11、昼休みにドラゴンと遭遇した
昼休みは個人の自由時間。これは職場の明文化されたルールである。
したがって私は、自分の自由意志に基づき、屋上へと向かった。
目的は――昼寝。
午後の業務に備えて心身をリセットするのは、社会人として当然の準備行動だと思っている。
特に、今朝のようなバタバタした立ち上がりを経た後ならなおさらだ。
屋上に出ると、いつものように人の気配はなかった。
コンクリートの床にそのまま寝転ぶ。ほんのり冷たくて気持ちいい。夏の日差しはちょっと眩しいけど、空は広くて、風も少しだけ吹いていた。
最高の昼寝環境。今日もよい午後になりそうだ。
……と思っていた、そのときだった。
不自然な風が、ざっと吹いた。
それだけなら気にも留めなかったけれど、直後に「ドン」と空気を叩くような着地音。
そして、私の上にすっぽりと影が落ちた。
目を開けた。
……いた。
目の前に、大きな犬がいた。
いや、犬というにはいささか規模が違った。
私の何倍もある大きな体。毛並みは黒く、ところどころ金属のような光沢があった。背中には何かが生えていて、羽にも見えたけれど、ちょっと羽毛っぽくない気もする。
でも、羽毛にもいろんな種類がある。
確か、鳥類学の先生がそう言っていた。専門家の言葉は尊重すべきだ。
口元からは煙のようなものがふわふわ立ち上っていて、目が光っていた。
でも目の光には殺気はなく、むしろ好奇心のようなものを感じた。
近くにいると、ほんのり暖かい。体温が高いのかもしれない。冬だったらもっとありがたかった。
私は頭がいいので、すぐに理解した。
これはおそらく、災害救助用に開発された超大型犬の試作個体。
おそらく警備課が極秘に訓練している……そういうプロジェクトがどこかで進行しているのかもしれない。
私はしばらく、その犬(仮)と見つめ合っていた。
犬にとって、もっともシンプルで伝わりやすい言語。それは――食べ物。
ポケットを探ると、朝にもらった干し芋が出てきた。
やや乾いてカピカピになっていたけれど、食べ物に変わりはない。
私は無言で、干し芋を差し出した。
動物との信頼構築は、まず「差し出すこと」から始まる。これは自然番組で学んだ。
犬(仮)は首をかしげて私を見つめてきた。
光る目が、じっと干し芋を見つめ、そして――ぱくり、と静かに食べた。
その後、なぜかこちらの前に伏せて、顔を上げてじっと見てきた。
「……お腹すいてたんだね」
私はそう言って、また寝転がった。
背中に当たるコンクリートの感触もいいけれど、隣に巨大な犬(仮)がいると、体感温度が上がって快適だった。
しかも、意外と静か。ちょっと鼻息が荒くて生臭かったけど、枕としては合格。
そうして私は午後の英気を養うべく、昼寝を満喫した。
⸻
目が覚めたのは、ほんの少し午後の陽射しが傾き始めた頃だった。
まわりが騒がしいな、と思って目を開けると、屋上の出入り口から職員たちがぞろぞろと顔を出していた。
全員の顔が、なぜか引きつっていた。
多分、みんな寝不足なのだろう。よくない。休憩は大切だ。
「なにやってるの!?」
「え、え、え、ドラゴン!? って……なついてる……?」
そんな声が聞こえた。
私は、のそのそと起き上がって伸びをした。背中がちょっと冷えていた。
隣の犬(仮)も、一緒に立ち上がって私のあとをついてきた。しっぽが地面に当たってバシバシ鳴っていた。
たぶん嬉しいのだろう。最近の犬は感情表現が豊かだ。
誰かが、小さな声で言った。
「――殺気も怒気もまったく感じられない……まさか、彼女が……?」
なんだかよくわからないが、私のことを言っているらしかった。
⸻
その日のうちに、私は支部長に呼び出された。
部屋に入ると、支部長はいつもより眉間のしわが深かった。
「屋上に出た異界種、あれをどうやって鎮めたのか説明してくれ」
「あの犬ですか? 干し芋をあげました」
支部長の表情が一瞬でぐらぐらと揺れた。
語彙力が、煙のようにどこかへ飛んでいくのが見えた気がした。
「いや……なぜ……いや、なんでそれで……いや、まずそれ犬じゃないんだ……」
私は静かにうなずいた。
管理職は大変だと思う。疲れると言葉が詰まるものだ。
「……あのドラゴンは、こちらとの接触に極めて攻撃的な種だったはずなんだ……どうして懐いているんだ……」
私は少し考えてみた。けれど、すぐに答えは出なかった。
「意思疎通って、言葉だけじゃないですよね」
支部長は机に顔を伏せた。感情が溢れすぎて、言葉にならないらしい。
ケイが後ろで、「いや、ほんとに通じてないだろ……」とぼそっと呟いたけど、特に反論はなかった。
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現在、犬(仮)――正式には「異界種ドラゴン」らしい――は、施設の外れに設けられた仮の居住区で過ごしている。
対話の可能性が示された個体として、外交的にかなりの価値があるそうだ。
私はただ、いつも通り屋上で昼寝してただけなんだけど……結果として役に立ったならよかったと思う。
でも、やっぱり少し寂しい。
あの屋上に大きくて暖かい犬(仮)がいないと、ちょっと物足りない。
また会えるなら、次はもっと柔らかいおやつを持っていこう。
今日の昼寝は、間違いなく人生で五本の指に入る快適さだった。
人はよい環境でこそ、よい休息がとれる。
そして信頼関係は、干し芋一本から始まるのかもしれない。
今日もいい一日だった。