5、定時退勤、英雄扱いされる
今日も一日、定時までがんばった。
誰がなんと言おうと、私はしっかり働いたと思う。
具体的には──
休憩室でコーヒーを飲んでいたら、昼を過ぎていて、気づいたときには夕方になっていた。
時の流れは早い。働き者の時計に、私はいつも置いていかれてしまう。
後で聞いた話によると、休憩中に魔力探知装置のエラー音が鳴っていたらしい。どうやら私は、それを子守唄にして眠ってしまっていたようだ。
私は環境への順応が早い。どんな状況でも眠れるというのはひとつの才能だ。
適応力は社会人の武器。私は今日も武装していたわけだ。よしよし。
さて、帰ろう。
“帰る”という行為は現代社会において数少ない絶対正義だ。
たとえ空が割れ、魔王軍が総攻撃を仕掛けていようと、私は残業だけは断固拒否する。
時間厳守。私は真面目だから。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、見慣れた風景の中にひとつだけ変化があった。
いつもは閉まっているはずの扉が、今日はぽっかりと開いていた。
「新しく導線が整備されたのかな」
組織改革。職場改善。素晴らしい。
現場の声に耳を傾ける上層部の姿勢がうかがえる。ありがたい話だ。
私は迷わず、その扉に入った。変化には前向きに応じていきたい。これは社会人としての基本姿勢だと思う。
扉の向こうは、青白く光っていた。やたらと幻想的だ。
床には主張の激しい魔法陣が描かれていて、よく見ると『緊急転送口』という文字が浮かんでいた。
「ふむ」
たぶん、観光用だ。最近のダンジョンは体験型のPRブースが多いと聞いた。
私は社会との接点にやや疎いので、こういう“現場型イベント”には積極的に参加したい。
アンテナは高く、足取りは軽く。社会人のあるべき姿だと思う。
そして転送の光に包まれ、気づいたときには、薄暗い洞窟にいた。
──というか、ゴミ屋敷だった。
床には黒ずんだ魔石が転がり、空気はどこかぬめっとして、重たい。
古びた魔道具や砕けた防具、謎の粘液などもそこかしこに散らばっている。
一言で言うなら、ひどく汚かった。けれど、私は思った。
やりがいがある。
掃除対象があるというのは、幸せなことだ。
誰かが手を入れなければ、世界はすぐに荒れてしまう。
だから私は真面目に、整理をしようと足を踏み出した。
──その瞬間、何かにつまずいた。
前のめりに転びかけて、踏んでしまった。
床にあった黒ずんだ魔石を、思いきり。
ぷちっ。
嫌な音がした。直後、地面が低く唸った。
壁が震え、天井から砂がざらざらと降ってくる。
地鳴り。空気の圧が変わる。たぶん、何か大きな仕組みが壊れた。
だが、私は動じない。
大人は騒がない。冷静さは信頼の源だ。
その場で静かに立ち尽くす私の前で、床の魔法陣が再起動し、帰還用のゲートが開いた。
便利な職場だ。帰り道が自動で用意されるのは、働く者に対する優しさだと思う。
私は、ほんのり誇らしい気持ちで帰還した。
⸻
翌朝。支部の食堂は、少しだけざわついていた。
「マジで魔王軍の前線拠点、吹っ飛んだらしいぞ……」
「単独で踏破って、どういうことだよ……」
「戦果報告に名前出てたぞ。見ろこれ」
差し出された報告書を見たら、ちゃんと載っていた。
【戦功者:リュカ=ミラライト】
どうやら私は英雄になっていたらしい。
「転送先がちょっと汚かっただけです。踏んだら静かになったので、整理して帰りました」
そう説明したら、支部長が目頭を押さえていた。
感動しているようだった。やはり、日々真面目に働いている姿は誰かの心を打つのだと思う。
その後、臨時の報奨金が支給された。やった。
私はその足で、食堂のチーズパンを2個買った。ひとつは今食べて、もうひとつは午後のご褒美用に。
今日はちょっと贅沢な日だ。
こうして、今日も無事に定時退勤。
世界は、たぶん少し平和になった。私のおかげで。
私は今日もはなまる満点だった。