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しょく  作者: Mukoro656
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シンガー・ザ・オレンジ

食、職、色。世の中には色々なしょくで溢れています。

今回は今をトキメク人気歌手のお話・・・

 摩天楼が光の帯となり目の前を通り過ぎて行く。

ぼーっと車の助手席で光り輝くコンクリートジャングルを眺めている女性は今をトキメク話題沸騰中のシンガーソングライター。街中で歌っていたのがSNSでバズり、あれよあれよという間にスターダムを駆け上がった。

今や彼女の曲を聞かない日は無いだろう。大晦日の番組で歌う事になったというニュースが今のトレンドだ。

このビッグニュースにもビッグウェーブにも乗り切れてない人間がここに一人。何を隠そう、話題の渦中のスター歌手その人である。

ギター一本、路上で思い思いの歌を自分で紡いでいた時は、心地が良かった。夢は漠然としていたし、バイトは忙しかったが、確かに充実していた。

今やあの頃のトキメキの様な何かは自分から感じられない。今の自分はシンガーソングライターとは名ばかりで、自分で作詞した歌詞はプロの手が入り、角が取れた大衆曲へ、自分が奏でたかったメロディーはこちらもプロの手がはいり、流行のメロディーへ・・・。

自分が世に向けて歌っている曲は自分が作った曲の様な変容した何かだった。

昔の自分とは程遠い、まるで嘘っぱちを歌わされているような日々は確実に彼女の心を蝕んでいた。

昔の自分の輝きには程遠い、今の自分に辟易する日々が続いていた。

自分とは打って変わって浮足立っているのかの様に意気揚々と仕事の予定をペラペラしゃべっているマネージャーの言葉は全く耳に入らず、煩わしさだけが残った。

信号で停止した車の助手席から、ある看板が目に入る。

すると自分の意に反すように車から飛び出る。マネージャーの叫び声が聞こえたが、無視して喧騒の中へと消えた。

自分でも何でそんな事をしてしまったのか混乱しながらも、先ほど目に入った看板の前に居た。

『喫茶 ノスタルジー』

何処にでもありそうな古き良き喫茶店といった感じだ。

彼女は別にこの店を知ってるわけではなかったし、ましてや常連という訳ではなかった。

ただ看板のデザインが路上で歌っていたあの頃、よく通っていた喫茶店によく似ていたというだけなのだ。

ゆっくりと店の扉を開けると、狭いながらも外観から感じられるイメージ通り、店名に偽りなしと言わんばかりのノスタルジックな空間がそこにはあった。

店内では店主であろう初老の男性が一人、プカプカとパイプから煙を漂わせていた。

来店に気づいた店主はパイプを置き、丁寧に席へ案内してくれた。店の雰囲気だけでなく、店主の雰囲気まで昔通っていた店にそっくりなものだから懐かし過ぎて涙が溢れそうになる。

そっと水を置き、「ごゆっくり」と一言告げ、店主は再び席に戻りパイプを吹かせ始める。

長年、使い古しているのであろうボロボロで少しベタついているメニュー表からも妙なノスタルジーを感じメニューに目を通す。

内容もどこにでもあるTHE喫茶店。といった品揃えだ。そのメニューの中で目に留まったものが一つ。

察したのか店主がメニューを聞きに来る。

おずおずと注文する。

『オムライス』



卵抜き。

一瞬呆気に取られながらも店主は、それはとどのつまりケチャップライス?というかチキンライスということ?と冷静に返答する。

コクリと頷くと店主は厨房があるのであろう席からは見えない場所に向かって『オムライス!卵抜きで!』と叫ぶと奥から店主と同じく初老らしい女性の声で、それってとどのつまりケチャップライス(以下略。という先ほど聞いたのと同じ文言が聞こえてきた。

そうだよ。と一言店主が答えると、はいはいと一言返ってくる。半信半疑で頼んでみたものの、普通に受けてくれた店主達に感謝しながら、水を一口飲み、店内を見渡す。

未だに現役なのであろう店内に美しいBGMを響かせているレコードプレイヤーと、少し日焼けしたレコードのジャケットがいくつか飾られていた。他にも平成どころか昭和を感じさせるオシャレなポスターな何枚か貼ってある。昭和生まれという訳では無いが、こういった物にノスタルジーを感じてしまうのは何故だろうか?

