37、実家に帰省した
今日は休暇を取って、久しぶりに実家へ帰った。
理由は特にない。あえて言うなら、職場の空気が少しざわざわしていたから。
「世界の繊維がちょっとほつれた」とか、「異次元接触指数がまた跳ねた」とか、広報課の人たちが、眉間にシワを寄せて騒ぎ始めたあたりで、なんとなく「今、逃げておくのが正解な気がする」と直感が言った。
私の勘は大体当たる。
あと、冷凍餃子の在庫が切れた。これが決定打。
両親には連絡していない。ちょっとしたサプライズ心である。
私を愛してやまない両親は、突然の帰省にきっと泣いて喜ぶに違いない。これは親孝行。
──という確信のもと、実家の玄関を開けた。
⸻
「ただいま」
言うと同時に、味噌と煮物が混ざったような、懐かしい匂いが鼻に抜けた。
その瞬間、「ああ、帰ってきたんだな」とちょっとだけセンチメンタルになった。けど、それはほんの一瞬だった。
「クビになった!?」
鬼の形相でエプロン姿の母が包丁片手に飛び出してきた。
開口一番、それ。私の情緒は3秒で切り替えを強いられた。
どうやら、無連絡で帰ってきた=職を失って実家に逃げてきた、という方程式が完成したらしい。
親という生き物は、子のキャリアに敏感だ。
「なってません。冷凍餃子の在庫が切れたから帰ってきました」
そう言うと、母はふぅと肩の力を抜いて、包丁を持ったまま踵を返した。
「なんだ、よかったわ。またニートになられるのかと思った」
あのテンション差はなんだったのか。
泣き崩れる姿は見られなかった。当てが外れた。
⸻
家でゴロゴロしていると、ちょうど父が帰ってきた。玄関で靴を脱ぐ音がいつもより乱れていたので、「あ、これもクビネタ来るな」と予測できた。結果、当たり。
「クビになったのか?」
「いや」
父は私の短い返答に満足したのか、そのまま新聞と一緒に自室へ吸い込まれていった。
泣き崩れてくれないあたり、サプライズとしては連敗。
⸻
昼。実家のちゃぶ台で、三人で食卓を囲んだ。
出てきた煮物は、相変わらず“やや濃いめ”の実家クオリティ。薄味派の私には少し強いけど、これはこれで馴染んでいる。
「で、どうなの。職場」
母の問い。口調にじんわりと滲む「どうせまた何かやらかしてるでしょ」感。
さすがにちょっとムッとしたので、多少話を盛って返してみた。
「大活躍してます。私がカレーを食べてるだけで魔王軍が降伏して戦争は終わったし、昼寝してるだけで世界を崩壊の危機から救いました。今や私のいない職場なんて想像できないってみんな言ってます」
「話盛りすぎよ」
秒でツッコミ。
さすが、私の育成担当歴20年以上のキャリアを持つ人は違う。
職場のみんなに頼られてるのは本当だけどね。
「楽しくやってるようで何よりだ」
父がぽつりとそう言って、ニヤリと笑った。
ちょっと照れるけど、父に言われると嬉しい。
「お前が公務員なんてお堅そうな職場に馴染めるか、不安だったんだよ。お前は生まれたときから変だったからな」
──来たな、出生話。
何度聞いたか分からないけど、父はこれを語るたびに嬉しそうだから、まあいい。
私はお茶を受け取りながら、ゆっくりと箸を置く。
一種の儀式である。
「お前が生まれたときな、一瞬、空が真っ白になったんだ。音も色も何もかも消えて、時間が止まったみたいで……。助産師さんが『赤ちゃん、呼吸止まってません?』ってめっちゃ慌ててた」
「でもすぐ戻ったから大丈夫だって思ったのよ。赤ちゃんって、だいたい予想外だから」
お茶を一口すする。
世界が一瞬“無”になったのに「だいたい予想外」で片付ける母の平常心、正直すごいと思う。
たぶん、私の適当力の根源はこの二人。
「まあ、とにかく。次に実家に戻ってくるときは、またニートじゃないようにね。そのときは門前払いだから」
母の目が静かに鋭かった。
やはり、過去の私が家庭に残した傷跡は深いらしい。
心の中で、そっと謝っておいた。
⸻
