18、昇進候補者研修に参加した
今日は、昇進候補者向けの研修があった。
別に昇進したいわけではないが、「一応受けておいてね」と言われたので、行くことにした。「一応」という言葉は便利で、聞く側も気軽に受け流せる。大事なような、そうでもないような。そういう曖昧さが好きだ。
会場に着くと、スーツ姿の人たちがずらりと並んでいた。皆きりっとしていて、少し圧を感じる。私は制服のままだったが、せめて表情だけでも負けないようにと思って、がんばって眉毛を上げた。たぶん、きりっとしていたと思う。たぶん。
それにしても寒かった。空調が容赦ない。
研修会場あるあるである。私はこの手の冷気には詳しい。なので朝、出かける前に迷わずカーディガンをカバンに放り込んだ。この判断力、さすがと言っていいと思う。人生は、備えの差で決まる。
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研修が始まった。
スライドは、ゆっくり、ひたすら、進んでいく。
「リーダーとは」「業務遂行力の強化」「課題抽出の可視化」など、四文字熟語が多くて目が滑る。耳で聞くより先に、スライド資料を全部ダウンロードしておいた。そういうのは、先に全部把握したほうが落ち着く。途中で予期しない言葉が飛んでくると、不安になるから。
スライドの内容は、まぁ、ふつうだった。
でも途中で、資料ファイルの動きがやけに重くなった。ページ送りが止まり、リンクが切れて、画面のレイアウトが崩れた。こういう現象は、地味に気になる。
気づくと私は、いろんなアイコンをぽちぽち押していた。再読み込み、詳細設定、プロパティ表示、デバッグモード……よくわからないものも含めて片っ端から。理由はひとつ。「開かないと気になる」から。
しばらく無心でいじっていると、なぜかファイルは元に戻っていた。動作は軽くなり、崩れていたページも整っていた。私は満足した。今日の仕事は終わったな、と思った。
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研修のあと、なぜか私だけ別室に呼ばれた。
個別に注意でもされるのかと思ったら、講師の人は開口一番、真顔だった。
「……この資料は、情報統制部門と内部セキュリティ課が共同管理していたものでして……」
すごくお堅い話が始まった。
聞けば、今回使用されたスライド資料は、特に機密度の高い管理下にあったものらしい。バージョン管理が複雑で、改修履歴も多岐に渡り、最終的には誰も手を付けられなくなっていたという。
「不具合の報告も検知も難しく、誰にも気づかれていなかった箇所が多数あります……」
「なぜ、それに気づいたんですか?」
私は、正直に答える。
「先に全部目を通したら、途中でページが開かなかったので。開かないなら、開くようにしなきゃと思って直しただけです」
沈黙が落ちた。
講師の人は、静かにうなずいたあと、手元のメモ帳に何かを走り書きしていた。その手の動きが止まった瞬間、彼は小さくつぶやいた。
「この子……天才では……?」
私はその言葉を、しっかり耳に入れた。
たぶん褒められた。たぶんすごい人認定された。だとしたら、今日はいい日だ。
この人、わりと人を見る目があるかもしれない。
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その後、なぜか講義資料の配布方式とセキュリティ管理プロトコルが刷新された。
しかも、私の名前で提案が上がったらしい。正式な書類に「技術理解力:最高」と記載されていた。評価シートを見るたび、ちょっと笑ってしまう。
私はただ、動かなかったファイルを直しただけ。
それがこんな大事になるなんて、人生はほんとうにわからない。やっぱり私は、なにかと「当てて」しまうタイプらしい。
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研修のあと、同期のケイにその話をした。
「……あの資料、7年間誰も触れなかったのに……」
彼は遠い目をしていた。昔のトラウマを思い出したみたいだった。
私は彼の肩をぽんと叩いて、渾身のドヤ顔で言った。
「私、けっこう細かいところが気になるタイプなんですよ」
ケイは、顔を伏せたまま動かなかった。尊敬のあまり言葉も出ないのだろう。そう思って、そっとポケットから飴を取り出して渡しておいた。糖分は大事だから。
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私の人生、なんとなく上手くいくようにできている。
今日もまた、それを証明してしまった。
明日はもっとおいしいコーヒーが飲めるといいな。