リーマン・ザ・ブラック
食、職、色。世の中には色々なしょくで溢れています。
木々の様に立ち並ぶオフィスビルの森の中・・・
その中の一本の木。さらにその中で小さく輝く光が一つ。
薄暗いオフィスに一番星のように輝くディスプレイ。
今夜も一人のサラリーマンが戦場に居た。
カタカタと部屋に響くのは日付が変わりそうな時間でも尚戦い続けている男が奏でる嘆きの歌。
上司に押し付けられた仕事を黙々とこなす内に気が付けば時計の単身は12に近づいていた。男は定期的に開催されるこのデスマーチに肉体と精神を削り取られた哀れなサラリーマンである。枯れた心からはもはや怒りすら湧いてこない。
だが、そんな枯れた心にもオアシスはある。
男はおもむろに引き出しを開けると「ゴクリ・・・」と喉を鳴らす。
引き出しの中には仕事道具よりもスペースを取って鎮座している複数のカップラーメンがあった。色とりどりなパッケージ、色々な味。男からしたら美術館に飾られた名画よりも心に響く景色であろう。
男は一瞬ためらいながらもその中からカレー味をチョイスする・・・。
離席し、給湯室でお湯を沸かすこの僅かな時間に男は僅かな癒しと、期待に胸を膨らませる・・・。スマホを取り出し、時間を潰そうとするが、画面に表示されている時間を見て「ふぅ・・・」と深いため息。
給湯室に響く甲高い音はお湯が沸きあがった合図。男は待ってましたとばかりにカップラーメンの蓋をめくり、待ちきれなかったと言わんばかりにお湯を投入する。
-----3分。
スマホのアラームをセットし、
今の男にはあまりにも長く、ある種拷問のような時間が始まった。
男はしっかりと閉めなおした蓋の隙間から漂う香りに、腹の虫が大合唱しはじめた事から目を背けながら再び席に着く。
目の前には未だ終わらぬ仕事が煌々と輝くモニターに映し出されていたが、こちらからも目を背けつつ、スマホのラジオアプリを起動する。耳心地の良いパーソナリティーの声が誰もいないオフィスにこだまする。
この時間に誰もいないオフィスでラジオを流しながらカップラーメンを食べるという罪悪感。ある意味、反抗とも呼べないようなこの僅かなひと時が男を再び残業という名の戦場へ繰り出す糧となるのだ。
ラジオからは今話題らしい女性ボーカルの曲が流れ始めた。愛だの、恋だのと歌っているが、今の男には馬耳東風。おそらく一分を切ったであろう至福の時間への期待に胸を躍らせていた。
「あっ!」
思い出したように男は鞄からコンビニ袋を取り出す。昼飯として買っていたおにぎりと野菜ジュースを袋から取り出す。悲しき社畜の不幸中の幸いか、仕事に忙殺されランチタイムを逃した男に舞い降りた幸いである。
0時を回ろうとしているこの時間にカップラーメンとおにぎりというお世辞にも体に良いとは言えない炭水化物のマリアージュを楽しもうというのだから罪悪感というスパイスも割り増しである。
ラジオから流れる曲が1番を歌い終えた辺りで歌を遮るようにスマホからアラームが鳴り響く。
ショータイムだ。
男は獲物にとびかかる獣のようにカップの蓋を開け、箸を伸ばそうとするが・・・
箸が届く前に、鼻孔を突き抜け、脳と腹の虫を支配する強烈な香りに一瞬意識を飛ばされる。
残業で消耗していた脳は息を吹き返し、腹の虫の大合唱は耳障りなハーモニーからファナティックな狂演を奏でる。
一瞬の思考停止を得て、ようやく箸が麺を掴み、強烈な香りに胸をときめかせながら一気に啜る。圧倒的な味と香りのダブルパンチ。仕事の事など忘れ、強烈な一撃に頭がくらくらする。
ぐいっとスープを飲み、男は多幸感に支配される。「ずぞぞっ」と逆流する滝の如く凄い勢いで麵をすすり、幸せを噛みしめる。
忘れかけていた相棒のおにぎりを開封し、「がぶり」と一口頬張る。
口の中でカレー味の残滓と米がマリアージュを奏で、再び男は多幸感に支配される。
「ごくり」と飲み込むと、今度は野菜ジュースにストローを通し、禁断のコンビに対しての免罪符だと自分を無理矢理納得させながら、一気に吸い上げる。免罪符というにはあまりに甘いその味で口の中をリセットすると、再び禁断コンビのマリアージュに身を任せる。
が、所詮束の間の幸福。あっという間に禁断コンビを平らげ、残すはスープのみ。ラジオからはいつの間にか終わっていた話題曲から、このひと時のエンドロールを告げる様なもの悲しいバラードが流れていた。
あっという間に終わってしまいそうな幸福なひと時へ別れを告げると言わんばかりに男は残ったスープを一気に「ゴクリ!ゴクリ!」飲み干し、罪を重ねた。
多幸感と罪悪感に支配された男からの「ゲフッ」というカデンツァが紡がれ、至福のひと時は終わりを告げた。
腹が満たされ、このまま大の字になって寝てしまいたい。という欲望から逃れる為に立ち上がり、片付けを始める。
証拠隠滅と言わんばかりに窓を全開にして回り、肌寒い風で再び頭が冴えてくる。両頬を両手で叩きながら改めて意識を覚醒させる。
意識を仕事モードに切り替えながら、再び残業という名の戦場へ繰り出す覚悟を決める。
「あっ・・・」
覚悟を決めた所で一つの真実に気づく、まるで撃たれた痕のように大きな染みがシャツに一つ・・・。
折角覚悟を決めた所に冷や水を浴びせられる。
それでも働かなければならない。それでも戦わなければならない。
このコンクリートジャングルで、このブラック極まりない部隊の一兵士として。
胸に受けた銃弾にも負けず、再び男は戦場へ戻るのだ・・・。
リーマン・ザ・ブラック
美味しいから罪なのか、罪だから美味しいのか。