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しょく  作者: Mukoro656
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ボクサー・ザ・ホワイト

食、職、色。世の中には色々なしょくで溢れています。


今回は自分と戦うボクサーお話・・・

 真っ暗な部屋のベッドの上で一人の男が膝を抱えている。

「グルルッ」と体の内に鳴り響く腹の虫を鎮めようと男は一層と体を丸める。

ラジオから流れる愛だの恋だの歌っているヒットソングは不快極まりなく、ラジオに八つ当たりし、壁へ叩きつける。


 男は間もなく日本タイトルへの挑戦を控えた若手ボクサー。

喧嘩三昧だった学生時代からの流れで、ボクシングという世界へと飛び込んだものの、デビュー戦からプロの洗礼を浴び、続く2試合目も負け、連敗。


皮肉にもプロの壁が男を覚醒させた。真摯にボクシングに向き合い、己を高めていった男は連戦連勝。デビューからの連敗が嘘のような快進撃により、日本タイトルへの挑戦権を獲得したのだった。

だが、再びプロの壁が立ちふさがる事になる。その相手はーーーーーーーーーーー自分自身だ。

 元々成長期が遅く、高校生になってから体が大きくなり始めた男の成長は未だに終わっていなかった。

学生の頃程ではないにしろ、未だに大きくなる男の体は今の階級に留まる事を許さなかった。ここ数試合は過酷な減量という強敵に苦戦を強いられていた。

トレーナー達は階級を上げろとうるさいが、それを頑なに断る理由が男にはある。


 ボクサーになるきっかけは偶然だった。たまたま友人と一緒に見にいったボクシングの試合。殴りあいでなら誰にも負けないと自負していた当時の自分が思わず見入ってしまった試合があった。感動したと言ってもいい。あまりに泥臭く、真っすぐなその選手の姿は自分をボクシングの世界へ導くには十分過ぎる格好良さだった。

そして次に戦う相手は、今や日本チャンピオンになり、自分の憧れであり続けるあの選手なのだ。

何が何でも戦いたい。

その為の前哨戦とでも言えばよいのか、今は減量という自分との闘いに身を投じでいるのだ。


ダイエット。なんてレベルではない過酷な生活が男を蝕んでいた。一日をトマト一個とペットボトルの水一本のみで凌いできた男の体はあと800g落とすのに悲鳴を上げていた。

ただひたすらに体を動かす。動かないでいると食欲という誘惑に負けそうになる。日課だったロードワークも街中には誘惑が多く、やめた。ジムと自室を往復しひたすら汗を流す日々、お世辞にも肌寒くない季節だというのに部屋ではストーブを全開にし、サウナ状態だ。

朦朧な意識の中、拷問のような生活が男の肉体を削る。




計量日。

試合前日に行われる計量。ついにこの日がやってきた。男の顔は明らかにやつれ、体からは生気が感じられない。憧れのチャンピオンが同室にいるのに、気づいていないかの如く意識も朧気だ。


「リミットいっぱい!」


測定係の声は男が前哨戦をクリアした事を告げていた。

よくやったと抱きしめてくれるトレーナー達。チャンピオンの男も減量苦を察してか「よろしく」と優しい声で握手を求めてくる。

「次はあなただ」

とやつれた顔で微笑みながら男は握手に応じる。「パシャパシャ!」と記者達のカメラから発せられるフラッシュが煩わしい・・・。


 計量が終わってしまえば体重を気にすることなく何を食べても構わない。だが食べ過ぎては明日の試合に響いてしまう。ましてや減量で痛めつけられていた男の体では食べられる物も限られた。

てっきり計量の後はレストランにでも連れて行ってくれるのかと期待していたが、連れてこられたのは毎日嫌になるほど汗を流しているジム。「え・・・?」と困惑していると、奥の部屋からトレーナーの一人が土鍋を持ってくる。

「美味い物をたらふく食わせてやりたいが、今のお前の体には毒だ。消化の良い物を時間をかけてゆっくりと食べろ」

と横に座ったトレーナーが伝える。

眼前に置かれた土鍋の蓋を開けると、湯気が溢れ、純白の白米が輝いていた。そう、お粥だ。


減量中に嫌になる程夢見たステーキやラーメンではないが、今の男にとっては十分すぎるほどの御馳走だった。キラキラと輝く白米は空腹がみせる幻想か、良い米を使っているのか、あるいは自分を思って丁寧に作ってくれた証拠なのか。

そっと梅干しが添えられただけのお粥だが、よだれが口からこぼれ落ちそうになる。

レンゲを掴むと、思わずがっつきそうになる自分をトレーナーが静止する。

「ゆっくりな・・・体がびっくりしちまうからな・・・」

そうだった・・・とゆっくり口へ運ぶ。


美味い・・・。


 かつて、これ程に上手い米を食べた事があっただろうか?いや、これほど美味い飯を食べた事があっただろうか?それほどの感動が男の体を包んだ。

一口。一口。噛みしめる。この美味さを、感動を。

米の甘味と旨味が口の中へ広がる。それだけではない。ほんの少し味噌が入っているのか、優しい風味がより食欲を駆り立てた。ゆっくり噛みしめた後にに「ゴクリッ・・・」と飲み込むと体内が幸福で満たされているようだ。ゆっくりとレンゲを口へ運び続ける。減量の苦しみ、チャンピオンへの憧れ、執念、そしてトレーナー達からの期待と愛情。それら全てが自分の中を満たし、血肉となる感覚がある。

男の体はゆっくりと目覚めていく。


白米の中に赤く煌めく梅干しをかじると、すっぱさが体を貫く。疲労を吹き飛ばしてくれるようなそのすっぱさはよりお粥の美味さを引き立たせた。

ゆっくりゆっくりと、いつもなら数分で食べ終わりそうな量を3倍近い時間をかけて食べる。今までこんなに味わいながら食事をした事があっただろうか?感動は感謝に代わり、自分をこの大舞台へ導いてくれた全ての物へ感謝した。


「ごちそうさまでした」


心からそう言ったのは初めてな気がする。

米一粒残さず完食した。顔には満足そうな笑みが、目には覚悟の火が灯っていた。




第6R ●KO負け

それが現実である。

序盤こそ良い試合をしたものの、減量は力だけでなく、体力も奪っていた。それを自覚していた男は序盤攻め続けたものの、昔憧れた、あの泥臭いまでの真っすぐなチャンピオンのボクシングの前にねじ伏せられた。

男は白いマットに沈んだ。トレーナー達の声や、周りの歓声は歪んで聞こえる。

霞む目は眩しい照明に焼かれる。

だが後悔はない。負けたのは悔しいが、憧れの男と打ち合えたのだ。充実感がマットに倒れた男を包んだ。



ボクサー・ザ・ホワイト




空腹は最高の調味料。

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