下の掲示板の前で立ち止まっている女子生徒。黒髪のロングヘア、柔らかそうな目元、ちょっと心細そうにクラス分けの紙を見上げている。
(……いた)
白峰みお。ゲームのメインヒロイン。清純派、心優しい、誰にでも分け隔てない、攻略対象たちが次々と惹かれていく、この物語の中心人物。
俺の計画の、最重要人物でもある。
「あの、ちょっとよろしくて?」
気づいたら歩み寄っていた。みおが振り返る。間近で見ると、目がまるい。ちょっと驚いた顔をしている。そりゃそうだ、金髪縦ロールのド派手な髪型な奴が突然声をかけてきたら、びっくりするだろう。
「……は、はい」
「クラスを探していますの? わたくしは一年A組。あなたは?」
「あ、わたしも、A組、です」
「まあ」
わたくしは微笑んだ。令嬢スマイルではなく、もう少し柔らかいやつを意識して。
「では同じクラスですわね。よろしく、白峰みおさん」
みおが目を丸くする。「名前、知ってるんですか」と聞いてくる。
「入学者名簿に載っていましたわ」
嘘だ。ゲームで覚えていた。でもそれは言えない。
「一条アリスと申します。以後、お見知り置きを」
みおは一瞬きょとんとして、それからふわっと笑った。
「……よろしくお願いします、アリスさん」
(よし。ファーストコンタクト、成功)
内心でガッツポーズをした。ゲームでは、アリスはみおとの出会いの場面でさっそく嫌がらせをするのだが、俺はそんなことをする気は一ミリもない。むしろここから友好関係を築いて、零との接点を自然につくる。
完璧な計画だ。
「一条さん、あの……」とみおが少し遠慮がちに言う。「零くん、って、神崎零くん、と、幼馴染なんですよね」
「ええ、そうですけれど」
「わたし、小学校のとき同じクラスで……それで少し気になってて。ご迷惑じゃなければ、今度一緒に話しかけてもらえませんか」
(……え)
(え?)
(こっちからお膳立てしようとしてたのに、むこうから言ってくれた?)
(神は俺の味方か)
「もちろんですわ」と、わたくしは余裕の微笑みで答えた。「零とは幼馴染ですから、紹介ぐらいお安いもの」
「ありがとうございます!」
みおが嬉しそうに笑う。あの、ゲームで何度も見た笑顔だ。「主人公オーラ」というのがあるとしたら、こういうことを言うのだろうと思った。自然と周囲を明るくする、引力みたいなもの。
(これは零も惹かれるわけだ)
心の中で、静かに頷く。
計画は順調だ。零とみおの関係を後押しして、自分は婚約破棄の危機から遠ざかり、穏やかな高校生活を送る。前世で叶わなかった「普通の学生生活」を、静かに、ひっそりと、謳歌する。
それだけでいい。
それだけで十分だ。
教室に入ると、零はすでに窓際の席に座っていた。
クラスメイトが話しかけようとして、その雰囲気に気圧されて引き返している。あー、と俺は思う。確かにこれは近寄りがたい。真顔で外を眺めていると、彫刻みたいな見目がいっそう際立って、「話しかけていいのかこれ」という空気をまとっている。
俺はみおを連れて近づいた。
「零、こちら白峰みおさん。同じクラスです」
零が顔を上げる。みおを見て、次にわたくしを見る。
「……知り合いか」
「今しがた。零とは小学校が同じだそうですわ」
「ああ」
零はみおの方を向いた。「白峰か。覚えてるぞ、理科の実験で組んだな」
「覚えててくれたんですね!」とみおが明るく言う。「よかった、覚えてないかなって思って」
「忘れるか」
短いけれど、零の口調が少しだけ和らいだ。俺は横でそれを観察しながら、(ふむ)と頷く。
良い感じだ。会話が続いている。
わたくしがここで一歩引けば、自然と二人の距離が縮まる、そう算段して、「それではわたくしは席に参りますわ」と踵を返しかけたとき。
「お前はどこだ」
零の声。
「……え?」
「席。どこに座るんだ」
「ああ」わたくしは手元の名簿に目を落とした。「二列目の、三番ですわ」
「俺の前か」
「……そうなりますわね」
零はそうか、と言って、また窓の外に視線を戻した。特に何の感想もない様子だ。
なのになぜか俺は、少しだけ、居心地が悪い。
(……別に、何でもない。幼馴染として声をかけただけだ)
自分に言い聞かせながら、指定された席に座る。
正面の黒板には、「ようこそ聖桜学園へ」と書かれていた。先生が入ってきて、がやがやとしたクラスが静まる。
わたくしは前を向いて、背筋を伸ばして、ちゃんと先生の話を聞いた。
高校生活、一日目。
(俺の計画は、完璧だ)
そう思いながら、どうしてか、ほんの少しだけ、零の声が頭の中で繰り返されていた。
お前はどこだ。
どこに座るんだ。
(……気のせいだ)
桜が、また窓の外で散っていた。




