14、“訓練では済まされない事態”を引き起こす
今日は災害対応訓練だった。
年に数回ある「定時内イベント」のひとつで、つまり、勤務時間中に行われるから強制参加である。強制と言われると少しだけ反発したくなるけれど、身体を動かす系イベントはきちんとやった方が後が楽だと私は学んでいる。
朝から支部内に集まり、まずは点呼。
その後、ポータルの使い方、緊急時の避難経路、手動起動スイッチの場所などを、教官の説明に従って順番に確認していった。
説明そのものは丁寧だったが、語尾に疲労がにじんでいて少し気になった。前日、徹夜だったのかもしれない。おつかれさまです。
私は「訓練用ポータルの起動担当」という役を任された。
指名されたわけではないけれど、誰も動かなかったので私が動いた。そういうときに自然と手が動くのは、昔からの癖である。優等生ぶるつもりはないけれど、静かに動ける人間でありたいとは思っている。
ポータルのスイッチは、すぐに見つかった。
分かりやすく「起動」と書かれていて、ボタンも押しやすい位置にあった。
ついでに、すぐ隣に赤く光るレバーがあったので、それも押しておいた。
赤く光るものは、基本的に「押していい時に光るもの」だと私は解釈している。押すなと言うなら、光らせなければいいと思う。そういう視覚設計の責任は設計者側にある。私は真面目に操作しただけである。
……直後、廊下がぐにゃりと歪んだ。
変な風に照明が明滅して、天井の一部が落ちた。ポロリ、という音だった。
そして、そこからぬめっとした質感の生き物が這い出してきた。色味がリアルだったし、目があったときの「お前は誰だ」感が強かったので、たぶん訓練用の作り物ではないと思う。
私は近くにいたケイの袖をつかんだ。頼れる同期である。
「ケイ、訓練って本番形式だったんですね」
「いや、違う。ちがう。……ちがうっ……!」
ケイは真っ青だった。
彼がここまで取り乱すのは珍しい。
私は少し驚いたけれど、非常時こそ落ち着きが大事だと、あらためて思った。
異界獣が出たらしい。
どこかの封印結界が破れた可能性があると、誰かが言っていた。
具体的にどこが破れたのか、誰が破ったのか、まだ詳細は不明。私は関係ないなと心の中で思った。
教官が、その場で膝をついていた。
「もうやめてくれ……訓練中に異界獣って……」
と、力なくつぶやいていた。
私は静かに頷いた。
そういう日もある。人生には想定外がつきものである。
それを受け入れる心構えが現場の人間には必要だ。
その後、避難誘導の流れで移動していたのだけれど、私は途中でドアを間違えた。
似たようなドアが並んでいたので仕方ないと思う。あれは設計が悪い。
間違えたドアの先には転送ゲートがあって、私は一瞬で異界の奥地に転送された。
たまたま出現した地点が、敵のすぐ背後だった。私は反射的に身を引く。
そのとき、足元にあったもの――長くてぬるりとした、魔物の尻尾のようなもの――を踏んでしまった。
「パァンッ」という乾いた魔力音とともに、敵が煙のように弾けて消えた。
私はしばらく立ちすくんだ。
その場で、靴の裏が少し焦げていることに気づいた。
ああ……この靴、わりと気に入っていたのに。焦げた匂いが少し残っていた。悲しい。
あとから報告を受けたところによると、私は偶然にも敵の中枢部に転送されて、敵の弱点を踏んで破壊したらしい。
つまり、“決定打”だったそうだ。
そう言われると、あのときの足元の手ごたえが、ちょっとだけ誇らしく思えてくる。
あれが私なりの戦場での一手だったのだと思えば、焦げた靴も悪くない。
訓練が終わったあと、支部長に名前を読み上げられた。
「リュカ、異界災害訓練における……功績者として……」
その声には感情がこもっていなかった。
支部長の目は遠くを見つめていた。焦点がどこにも合っていない感じだった。
きっと、思うところがあるのだろう。いろいろと。
私は少し照れた。
褒められるのは、悪い気分ではない。
たぶん、私の判断力と冷静さが評価されたのだと思う。
人はいざという時に本質が出るものだ。
私の本質はどうやら、落ち着いていて、動じなくて、たまに運がいいらしい。
あまり表に出してこなかったが、私ってやっぱりしっかりしてるタイプなのかもしれない。
うすうす気づいてはいたけれど、改めて確信した。
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今日も、静かに日報を書いた。
「災害訓練:転送ミスあり。魔物:処理済。靴:焦げ。全体的に平和。」
書き終えて、ふう、と一息。
焦げた靴はいったん磨いてみるつもり。お気に入りには手をかけたい。
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