落ち着く雰囲気の中ではスマホを取り出すのも野暮な気がして近くに並べてある週刊誌を手に取る。

ページを開くと「話題沸騰中の女性歌手!!」と大きな見出しと自分でもびっくりするくらい綺麗に取られている自分の写真が並んでいた。だが、嬉しさは特に無く、まるで自分そっくりの別人を見ているような感覚だった。


一通り記事を読みながら、現実の自分と乖離している本の中の自分とのイメージに深いため息をついていると、温かく甘い匂いが鼻孔をくすぐった。

おっ!と思うのもつかの間、気が付くと店主がチキンライスを持ってきていた。

「これでよかったかな?」と一言。自分の目の前に置かれたのはまさにチキンライス。

美味しそうな香りと期待以上のビジュアルから再びノスタルジーな感覚に支配され、胸がいっぱいになる。「ごゆっくり」とまた一言置いて去っていく店主。おずおずと一緒に持ってこられたスプーンを手に取ると、暖かかった・・・。

恐らく長年の接客の中で培われた配慮なのだろう。

それだけの事なのだが、何故か心に深くしみる感覚だった。

スプーンを差し込むと、米の一粒一粒まで綺麗に火が入り、綺麗にケチャップのオレンジ色を纏った米がパラパラと崩れた。

まだ口に入れてる訳でもないのに、約束された美味さを感じる。

崩れた米をスプーンですくいなおすと口の中に放り込む。酸味が飛ばされたケチャップの甘さと、細切れの鶏肉と細切れの野菜、そしてパラパラの米。

混然一体となったそれらが口の中を幸せにする。

「そう・・・これだ・・・」

と昔の感覚がフラッシュバックした瞬間。頬には一筋の涙が伝っていた。

ただでさえ懐かしさでウルウル来ていたのに、決壊してしまえばもう止まらなかった。ボロボロと涙を流しながら大口を開けてスプーンに山盛りに持ったチキンライスを放り込んでいく。ずびずびと鼻を鳴らせながらフードファイターが如く引っ切り無しにライスを放り込む。

一口噛みしめる度に昔の情景や感覚がフラッシュバックし、一時的にあの頃へと気持ちが回帰する。

充実はしていたが、実家を勘当同然で飛び出し、単身都会に乗り込み、夢だけで生きていくのは厳しいという現実にも直面した。

路上で力尽きるまで歌い、始発を待つ為に通っていた喫茶店。雰囲気も良く、程よい距離を保った接客。店内に流れる落ち着くBGM。そしてそこで食べるチキンライス。全てが懐かしかった。

仕事の都合上、都会に行くしかなかった今では再び行くことも儘ならないが、今でも情景が目に浮かぶ。


気が付くとあと一口。名残惜しいが、米を一粒一粒味わうようにしっかりと噛みしめ、飲み込む。

グイっと水を一気に飲み干し、顔をグチャグチャにしている涙と鼻水を拭おうとすると、そっとテーブルにおしぼりが置かれる。

「これを使いなさい」と一言、優しく声をかけてくれた店主の言葉に甘えるて暖かいおしぼりで思いっきり顔を拭く。

メイクまで取れてしまいそうだが、そんなのお構いなしだ。

べそかきながらご飯を喰らう女を見かねていたのか、恐らくおしぼりと一緒に用意していたであろうホットコーヒーを食べ終わった皿と入れ替えて出す店主。

えっ・・・という顔をしていたであろう、それを察して「サービスだから」と優しく一言。

心地の良い優しが心に染みる。再び涙が溢れそうになるのを我慢していると、勝手に口が動き始めてしまう。

つい昔通っていたお店に似ていて思わず入ってしまったこと。どうしてもチキンライスが食べたくなってしまったこと。食べると昔の事を思い出して懐かしくて泣いてしまったこと。

