36、ついに神になるように言われた
午前中、急に雲の上から使者が来た。
何の前触れもなく、空がぱっくり割れて、まぶしい金色の光がドーンと降り注いできた。
それだけでも十分騒ぎだったのに、どこからともなくクラシックっぽい重厚な音楽が鳴り響き、近所の小鳥たちがパニック状態で一斉に飛び立っていった。たぶん音響のボリューム設定を間違えたんだと思う。
そして雲の裂け目から、金ピカのローブをまとった使者が、なぜかスローモーションで降りてきた。脚にはエフェクト付き。たぶん、光の粒が多めに出てた。
「天上評議会より通達。本日付で、あなたを“補助神格”として迎えたい」
と、開口一番に言われた。
……補助神格。
いかにも神話の脚注に出てきそうな役職名だけど、意味はわからない。
とはいえ、こういうときは反射的に「なんかすごいんだな」と思っておけば大体正解だし、だいたいは「それっぽく反応しておけばなんとかなる」というのが私の経験則だった。
ということで、腕を組んで「へえ」と言ってみた。
口調はクールに。ちょっと首をかしげて、考えてます風のポーズ。自分では70点の演技だったと思う。
すると、光る巻物を一つ渡された。どうやら詳細はこれに書いてあるらしい。
巻物の中身は──金色の縁取りと、妙に渋いフォント。そして無駄に格調高い文体。
読みにくさを3倍増しにしてくれる三点セットが揃っていた。
どうにか要点だけ拾った結果、ざっくり言えばこうだった。
「あなた、最近いろいろやってるし、世界安定の中核っぽいので、もういっそ神になってください」
……ということらしい。
加えて最後に、小さく注釈が入っていた。
「なお、終末障壁が最も脆弱化する“終局日”が、まもなく到来予定につき、早急な役職昇格が望ましい」
終局日──それは世界そのものが一度“終わるかもしれない日”。
年に一度、存在そのものの均衡が揺らぐ、最もデリケートなタイミング。
確か、かつて魔王の脅威や神々の気まぐれ、転生者たちの暴走などによってバランスを崩し、この世界は「多次元崩壊フェーズ」へと突入しかけたことがある......って、歴史の授業でやった気がする。
どうやら、またその崩壊の日が来てしまうらしい。
……それって、確か来週じゃなかったっけ。昼休みに支部のホワイトボードに書いてあったような気がする。
つまり私は、知らぬ間に“世界の要”になっていたらしい。
そしてたぶん、“要”として何かしらのピンチに耐える係でもある。
やっぱり私ってば、すごい人間だった。まあ、なんとなく自覚はあったけど。
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神になるという話自体は、ちょっとかっこいいし、否定はしない。
ただ、転職となると話は別だ。
私は慎重な人間なので、まず勤務条件が気になる。
神という肩書に惑わされてはいけない。重要なのは、待遇面。これ、社会人の基本。
「神って……残業、あります?」
使者の眉がぴくりと動いた。
「えっ……?」
「あと、有給とか、健康診断の制度とか……」
「いや、それは……そういった概念とは……」
「なるほど、福利厚生なし、ですね」
光の中で、使者が言葉を詰まらせていた。
おそらく、今までそんな質問をされたことはなかったんだと思う。
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ということで、断った。
だって、勤務条件がはっきりしない職場は、だいたい地雷。
この世界の真理。神格だからって甘く見てはいけない。
それに、もしも引っ越しが必要になったら、植物の環境調整が面倒だし、トコ(ペット)の適応ストレスも無視できない。
あと、私の中で“神”って「無限に悩み相談が舞い込んでくる係」というイメージが強い。
話を聞くのは嫌いじゃないけど、終わりがないのはさすがに困る。
睡眠時間は、私の中で三食の次くらいに大切な要素なのだ。
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使者は、しばらく沈黙していた。
その金の瞳でまばたきもせずに、じっと私を見ていた。ちょっとだけ目がウルウルしてた気がする。たぶん予定になかった展開だったんだと思う。
「……あなた、何を……逃したか、分かっているのか……?」
「はい。わりと分かってます。でも、今の仕事がわりと気に入ってるので」
そう答えたら、使者は静かに頷いて、そっと雲の裂け目に帰っていった。
空が閉じて、クラシック音楽もフェードアウト。小鳥たちが、何もなかったように戻ってきた。
その頃、ケイが缶コーヒーを手に、遠くからぼんやりと見ていた。
「なに、今の……」
「なんか、ヘッドハンティングの話だったみたいです」
「神……って、本当に“神”……?」
「うん。でも残業ありっぽかったので」
「残業基準で辞退するな!!」
ケイが思いきり缶コーヒーを振ったので、ふたが少し吹き飛んだ。
こんなこと言ってるけど、私が転職しないことに心底安心ているに違いない。私にはお見通しだったけど、口には出さない。大人なので。
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たぶん、神になっても、やることは今とそんなに変わらないと思う。
でも、「神だからやれ」と言われた瞬間に、仕事って少しだけつまらなくなる。
今の立場だからこそできることも、たぶんあるはずだ。
それに──
ほんとうの意味で世界を支えているのは、目立たないけど、日々の「変わらなさ」だと私は思っている。
来週、世界が静かに終わりかけるその日も──たぶん私は、朝にパンを焼いて、少し焦がすのだと思う。
そしてそれが、世界の救済条件に、きっとなっている。
……という確信だけは、なぜかある。神様もそんなこと言ってたような気がするし。
あと、実は最後まで迷ってたことが一つある。
「神域トイレって、どこにあるんですか?」って、結局訊けなかった。
あれが確認できてたら、少しだけ気持ちが揺らいでいたかもしれない。
そういうのって、けっこう大事なんだと思う。




