16、支部長は胃を痛めて早退した
朝、支部長が遅刻した。
珍しいこともあるものだと思っていたら、それ以上の珍事が起きた。
お昼前になってようやく姿を見せたと思ったら、開口一番。
「……医務室、空いてるか?」
声はかすれ、目の焦点は合っておらず、歩く姿はまるで魂が抜けたようだった。
彼は、机の上に書類を置いたと思ったそのまま、椅子に座り込み、以降、ほとんど動かなかった。
私はそっと、椅子の高さを調整してあげた。ちょっと姿勢が辛そうだったので。
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午後。
セシルさんに呼び出された。
なにも悪いことはしていない(つもり)なので、軽い気持ちで応接室に向かった。ドアをノックして入ると、セシルさんは窓際に立って外を見ていた。背中から、少しだけ不穏な空気が漂っている気がした。気のせいだろうか。
「リュカ、あなた……」
振り向いたセシルさんの目の下には、くっきりと深いクマができていた。お疲れモード全開である。
私は、にこっと笑ってみせた。笑顔は世界を救うらしいし、まずは基本から。
「最近、暑いですもんね。ちゃんと休んでますか?」
セシルさんは、ふう……と深い溜息をついて、椅子に腰を落とした。肘をつき、手で頭を抱えるような格好で、ぽつりぽつりと話し始めた。
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話をまとめると、こういうことらしい。
支部長は、ここのところずっと私の「功績」の後処理をしていたそうだ。
他国との和平条約。
魔王の親書。
ダンジョンの聖域化。
全部、私が「なんとなく」「流れで」「やってみたらこうなった」系の出来事だった。
でもどうやら、それぞれが国家レベルの重要案件であり、同時並行で発生するような類のものではなかったらしい。セシルさん曰く「奇跡が渋滞してる」とのこと。そのおかげで、どうやら方々から疑いの視線を向けられているらしい。
「支部長はね……! ずっとあなたの後始末をしてたのよ……!」
セシルさんは勢いよく机を叩いた。上に置かれていたペンが跳ねて、床をコロコロと転がっていった。
私はそれを拾って、セシルさんに手渡す。物は大事にする主義である。
「お疲れ様です。あの人もがんばりすぎなんですよ。私みたいに、ほどほどにしないと」
セシルさんはしばらく私の顔を見ていた。その目が、現実を受け入れるために意識を飛ばしているようにも見えた。
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私は、自分ではわりと頑張っているほうだと思っている。
仕事はそれなりに真面目にやっているし、周囲への配慮も忘れないようにしている。
何か大きなことが起きたとしても、それは「やる気の結果」ではなく、ただの「自然現象」なのだ。
雨が降るのに理由がないように、私に平和条約を締結するつもりがなかったように。
……まあ、多少は認識している。
私の言動の影響が、時々、想定よりも何十倍か大きくなってしまうことがあるということは。
でもそれは私の責任というより、私のポテンシャルが高すぎるだけなのではないかと思う。責められるべきは私を産んだ両親か、世界の法則そのものだ。
褒められたら、「うれしいです」と答える。
叱られたら、「反省します」と口では言う。しっかり反省してるっぽい顔はする(心が伴うかはそのとき次第)。
けれど、そうした表面的なリアクションにかかわらず、私はずっと私であり続ける。根本は変わらない。
そういうものだと思っている。
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でも……ひとつだけ、今日は思ったことがある。
きっと私の「無自覚」は、誰かを傷つけることもあるのだと。
支部長のように。
彼の胃に穴を開けたのは、魔王でも外交官でもなく、私である。
こればかりは才能ある者の宿命だ。
「支部長、いい人だから心配だな。お見舞いにお茶でも持っていこう」
飲みやすくて、癒されるようなお茶を選ぼう。
できれば、現実から逃げたくなるような味ではないやつを。
それが、今の私にできるせめてもの誠意だと思う。
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※追記:
セシルさんにお見舞いに行っていいか訊いたら、「やめなさい、今はダメ……!」と全力で止められた。
どうやら、癒しよりまず、静寂と距離が必要らしい。了解です。明日また様子を見に行こう。