表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/40

11、昼休みにドラゴンと遭遇した

 昼休みは個人の自由時間。これは職場の明文化されたルールである。

 したがって私は、自分の自由意志に基づき、屋上へと向かった。


 目的は――昼寝。


 午後の業務に備えて心身をリセットするのは、社会人として当然の準備行動だと思っている。

 特に、今朝のようなバタバタした立ち上がりを経た後ならなおさらだ。


 屋上に出ると、いつものように人の気配はなかった。

 コンクリートの床にそのまま寝転ぶ。ほんのり冷たくて気持ちいい。夏の日差しはちょっと眩しいけど、空は広くて、風も少しだけ吹いていた。


 最高の昼寝環境。今日もよい午後になりそうだ。


 ……と思っていた、そのときだった。


 不自然な風が、ざっと吹いた。

 それだけなら気にも留めなかったけれど、直後に「ドン」と空気を叩くような着地音。

 そして、私の上にすっぽりと影が落ちた。


 目を開けた。

 ……いた。


 目の前に、大きな犬がいた。


 いや、犬というにはいささか規模が違った。

 私の何倍もある大きな体。毛並みは黒く、ところどころ金属のような光沢があった。背中には何かが生えていて、羽にも見えたけれど、ちょっと羽毛っぽくない気もする。


 でも、羽毛にもいろんな種類がある。

 確か、鳥類学の先生がそう言っていた。専門家の言葉は尊重すべきだ。


 口元からは煙のようなものがふわふわ立ち上っていて、目が光っていた。

 でも目の光には殺気はなく、むしろ好奇心のようなものを感じた。

 近くにいると、ほんのり暖かい。体温が高いのかもしれない。冬だったらもっとありがたかった。


 私は頭がいいので、すぐに理解した。

 これはおそらく、災害救助用に開発された超大型犬の試作個体。

 おそらく警備課が極秘に訓練している……そういうプロジェクトがどこかで進行しているのかもしれない。


 私はしばらく、その犬(仮)と見つめ合っていた。


 犬にとって、もっともシンプルで伝わりやすい言語。それは――食べ物。


 ポケットを探ると、朝にもらった干し芋が出てきた。

 やや乾いてカピカピになっていたけれど、食べ物に変わりはない。


 私は無言で、干し芋を差し出した。

 動物との信頼構築は、まず「差し出すこと」から始まる。これは自然番組で学んだ。


 犬(仮)は首をかしげて私を見つめてきた。

 光る目が、じっと干し芋を見つめ、そして――ぱくり、と静かに食べた。


 その後、なぜかこちらの前に伏せて、顔を上げてじっと見てきた。


「……お腹すいてたんだね」


 私はそう言って、また寝転がった。

 背中に当たるコンクリートの感触もいいけれど、隣に巨大な犬(仮)がいると、体感温度が上がって快適だった。


 しかも、意外と静か。ちょっと鼻息が荒くて生臭かったけど、枕としては合格。


 そうして私は午後の英気を養うべく、昼寝を満喫した。


 ⸻


 目が覚めたのは、ほんの少し午後の陽射しが傾き始めた頃だった。


 まわりが騒がしいな、と思って目を開けると、屋上の出入り口から職員たちがぞろぞろと顔を出していた。


 全員の顔が、なぜか引きつっていた。

 多分、みんな寝不足なのだろう。よくない。休憩は大切だ。


「なにやってるの!?」

「え、え、え、ドラゴン!? って……なついてる……?」


 そんな声が聞こえた。

 私は、のそのそと起き上がって伸びをした。背中がちょっと冷えていた。

 隣の犬(仮)も、一緒に立ち上がって私のあとをついてきた。しっぽが地面に当たってバシバシ鳴っていた。

 たぶん嬉しいのだろう。最近の犬は感情表現が豊かだ。


 誰かが、小さな声で言った。


「――殺気も怒気もまったく感じられない……まさか、彼女が……?」


 なんだかよくわからないが、私のことを言っているらしかった。


 ⸻


 その日のうちに、私は支部長に呼び出された。


 部屋に入ると、支部長はいつもより眉間のしわが深かった。


「屋上に出た異界種、あれをどうやって鎮めたのか説明してくれ」


「あの犬ですか? 干し芋をあげました」


 支部長の表情が一瞬でぐらぐらと揺れた。

 語彙力が、煙のようにどこかへ飛んでいくのが見えた気がした。


「いや……なぜ……いや、なんでそれで……いや、まずそれ犬じゃないんだ……」


 私は静かにうなずいた。

 管理職は大変だと思う。疲れると言葉が詰まるものだ。


「……あのドラゴンは、こちらとの接触に極めて攻撃的な種だったはずなんだ……どうして懐いているんだ……」


 私は少し考えてみた。けれど、すぐに答えは出なかった。


「意思疎通って、言葉だけじゃないですよね」


 支部長は机に顔を伏せた。感情が溢れすぎて、言葉にならないらしい。

 ケイが後ろで、「いや、ほんとに通じてないだろ……」とぼそっと呟いたけど、特に反論はなかった。


 ⸻


 現在、犬(仮)――正式には「異界種ドラゴン」らしい――は、施設の外れに設けられた仮の居住区で過ごしている。


 対話の可能性が示された個体として、外交的にかなりの価値があるそうだ。


 私はただ、いつも通り屋上で昼寝してただけなんだけど……結果として役に立ったならよかったと思う。


 でも、やっぱり少し寂しい。


 あの屋上に大きくて暖かい犬(仮)がいないと、ちょっと物足りない。

 また会えるなら、次はもっと柔らかいおやつを持っていこう。


 今日の昼寝は、間違いなく人生で五本の指に入る快適さだった。

 人はよい環境でこそ、よい休息がとれる。


 そして信頼関係は、干し芋一本から始まるのかもしれない。


 今日もいい一日だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