思い通りに生きられないこと・・・・。

気が付けば向かいの席に座っていた店主は「ごめんよ」と一言いうと、パイプに火を入れる。フーッと大きく煙を吐くと、「懐かしさを感じてくれたってなら嬉しいねぇ。店の名前を見ればわかると思うけど、懐かしさを感じて欲しいと思ってやってるからね」と言いながら、優しく笑みをこぼす。

再び煙を吸って大きく吐き出すと、「あなたの事も知っているよ。最近よくテレビで見る子だ。最初はどっかで見た顔だな~とは思ってたんだが、正面から見てようやくわかった」

そういわれるとグチャグチャになった顔を見られるのが恥ずかしくなったのか、胸の内を吐き出してしまったのが恥ずかしくなったのか、思わず顔を背けてしまう。

それを察してか、「別に笑ったりしないし、誰かに話したりもしないよ」と優しく一言。本当に心の中を読まれてるのではないかと思ってしまうくらい欲しい言葉を投げかけてくれる。

そして店主は自分の城とでも言うべき店内をゆっくり見渡しながら、まるで自分自身に語り掛けるようにしゃべりはじめる。

「自分の思いというか、信念というか、そういうものを貫くのは難しいことだ。この店も君のような若い子には中々ウケが悪くてね、雰囲気が古すぎるのかな?」

と自嘲気味に笑う。

「だからといって店の雰囲気を変えたいとも思わない。でも食ってく為にはある程度は人がこないといけないしね・・・・・・難しい話だよ。」

まるで自分の事を聞いているようで、胸が苦しくなる。夢で食べていくという事が難しいのはわかっている。仮に夢をかなえても困難が無くなる訳ではない。

自分を貫いて生きていけるかはわからない。自分を曲げれば生きていけるとしても、それを夢が叶ったとは言えないかもしれない。

どれだけ自分を曲げたとしても生きていけない人間もまたいるのだろう。そう考えると、ある意味自分は贅沢な事で悩んでいるのだろう。

色んな考えが頭の中をグルグルと錯綜し、思わずうつむいてしまう。

「何が正しいのかなんてわからないけど、後悔しない方を選ぶ事だよ。簡単ではないけどね」

と自嘲するように笑いながら優しく語りかけてくれる。

頭の中はグチャグチャだが、いくらか胸の中が晴れたような気がした。

自分でもよくわからないが、前に進める気がします。と伝えると、ごちそうさまでした。と心からお礼を言い、話を聞いてもらった事、情けない姿を見せてしまった事についての謝罪と感謝を伝えた。

特になにもしてないよ。と手をヒラヒラさせながら笑う店主に会計をお願いする。


ん・・・?よくよく考えてみると鞄が無い、というかスマホしかない。

車から飛び出したはいいものの、財布すら持ってないとはマヌケな事この上ない。

そして恐らくマネージャーからであろう数十件の着信を見てさらに落ち込みながら店主に電子マネーが使えないか、恐る恐る聞いてみる。

店主は気まずい顔をしながら目線をそらすと、目線の先には「現金のみ」と張り紙。

やってしまった。情けない姿を見せた上に金までないとは恥ずかしさと情けなさで消えてなくなりたい気分だ。あわててマネージャーに来てもらおうと電話を掛けようとするが、金が無い事を察した店主は「それなら」とレジ奥から何かを持ってくる。



「お題はサインで!」




店を出てマネージャーに電話すると、とんでもなく叱られた。

電話を切ると、大きく深呼吸する。何が解決したわけではないが、この店に入る前と入った後では何かが変わった気がする。

今なら良い曲が作れるかもしれない。


曲名は決まっている。



「Nostalgia」




シンガー・ザ・オレンジ

夢って希望なのか呪いなのか

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