6、なぜか昇進候補にされる
ダンジョン管理課の朝は早い。
でも私は、そこまで早くなくてもいいと思っている。なぜなら、私は“新人”だから。
新人というのは、もっとこう、保護されるべき存在のはずだ。まだ“新しい”んだから。
新しいものは、大切に、そっと扱われるべきだ。たとえば陶器とか、契約書とか、あと生まれたてのスライムとか。
そんなわけで、私は今日も始業ぴったりに出勤した。
ちょうどいい。出過ぎず、怠けすぎず、慎ましく真面目に。
つまり私の出勤姿勢はとても優秀、ということになる。
……と思っていたら、事務棟の壁が一部崩れていた。
白煙がふわふわと立ち上り、レンガがぺたんと床に座り込んでいる。
うん、いつものことだ。
私たちの職場は、たまにこうして物理的に崩れる。たぶん職場のストレスが建物に出てるんだと思う。
でも、ちょっとくらい崩れているほうが味があるし、むしろ人は育つ。完璧な環境では誰もが甘えてしまうから。きっとそう。
通路の奥から、スーツ姿の人影が小走りでこちらに近づいてきた。
見覚えがない顔。髪がうっすら逆立っていて、目が据わっている。寝不足か、何かを諦めた顔だ。
人事担当……かな? いや、現場崩壊担当かもしれない。そんな部署があるのか知らないけど、あっても驚かない。
「リュカ=ミラライトさんですね!? 今すぐ人事会議へ!」
声が大きい。響き渡った。壁の崩れた部分が、少し余韻でガラガラした。
何もしていないのに会議に呼ばれるとは、私はかなり信頼されているらしい。ありがたい話だ。
信頼とは、日々の地道な積み重ねの賜物である。
私はあまり積んだ記憶がないけど……無意識に積んでいたのかもしれない。無意識の私、がんばったな。
⸻
会議室は、静かに、しかし確かに騒がしかった。
紙が空を舞い、魔導端末が小刻みに点滅している。
人事課、記録課、経理課、上層部らしき人たちが、誰も言葉を発せずに、ものすごい速さでまばたきをしていた。
会議室中央のスクリーンには、なにやら見慣れない一覧表が映っていた。
タイトルはこう。
『支部運営実績・指揮官別統括表(緊急補完版)』
嫌な予感がした。
表の一番上に、でかでかと私の名前があった。
「統括責任者: リュカ=ミラライト」
その下には、立派なキャリアを持つ先輩方の名前が、綺麗に並んでいる。まるで私の部下みたいに。
「……どういうことだこれは」
額を押さえた人事課長が、魔導ペンで私の名前を指しながら呻いた。
ちょっと震えている。指が。
「この支部を、あなたが……まとめていたと?」
言われてみれば、たしかに。表だけ見ればそういうことになる。
過去のあらゆるログをみてみたけど、すべて「リュカの指示による行動」になっていた。
思い当たる節はない。けれど私は優秀なので、無意識のうちに現場を指揮していた可能性は否定できない。
だから、とりあえず肯定しておくことにした。
「はい、頑張りました」
空気が、止まった。
音も、光も、一瞬だけ静止した。みんなの目が、じっと私に向けられる。
……ああ、これはたぶん、私の才能に驚いている顔だ。
人は本物の逸材に出会うと言葉を失うという。私はよく人にそう言う反応をされるから、よく知っている。
⸻
気がついたら会議は終わっていた。
机の上には、見慣れない書類がぽつんと置かれていた。
「昇進候補・一次評価」
手書きの丸印が、やけに丁寧だった。たぶん誰かが悩んだ末に書いたのだろう。
廊下に出ると、別部署の人たちがこそこそ話していた。
「例の新人、支部長代理候補に上がってるらしいぞ」
「何をどうしたらああなるんだ……」
「でもログが全部“彼女の指示”になってるんだよ……上も何も言えないってさ」
「誰だよ、あいつを統括責任者に登録したやつ……」
まったく、その通りだと思う。
責任というのは軽はずみに持たせてはいけない。
でも私が持つなら、それはそれで世界がちょっと面白くなる気がする。
お祝い用の菓子折りがテーブルにぽつんと置かれていた。
誰がくれたのかはわからないけれど、ありがたく受け取った。
中身は羊羹だった。やわらかくて甘くて、ちょっと塩気があって、なぜかほっとした。
明日も真面目にがんばろう。
起きられたら。
そして、また誰かの意図せぬ“統括”にならないように祈っておこうと思う。
おやすみなさい。