2、勤務初日、休憩室が炎上した理由について
朝。
今日から正真正銘、社会人デビュー。
この事実を聞いた多くの人は、たぶん「緊張してる?」とか「意気込んでるね」なんて言うだろうけど、私はいたって冷静。なぜなら、私は優秀だから。
私の人生、だいたいのことはぎりぎりのところで何とかなってきたし、たぶんこれからもそう。
鏡の前で制服を確認。しわひとつない姿で登場したい私は、「蒸気式スライムアイロン」を取り出した。名前の響きがちょっと愛らしい。
でも、蓋を開けたら中のスライムが干からびていて、起動した瞬間に「プシュッ」という音とともに消滅した。
……今朝、少し気温が高かったのが敗因かもしれない。
ただの板と化したアイロンは何の役にも立たなかったけど、幸い制服にはそこまで皺がなかったのでセーフ判定。
服が着られれば十分。プロは条件の中で最善を尽くす。
さて、配属先である第七支部は、朝9時始動。
私は8時57分に出勤。ぴったりすぎず、早すぎず。3分の余裕。そう、これが社会人としての成熟。
「……普通、5分前には来るだろ」と言ってきたのは、同僚、ケイ。
眉間にしわ寄せてた。たぶん朝が苦手なのだろう。
「じゃあ、私は“普通”より2分も先に来たんですね。優秀ですね」と返したら、ケイはなぜか無言になった。
謙虚な人を前にすると、言葉を失うこともある。これは、ありがちな現象。私はそのくらい控えめ。
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フロアに入ると、空気が張り詰めていた。
笑っている人はいなかったし、「新人いらっしゃい!」みたいな飾りもなかった。
でも、私は寂しくなかった。ここの人たちはきっと実力重視で、派手な歓迎よりも“成果”を大切にするプロ集団なのだろう。
挨拶しても返事はなかったけど、たぶん心の中で返してくれたんだと思う。私は空気の読めるタイプ。ポジティブフィルター装備済。
席に座って荷物を整理しながら、「今日も何事もなく終わるといいな」と思った。
いや、むしろそうなる予感がしていた。昨日は感電して一度死んだけど、今日は違う。今日は生きてる。
昨日の私は未熟だった。でも、今日は今日。日付が変わったから、別人みたいなもの。
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昼。
時計の針が12時を指したのに、誰も休憩に行こうとしなかった。
最初は「仕事熱心だなあ」と思ったけど、5分経っても誰も動かないので、これはたぶん「時間感覚が歪んでいる」と判断。
ダンジョンだから。時空、歪む。あるある。
私は健康第一主義なので、定刻どおり休憩室へ向かった。
休憩室の湯沸かし機は、いかにも魔導技術の結晶みたいなフォルムで、ボタンが10個くらい付いてた。どれも主張が激しくて、選ばれるのを競ってる感じ。
その中で一番ピカピカ光っていたボタンを、迷わずプッシュ。
次の瞬間、床が揺れた。
天井から火花が降ってきて、部屋が全体的に「ブフォォンッ!」って音を立てて軋んだ。
「あれ!? なに押したの!? 湯沸かし機が爆熱魔導炉モードになってる!!」
遠くの方から誰かの悲鳴が聞こえた気がしたけど、私はお湯を沸かすことに集中していたので、スルー。
壁が吹き飛んでポットが蒸発したけど、ちゃんと湯気は出た。つまり、目的は果たした。
火災報知器が鳴り響き、警備隊が3人ほど飛び込んできた。
「熱源反応ここだ! ……うわ、床焼けてるじゃん!」
「機材壊れすぎだろ!? 誰が使ったんだよ……って、お前か!!」
全員の視線が私に集中したけど、私はすでに使用済み。
あとはみんなが片付けをしてくれるはず。分担って大事。
自分が何をしたのかよく分からずに、慌てる人たちをぼーっと眺めながらコーヒーを啜る。すると、ケイが説明してくれた。
「リュカ。あれ非常用の魔力供給炉だ。魔王が来たときしか使わねぇ奴だぞ」
「へえ、じゃあすごく特別な装置だったんですね。光ってたし。押してよかった」
「ちげぇよ……」
どうやら私は、とても特別な装置を使ったらしい。
そう思うと、ちょっと誇らしい。大事な物に触れられるということは、信頼されている証拠だから。
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午後。
休憩室が立入禁止になっていたので、別室でお茶を淹れようとしたら、セシルさんが視線を向けてきた。
「……あの湯沸かし機、300年モノだったのよ。封印解除に一週間かけてて、誰も触れないはずだったのに」
「お湯は沸きましたよ」
「……どこの地獄のお湯かしら」
彼女の口ぶりはとても静かだったけど、目の奥がいろんな感情で渦巻いていた。
たぶん、感謝と感動とちょっとした嫉妬。人の感情って複雑だなと思う。
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報告書には、事実を簡潔にまとめた。
「ボタンを押したら、部屋が吹き飛び、結果として湯が沸きました」
セシルさんは報告書を読みながら、無言で机に額をぶつけていた。
感情が溢れすぎて、行動に現れるタイプなのかもしれない。繊細で素敵な人だ。仲良くなれそう。