21、勇者学校で特別講義を頼まれた
今朝は、なんとなく早く目が覚めた。天気が良かったのと、夢の中で何かに追われていた気がして、寝ても疲れが取れなかったのが原因だと思う。まあ、そういう日もある。
そんなわけで、いつもより少し早めに出勤してみたら、自分のデスクの上に見慣れない紙が一枚、ふわりと置かれていた。
「本日午後、勇者育成学園にて特別講師として登壇のこと」
──と、書かれていた。しかも、角のほうには見たことのない印章が押されていて、命令系統もよく分からない。どこからの指示なのか、誰が承認したのか、さっぱりだった。
「……誰かのいたずらかな」
少し考えたけど、午後は特に予定もなかったし、こういうのは断る方が後々面倒になる。なので、カバンにおやつとノートを入れて、そのまま出かけることにした。
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勇者育成学園。名前だけは聞いたことがあったが、実際に足を運ぶのは初めてだった。
思っていたよりずっと広い。校門をくぐった瞬間、芝の匂いと魔力の気配がまじりあっていて、なんだか胸がざわざわした。
グラウンドでは剣を振り回す生徒たちがいて、校舎の壁には魔法陣が張りめぐらされていて、廊下の一角には“冷やし聖水”の自販機まであった。
すごく近代的で、でもどこか青春めいていて、正直ちょっと眩しかった。
控室に通されると、講義資料というものを手渡された。手触りはいい。しかし、中身を見た瞬間、頭が白くなった。
全部、古代語だった。
私は才能にはあふれているけれど、古語は履修しなかった。正確には、履修したけど赤点だった。小テストでは「これは虫です」とか書いていた記憶がある。
内容は一文字も理解できなかったけれど、せっかくなのでページだけは律儀にめくった。なんとなく知的なふりをしたかった。
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講堂に通されると、生徒が百人ほど並んでいて、いきなりわっと拍手が起きた。
あれはきっと誰か別の人と間違われていたと思う。あの熱量、完全に歓迎されていた。少し居心地が悪かった。
壇上に立って、スライドのリモコンを渡される。
スクリーンに映された文字は、やはり古代語。見ても分からないので、背景に描かれていた絵をヒントになんとなくそれっぽく話すことにした。
「これは……山ですね。たぶん、登ったり降りたりすることが大事なんだと思います」
生徒たちが真剣にメモを取り始めた。驚いた。
次のスライドは魚の絵だった。
「これは、“水の流れに逆らう勇気”を象徴している気がします。でも、疲れてるときは流れに身を任せるのも有効ですよね」
すると、また深く頷く音が広がった。
みんなすごく真剣に聞いてくれるから、その後も調子に乗って続けてしまった。
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途中から質疑応答タイムに突入。誰かが手を挙げるたび、まっすぐな視線がぶつかってきて、私もちょっと気が引き締まった。
「戦場で大事なものは何ですか?」
「まず落ち着くことです。お腹が空いてると判断力が落ちるので、何か食べてください」
「敵に気圧されそうなときは?」
「目を見つめると、相手も案外怖がってくれる気がします」
「勝てないと思ったら?」
「一度寝てから考え直してみては。翌日は案外うまくいきます」
私の中ではかなり真面目なアドバイスだったけど、後ろのほうで見ていた教師たちの表情がどんどん変わっていった。ぎこちない笑顔というか、真顔というか……たぶん想定していた展開と違ったのだろう。
それでも、生徒たちの魔力が徐々に高まっていくのが私にも感じ取れた。空気が少しずつ張り詰めて、講堂全体が熱を帯びていく。
「なぜ……魔力の回路が強化されていく……!?」
「教えられたのは“食事をしろ”とか“寝ろ”だけなのに……!」
後ろでそんな声が聞こえてきたけれど、私はあえて振り返らなかった。私の言葉が、なぜか生徒たちの内なる何かを開花させていた。こういうこと、たまにある。説明はできない。
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「最後に一言お願いします」と言われたので、飾らずに思ったことを伝えた。
「教えるって、こっちも勉強になりますね。自分の言葉で伝えようとするといろいろ気づくこともあって。楽しかったです」
私が言い終わると、生徒たちが一斉に立ち上がって拍手を送ってくれた。
スタンディングオベーションなんて初めてだった。私はちょっと照れくさかったけど、なんとなく誇らしかった。
教師陣はやっぱり微妙な顔をしていた。やはり、今日予定されていた内容とは全然違ったのだろう。でも大丈夫。学びは、いつも計画通りにはいかないものだから。
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帰りの魔導列車の中で、鞄に入っていたお礼の手紙を読んだ。生徒たちの手書きだった。
一通一通、全部ちがう字で、ちがう言葉で、でもどれにも同じような一文が書いてあった。
「人生が変わりました」
──すごいことをしてしまったのかもしれない。
そんなふうに思い、ふと車窓の外を見る。
瞬間、遠くの空が、かすかに揺れた。雲の縁が一瞬だけざわついて、街の魔力灯が、ほんのすこしだけ点滅した気がする。
目を擦ってもう一度見ると、普段の景色に戻っていた。
疲れてるのかも。次の休みに温泉でも行こうかな。
何となく、そういう気分だった。