20、世界のバグを修正したらしい
朝、端末のログインに失敗した。
一回目、間違える。二回目、あれ?ってなる。三回目……やめればいいのに、なぜか指は止まらなかった。わかってる。三回でロックがかかるって、ちゃんと覚えてた。でも、寝ぼけてるとどうでもよくなる。理屈は脇に置いて、直感で動いてしまうのが人間というものだ。たぶん。
「……あれ? 7だったっけ、9だったっけ……?」
こんな調子なので、今朝の私は自分の誕生日すらあやふやだった。
月までは合っていたと思う。たぶん。でも、年は十年前で入力していた。しかも確信を持って。こわい。自分がこわい。
で、気づいたら端末が青く光っていた。ぴかーっと。
最初はサイバー攻撃かと思って、ちょっと慌てた。身構えて、電源を落とすべきか悩んで、それでもなぜかログイン成功の表示が出ていたので、まあいっか……と思ってしまったのだった。
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周囲が騒がしくなったのは、その直後だった。
外の空気が妙に重たいなと思ったら、時計の針が逆に動いていた。空には光の帯が走っていて、地面からじわじわと魔力が漏れ出している。誰かが「大気が魔力で震えてる!」って叫んだ。
「世界の根幹コードにアクセスが……!」
「光属性と闇属性の循環が、正常に戻った……!」
「数百年、国家予算をかけても直せなかった“歪み”が、自然に……」
大きな声が飛び交って、モニターは赤く点滅し、通信回線は混雑。庁舎全体が軽くパニックになっていた。
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その頃私は、ログインに成功した安心感で、のんびり朝食を食べていた。
ちゃんとバターの染み込んだワッフルに、蜂蜜を垂らして。熱い紅茶を注いで。いつものテーブル。変わらない朝。すべてが変わっているらしい外界とは裏腹に、私の朝はいつも通り静かだった。
「やっぱり、誕生日をパスワードにするのって危ないのかも」
反省の言葉は一応つぶやいておいた。口に出すだけで少しは学んだ気になる。パスワードは後で変えよう。今度は……猫の名前とかにしようかな。
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午後、突然神殿から使者がやってきた。なんか急に荘厳な空気が運ばれてきた。
「あなたは今、“調停者”へと進化しました」
「世界のエネルギー循環を修復した功績により、歴史書への記載が決定され……」
よくわからないが、なんだかすごいことらしい。言ってることが難しすぎて、私の脳は途中から理解を拒否し始めた。だいたい、神殿の言葉は比喩が多すぎる。もうちょっと具体的にしてほしい。
それでも、何か返事をしなきゃと思ったので、それっぽいことを言ってみた。
「そういえば、ネットの接続も早くなりました。ちょっとしたことで、世界って変わるんですね」
神官は、しばらく黙っていた。口を開けたまま固まっていたので、たぶん、言葉を探していたんだと思う。
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技術課からも報告があった。
「コードの歪みにあった“0除算バグ”が、自然に最適化されたんです!」
「それって、つまり……根幹フレームそのものが書き換わったってことですよ……!?」
私に説明してくれていたが、正直半分以上わからなかった。ただ、彼らの顔が真剣だったので、なんとなく深刻そうに頷いておいた。
要するに、私が朝うっかり誕生日を入力したことで、世界が変わったらしい。世の中不思議なこともあるものだ。もしかしたら、私こそが世界の中心なのかもしれない。
「何かするときは、まず最初に設定を見直すのが大事ですね。特に、パスワードを誕生日にする人は気をつけましょう。入力するとなんか世界が書き変わるらしいので」
その場にいた全員が絶句したあと、同僚のケイが頭を抱えた。
「いや……いやいやいや!! 誕生日を入力したら書き変わる世界って何だよ!?」
そう言いながら、彼は立ち上がってふらふらと歩き出した。医務室に向かう背中だった。きっとまた寝不足なんだと思う。お疲れさまです。
私は飴を一個ポケットから取り出して、無言で差し出した。こういうときの飴って、なんだか効く気がする。
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それでも、私は今日も定時で帰れた。
空はきれいで、風も少し涼しくて。お茶を淹れたら、ほんのり甘かった。そのことだけで、「今日はいい日だったな」と思えた。
何もしてないつもりでも、世界は勝手に動いていく。たまに、それに巻き込まれるだけ。だけど、こういう毎日も悪くないな、と思う。