そのあと、近所に住んでる幼なじみのツトムがやってきた。
前触れなく。インターホンも使わず、玄関を開けて「おーい」と声をかけてくるあたり、さすがの実家慣れである。ほぼ家族扱い。
ちなみに、元・ニート仲間。私は更生したけど、彼はたぶん現役続行中。
彼の中では、社会参加とは「週に一度コンビニに行くこと」を指すらしい。定義が甘い。
玄関に顔を出すなり、ツトムはにやっと笑って言った。
「なあ、クビになった?」
また開口一番、それ。しかも少しうれしそう。
これは間違いなく、同族意識から来るニートの血の共鳴。
「なってません。冷凍餃子の在庫が切れたから帰ってきただけです」
「なんだ、残念。……いや、よかったね」
残念とよかったがほぼ同じテンションで並列されていた。
たぶん、職がある私へのジェラシーが3割、心配が2割、残りは適当。
今日は手ぶらかと思ったら、ツトムはなぜか筒状に丸めた紙を携えていた。
広げて見せられたのは──自作の「実家ダンジョン攻略マップ(人物配置つき)」。
「見ろ、これ。俺が総力を挙げて作った“リュカんちマップ”だ」
そう言って、ふすまの上に紙を広げる。ところどころが蛍光ペンで色分けされていた。凝ってる。
「台所は“中ボスエリア”な。敵配置は母。強制会話イベント発生率が高いけど、会話選択肢を間違えると精神ダメージがデカい。あと、煮物はうまい」
「あと廊下。ここ、死角が多すぎて、探索難度SS。クリアリング必須。油断すると角の小棚に小指ぶつけてHP減る」
ツトムが真剣な顔で指差してくるので、私もつい真面目に頷いてしまう。
「おじさんの書斎は……」
「ラスボス部屋ですね」
「さすが。やっぱミラライトさんちの娘は違うわ」
なんの称賛かはわからないが、誉められたようなのでありがたく受け取る。
「一緒にこのダンジョン攻略しようぜ!攻略方法の解説よろしく!」
実家の攻略方法なんて知らないけど、やることもないので頷いておいた。
マップを持ったツトムを先頭に、家の中を探索していく。
「お前んち、まじで廊下に死角多すぎて探索難易度SSだわ」
ツトムがぼやいた。
なるほど。たしかにうちの家、曲がるたびに小棚や植木が配置されていて、見通しは悪い。
「角でしっかりクリアリングするのがコツです」
適当に答えたら、「天才か……」みたいな目で見られた。
こういうところ、昔から可愛い。
ツトムは真剣な顔をしていた。私は静かに湯呑を持ってついていった。
「ここ、罠ポイントあるな。前に箒が倒れてきた記憶が……」
「それ掃除中に母が立てかけてただけ」
そして、ついに“ボス部屋”こと父の書斎に到達。
中では父が昼寝をしていた。いつもどおり、安定の寝落ち。
ツトムは何も言わず、マップの端に「BOSS:SLEEPING」と書き込み、そっとマジックで父の額に「撃破済」と書いていた。
父は起きなかった。
そのあと、ツトムは満足そうにマップを丸めて、ミッション完了の風を装って帰っていった。
なんの成果があったのかは不明だが、彼は嬉しそうだった。
たぶん、それでいいのだと思う。
⸻
夕方、帰る支度をしていたら、母が最後に釘を刺してきた。
「とにかく、周りの人に感謝を忘れないように。あんた、昔からトラブルを呼ぶ体質なんだから」
「大丈夫です。私の人生、だいたいギリギリのとこでうまくいくようにできてるので」
呆れたような顔と、笑ってる顔が並んだ。
「リュカなら大丈夫。体にだけは気をつけろよ」
その言葉に、静かに頷いた。
世界で一番長く見守ってくれている人たちの信頼って、ほんのりあったかい。
⸻
ということで、久しぶりの実家は、特に何も起きず、平和だった。
ちょっと味が濃くて、ちょっと騒がしくて、ちょっと愛情が過剰で──
でも、やっぱり、実家っていいなと思った。
帰り際、冷凍餃子を10個もらった。
今日の勝因はそこにある。目的達成。これにて任務完了。
今夜は焼き餃子で乾杯。たぶん焦がすけど、それもまたよし。




