31、私が運動すると世界が壊れるらしい
今日は、空に穴が開いていた。
いや、本当に。
朝、職員食堂でもらった焼きたてパンを、ちぎりながら紅茶と一緒に口に運んでいたところだった。
ちょうどいい感じにバターが染みていて、今日のパン係さんは当たりだな、なんて思っていたら、上の階からやけにざわついた声が聞こえてきた。何かあったのかと、つられて窓の外を見てみる。
──空が、ぺらりとめくれていた。
例えるなら、紙芝居の裏側をうっかり覗いちゃったような、そんな感じ。青空の向こう側に、もう一枚別の層が見えかけているようで、ヒラヒラと揺れていた。見たことない色だった。少し、金属っぽくて、でも柔らかそうな……不思議な質感。
周囲の職員たちも動揺していて、誰かがテーブルを蹴飛ばした音がした。
「次元の裂け目!?」
「いや違う、あれはエラー領域の再表示だ!」
「誰だ、世界設定を巻き戻したのは!?」
一部の人たちは書類を取り落とし、また別の人は魔導端末を乱打しながら叫んでいた。
混乱の渦中、なぜか私のほうを向いて、誰かがこう言った。
「リュカくん、昨日なにか変なことした!?」
……突然の犯人扱いである。まだパン食べてる途中だったんだけどな。
私としては、昨日はいつも通り……むしろ特に何もしていないくらい、穏やかだった。ほとんど昼寝をして過ごした。お気に入りのソファで、ふかふかの毛布にくるまりながら、三回ほど寝落ちした記憶しかない。
うーん。心当たりは、ない。
⸻
午後になって、情報課から呼び出しがかかった。
指定された会議室の扉を開けると、中にはいつもの円卓と、見慣れない紙束が置かれていた。
……というより、紙束というには神々しすぎた。
一枚の大きな羊皮紙が、ふわりと浮かびながら机の中央に固定されていて、紙の端がうっすらと光っている。触れると温かそうな感じすらする。たぶん、あの顔が三つある神様──世界管理をしている高次存在からの“お手紙”だと思う。夢で見た人。
「……リュカさん、この文書を読んでみてください」と、誰かが言った。
「はい」
素直に読み上げる。
「『保守対象:リュカ・ミラライト。世界構造安定用リソースとして現在も活性中。安定稼働のため、トレーニングを非推奨』……」
……読み終えた瞬間、場の空気が変わった。
会議室にいた全員が、ほぼ同時に頭を抱えたのだ。ほんとうに、全員。うち数人は、机に突っ伏して肩を震わせていた。
私はよくわからなかったので、とりあえず素直に質問した。
「つまり、どういうことですか?」
セシルさんが、涙目でこちらを見てきた。なぜ泣きそうになっているのかは不明だったが、たぶん彼なりにショックだったのだろう。
「つまり、あんたが運動すると、この世界がバグるってことよ!」
──なるほど。
どうやら昨日、空がぺらぺらしていたのは、“私が筋トレをしたから”らしい。
思い返してみれば、たしかにやった。滅多にやらない健康意識の高い日だった。ついでに散歩もして、ぐっすり眠った。すごく良い日だった。
だが、どうやらこの世界は、私の“健康維持”すら許さないらしい。
運動禁止って……そんな世界設定、聞いてないんだけど。
⸻
夜になって、支部の掲示板に新しい紙が貼り出された。
《リュカ氏の運動禁止令について》
名前の横には、赤いマジックで大きく書かれていた。
「※絶対運動するな!!」
まさか、“運動しないこと”が評価対象になる日が来るとは。やれやれ、私は存在するだけで価値がある人間らしい。
貼り出された紙を見て、ケイがぼそっとつぶやいた。
「……人間の運動が、世界の設定に影響を与えるな……」
私は、その横で紅茶をすすっていた。なんだか空気が重かったので、あえて何も言わなかった。
ただ、たぶん――あれは、褒め言葉だったのだと思う。
たぶん、きっと、そう。




